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お金と仕事

芸歴31年、週4日働く立ち食いそば屋 アルバイト芸人の華麗なる職歴

ふとっちょ☆カウボーイ「半年で、時給が150円アップしたんです」

そば屋で生き生きと働くお笑い芸人のふとっちょ☆カウボーイさん
そば屋で生き生きと働くお笑い芸人のふとっちょ☆カウボーイさん

目次

テレビからネットまで、その姿を見ない日はないお笑い芸人。しかし、スポットライトを浴びながら、お笑いだけで生活しているのは一部の人だけという厳しい現実があります。ネタ番組に出演したり、賞レースの決勝まで残った芸人も含めて、その多くはアルバイトをしながら、常に自分たちの芸を磨いています。『あらびき団』で、名前が広まったふとっちょ☆カウボーイさんも、そんな〝アルバイト芸人〟の一人です。幹線道路沿いにある立ち食いそば屋で週4日。「やっと出会えた神バイト」だと言います。(ライター・安倍季実子)

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昼まで働いて自宅でネタ作り

今年、芸歴31年目を迎える、ふとっちょ☆カウボーイさんが働くのは、2年ほど前にできた立ち食いそば屋の「そば谷」です。シフト制で週4日、朝6時~昼1時まで働いています。

働きはじめて半年ほどですが、真面目な勤務態度が評価されて、時給が1,000円から1,150円にアップしました。現在の平均月収は18万くらい。そこに週末のスーパーの品出しのアルバイトが加わります

「朝5時半に起きて、6時から13時まで働きます。その後、ライブがある場合は入り時間まで自宅でネタ作りをして、ライブがない場合は……ネットフリックスなどを見てます(笑)」

アルバイト先の「そば谷」は、8席ほどの小さなお店。幹線道路沿いという立地もあって、オープン前から行列ができることも少なくありません。

「工事現場で働くおじさんたちが並んでいたので、はじめの頃は少し怖かったです(笑)。でも、皆さんすごく優しくて、会計で計算間違いをしても許してくれます」

お客さんの中には、芸人だと知って声をかけてくれる人もいますが、うまく対応できず、申し訳ないと思うこともあるそう。

「僕は自分からコミュニケーションを取りに行くタイプじゃなく、少しずつ距離を縮めて行くタイプで。みなさん『ふとっちょ☆カウボーイ、全然しゃべんないじゃん』と思っているでしょうね(苦笑)」

スタッフは2人体制で、それぞれが注文・調理・会計までを行うスタイル
スタッフは2人体制で、それぞれが注文・調理・会計までを行うスタイル

華麗なる数々のアルバイト歴

ふとっちょ☆カウボーイさんは、これまでに卸売市場、コンビニ、ファストフード店、ガソリンスタンド、居酒屋、遊園地のぬいぐるみ役、ティッシュ配り、スーパーなど、様々なアルバイトを経験してきました。

「はじめは飲食店が多かったんですが、食中毒やお客さん同士のいざこざが起こるかも……と考えると、だんだん怖くなってきて。実際、居酒屋時代には、酔ったお客さん同士のケンカを止めに入ったこともあります。精神的な負担はできるだけ避けようと思い、あまりコミュニケーションを取らなくてすむものに変えました」

それでも、避けていた飲食業に戻ろうと思ったのは、自身のYouTubeチャンネルがきっかけでした。

「実は、『そば谷』の店長は前の事務所の後輩なんです。YouTubeの企画で『そば谷』のそばを食べたとき、そのおいしさに感動して、2回目の企画で行ったときに、『こんなにおいしいなら働きたいな』と言ったら、本当にアルバイトに採用されました(笑)」

「そば谷」でアルバイトをしてみると、飲食業を避けていた気持ちも消え、今は楽しく仕事をしているそうです。

「はじめは不安もありましたが、料理のように『何かを作ること』は、僕の性に合っているようで、やっぱり楽しいです。まかないで食べるそばは絶品ですし、店長もオーナーも理解があって、芸人活動を優先してくれます」

「アルバイトで疲れ切って、ネタが書けない、ライブがしんどいということもありません。楽しく働けるからストレスもなく、芸人活動にも真剣に取り組めます。高校を卒業してから、30年以上アルバイトをしていますが、歴代の中でぶっちぎりに恵まれたバイト先です」

「お店には、オリジナルのコスプレカレンダーを飾ってもらっています」
「お店には、オリジナルのコスプレカレンダーを飾ってもらっています」

呉服屋のお坊ちゃまが芸人に

そんな、ふとっちょ☆カウボーイさんが芸人の道に入ったのは、実家の廃業がきっかけでした

「うちの実家は、愛知県で有松絞りを扱う呉服屋の卸をやっていました。なので、僕は、いわゆる『お坊ちゃん』ですね(笑)。でも、父は自分の代で商売を閉じるつもりだったようで、兄と僕に好きな仕事に就くように言っていました」

子どもの頃からバラエティー番組が好きで、高校2年生の時に友人と組んだコンビで、ラジオ番組内のコント大会に参加。見事に優勝を果たしました。

高校卒業後は、お金を貯めて一人で上京し、1年ほど吉本預かりに。その時に出会った相方とコンビを結成してホリプロへ。解散後はトリオを結成してマセキ芸能社所属となりますが、3度目の解散をしてピン芸人となり、アミー・パークへ。2020年から、現在のラフィーネプロモーションに所属しています。

