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育児日記のつもりが写真家に 「家の周りの日常」を切り取る魔法
「かわいい写真を撮るつもりは無かった」原点に父の愛情
育児日記の代わりに始めたインスタグラムでフォロワーが7万人を超えた相武えつ子さん(42)。2人の娘さんを撮る際に大切しているのは「全て認めてあげる」という姿勢だと言います。無口だった父親が遺した家族写真の存在がいま、写真家相武さんの背中を押し続けています。
「すみません!なかなか寝てくれなくて」。
インタビューが始まったのは午後10時過ぎ、相武さんがお子さんを寝かしつけた後でした。筆者も事情は同じで助かりました。
朝、子どもたちが起きる6時半までに、いかに仕事のメールを返信出来るかが勝負だと言います。朝食を用意して学校の近くまで送る。洗濯物や掃除にメドをつけた9時半頃から、写真家としての仕事を始めます。
午後は習い事の送り迎え。ピアノ、水泳など2人それぞれ週3つずつ。「写真に没頭できる時間は限られています」と笑う。
母親としての時間の方が長い。「写真家と言うよりやっぱりお母さん。写真辞めてもお母さんなので」。
「良い写真は良い親子関係があってこそ」。家族にかける時間を削ってまで仕事を広げるつもりはないそうです。
筆者も2児の父親として、幼少期にしかない我が子の表情やしぐさは写真に残しておきたいと日々思っています。
太陽、花、風、空。相武さんは、どんな親子のまわりにもある日常の風景に子どもを溶け込ませるのが抜群に上手です。
写真がメインのインスタグラムにあって、保育園の行事や散歩途中の親子の会話など、一緒につづられる肩肘張らない日記がさらに作品を引き立たたせています。
「ほとんどの作品は自宅周りのお買い物圏内の場所で撮影しています」と相武さん。
そんな作風が認められ、一眼レフを手にしてわずか3年でシグマフォトコンテストで優秀賞を受賞しました。
相武さんがSNSを始めたのは長女の妊娠中。結婚を機に移り住んだ今の土地には知り合いはいませんでした。そんな不安からツイッターに登録しました。「#つわり」「#授乳」「#夜泣き」。TL(タイムライン)に投稿しては同じ境遇の人たちに励まされ、知り合いもできました。
3年版の分厚い育児日記に挑戦したこともありました。ただ一週間も続きませんでした。
「『離乳食を食べない』とか。結局暗い内容になっちゃって」と当時を笑いながら振り返ります。
その点、共感や知り合いが増えるSNSの方が精神的に楽だったそうです。
「どんな育児書よりも救われました」。1日1投稿。スマホで撮った娘の姿をインスタにアップするようになりました。
相武さんは幼少期、ほとんど父親と過ごした記憶がありません。自営業で帰宅も遅く土日は取引先とのゴルフ。夏の海水浴と冬の温泉旅行だけが親子としてふれあえる機会でした。無口で決して甘えられるような存在ではありませんでした。
そんな中、一番覚えているのは、小学校2年生の相武さんが父親の職場を訪ねた時のこと。デスクマットの下に自分と弟が写った2Lサイズに延ばした写真が飾ってありました。自宅の廊下をハイハイをしている弟と横でまねをする相武さん。いつ撮られたかも分かりませんでした。
「私たちを想っていてくれたんだ」。父親の思いに初めて触れ感動しましたといいます。
2009年、結婚を機に挙式で使う過去の写真を探しに富山の実家へ戻りました。押し入れからは父親が撮影した相武さんの写真がアルバム10冊分も出てきました。にらんでいたり、寝転がっていたり。自然な姿ばかりでした。
「父は私のかわいい写真を撮るつもりは無かったと思います」。ポーズなども強要されたこともありませんした。それでも愛情はしっかり伝わってきました。
「ありのままを記録してくれた。『撮ること』は『(相手を)認めること』。そう教わった気がします」。
15年、父親ががんだと母親から聞かされました。「遺影を撮らなきゃ」。気付いたときには、相武さんは愛知から富山の実家に向かっていました。
普段は写真に写ることを嫌う父親が、この日は何も言わずカメラの前に座りました。そしてレンズに静かに視線を送りました。「以心伝心ですかね。親子ですから」。
「どんなポーズのお子さんでも受け入れて撮影してあげてくださいね」
現在、オンライン写真教室などで子どもの撮影方法などを教えている。親から一番多く寄せられる悩みは、カメラを向けるといつも子どもが同じポーズをする、というもの。
そんな時、相武さんは父親に撮ってもらった写真を思い出しアドバイスします。
「それも個性です。ありのままを写してあげて下さい。しばらく会話をすればいい表情は撮れるようになりますよ」
いずれ2人の娘さんが自分の元を離れる日がくる。それでも相武さんは写真を辞めることはないといいます。
「撮る事で自分の存在が認められいることを教えてあげたい」。相武さんの写真哲学です。
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