「昔は2~3年所属して売れなかったら、事務所を辞めていくのが暗黙のルールになっていました。そんな中で、アミー・パークは自由度が高くて、好きにさせてもらえたので、長く所属していましたね。2019年にお笑い班がなくなったので、ラフィーネに移籍しました。だから、不仲とかケンカとかではないですよ(笑)」

「トリオの一人は、今はサンドウィッチマンのマネージャーです。もしかしたら、あいつが一番売れたのかもしれません(笑)」
「トリオの一人は、今はサンドウィッチマンのマネージャーです。もしかしたら、あいつが一番売れたのかもしれません(笑)」

子どもの頃の1人遊びを芸に昇華

コンビ、トリオ、ピンを経験し、一番楽しかったのはトリオ時代だったといいますが、最終的にはピン芸人を選びました。そこには、自身の「明るいキャラクターからは想像できないような、暗い性格」が関係していると話します。

「僕は2人兄弟なのですが、兄は社交的で友達も多く、ムードメーカーといった存在でした。それに比べて、僕は協調性がなくて友達もいなくて、幼稚園では誰ともしゃべらず、ずーっとブツブツいいながら1人で遊んでいました。両親が言うには、心配した幼稚園の先生が『一度、病院で診てもらった方がいいかもしれない』と相談しに自宅まで来たこともあったそうです」

人見知りの性格は、芸人になってからも、あまり変わらなかったといいます。

「人と打ち解けるまでに時間がかかるんで、トリオを解散した後も、すぐに誰かと組もうとは思いませんでした。必然的にピンになったんですが、そこでやっと子どもの頃の1人遊びが、表現できるようになったんだと思います」

「R-1グランプリ」10年制限

ピン芸人になった当初は、1年続けて売れなかったら辞めようと考えていました。しかし、半年が経った頃に出演した『あらびき団』をきっかけに仕事が増え、ネタ番組にも呼ばれるようになりました。

「当時はレッドカーペットなどのネタ番組も多く、お笑い業界が全体的に熱かったですね。それが、2011年の東日本大震災をきっかけに自粛するようになって、ライブもネタ番組も営業も、ほとんどなくなりました」

時間の経過に伴って、少しずつ仕事が復活し、お笑い業界は以前のような盛り上がりを見せはじめました。ふとっちょ☆カウボーイさんも、「R-1グランプリ」に第5回から出場し、優勝を狙い続けていました。しかし、2021年の大会から「芸歴10年以内」というルールが追加されました。

「めちゃめちゃショックでしたが、どこかホッとするところもありました。それまではR-1中心の生活で、ライブはウケるけど予選は敗退するというのを繰り返していたので、何をしたらいいのかわからなくなって、疲れていたんだと思います」

年末の風物詩となっている「M-1グランプリ」は、敗者復活戦もテレビ中継されますが、R-1には敗者復活戦がありません。

「テレビに出るためには決勝戦に残らないと意味がありません。だから、『決勝戦まで残らなきゃ!』という焦りもありました」

カウボーイ姿で、「パーン!」と叫ぶ芸で一躍有名に
カウボーイ姿で、「パーン!」と叫ぶ芸で一躍有名に

バイトしながら狙う賞レース

R-1に出られなくなったことでプレッシャーから解放されたものの、さらに追い打ちとなったのが、第七世代ブームの到来です。業界の若返り説が噂されていたこともあり、番組オーディションを受ける意味を見失いました。

しかし、この状況が、かえって芸人魂を奮い立たせることになります。

「少し経って状況を俯瞰したときに、これまでみたいにR-1でウケやすいネタではなく、自分が面白いと思うネタをやるしかないと思いました。その矢先に、『Be-1グランプリ』の開催を知りました。前例のない個人が主催する賞レースということで、どんなものなのか全然わからず、最初は怪しんでいましたね(苦笑)」

「Be-1グランプリ」とは、双子漫才師のうすくら屋シュースケさんが立ち上げた、芸歴11年目以上のピン芸人のための賞レースです。はじめ、ふとっちょ☆カウボーイさんは出場するつもりはありませんでした。しかし、主催のシュースケさんから直接連絡が来たため、Be-1への参加を決めます。

「うすくら屋さんは、アミーパークの後輩というよしみもあって出たんですが、思っていたよりもしっかりした大会でビックリしましたね。スタッフをがっちり固めて、クラウドファンディングで運営資金を募って、会場もちゃんとしたライブハウスを押さえて、審査員は業界でも名高い人ばかり」

2回目となる今年の大会でも決勝進出を果たしましたが、残念ながら優勝には手が届きませんでした。また、ネタ作りが中心の毎日に戻りました。

芸歴31年目ともなると、テレビで活躍する同期や後輩も多くなりますが、見ていていい刺激になるといいます。

「同じ年・同じ芸歴で売れてるってことは、僕も頑張ればそうなるのかなと思わされます。去年、ABEMAの石橋貴明さんのネタ番組に出させていただいた時に、錦鯉さんのネタを見て『9回裏2アウトからの大逆転もあるんだよ』と言われていました。その言葉がすごく響いたし、本当に震えましたね」

「その後、錦鯉がM-1グランプリで優勝したのを見て、年齢や芸歴は関係なく、諦めずに地道に頑張っていればチャンスを掴むことはできるんだと思いました。ひとまず今は、朝昼は『そば谷』で働いて、どんどんネタを作っていきたいですね」

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