連載
#7 Key Issue
推し活の今、僕たちが時間とお金を注ぐ理由 オンライン化の功罪
好きでも応援でもない…アイドルとファン

推しという言葉自体を広めたのが「AKB48」です。かつて注目された曲のランキングではなく、グループ内の個人の順位をファンがおしあげる。時代が移り変わる中で、ファンは何のために自分の時間をお金を推しにつぎ込んできたのでしょうか。「推しに会うため新聞社に入社した」「推しから記者として足りないものを教えてもらった」。朝日新聞きってのアイドルオタクである2人が語り合いました。
生活文化部長の桝井政則さん
「モーニング娘。」の安倍なつみさんを推し、「AKB48」では大島優子さん推し。大島さんが卒業された後は、同じ「AKB48」の大西桃香さんを推しています。基本的にはずっと「単推し(アイドルグループの中で一人のメンバーだけに絞る)」です。
コンテンツ編成本部次長の阪本輝昭さん
その年の秋に、「AKB48」の姉妹グループが勤務している大阪にもできて。「NMB48」の発足のタイミングで連載を担当するようになり、今に至ります。仕事とオタ活を相互に補完しながら、読者やファンと過ごしてきました。
「推す」の発祥と発展
生活文化部長の桝井政則さん
でも、決定的に世の中に浸透したのは「AKB48」グループの総選挙です。第3回目くらいから、ワイドショーが大々的に取り上げるようになり、推す行為が可視化されたと思います。
推すという言葉は、アイドルの応援の変化と結びついています。「AKB48」以前のファンの活動は、その時に発売されている曲をヒットさせることだった。私は、河合奈保子さんのファンクラブに入っていましたが、10円玉がファンクラブから封書で送られてきて、その10円玉を使って公衆電話から有線のリクエストをしていました。
「AKB48」グループの総選挙は、曲ではなくてアイドル個人のランキングを上げることが、ファンのミッションになりました。曲ではなくて個人の名前と応援するという行為が密接にリンクして、その距離感に変化が起きました。
総選挙で投票するためにCDを買うので、売り上げは伸びますが、曲をヒットさせるために買うんじゃなくて、推している子のランキングを上げるために買っている。曲ってほとんど意識していない。より近い、個人に接触するような、直接的行為が推しという言葉とぴったりはまったのかなと思っています。
悩みや迷いと一緒にファンも成長
生活文化部長の桝井政則さん
SNSや配信によって、アイドルが偶像じゃなくて、生っぽい存在になっていきました。それが、ネットで生まれるアイドル像なのかなと考えています。

エネルギーにもなるアンチの存在
生活文化部長の桝井政則さん
個人とグループの存在が切り離されて、個人が前面に出てきました。逆に「AKB48」は嫌いだけど、前田敦子さんは好きという応援すら生まれました。
それと相通じるところで、「DD」と呼ばれる「誰でも大好き」という応援の仕方もあります。以前は、特定のメンバーを応援すると決めたら、他のメンバーに浮気しちゃいけない、という倫理観のようなものがあった。1980年代のアイドルの時は、ファン同士もかなり仲が悪かったんです。
松田聖子さんのファンは、河合奈保子さんも好きとは言えない。そんなこと絶対言っちゃいけない。自分はこの子だけじゃないといけない。小泉今日子さんのファンが堀ちえみさんのライブには行けない。倫理的に許されませんでした。
ところが、「AKB48」グループはメンバーたくさんいるので、一番好きな子、二番目に好きな子、というのが必然的に出てきます。別のメンバーの名前が書かれたTシャツを着て握手会の列に並ぶこともある。そういう「DD」が広く許される、受け止められるようになりました。
ただ、私は「単推し」しかできなくて、「DD」になれない。それは80年代気質みたいなのがあると思っています。「単推しです」というと、「都市伝説だと思っていました」という反応をする人もいます。今は、「DD」が主流なのでしょう。
コンテンツ編成本部次長の阪本輝昭さん
こうした大人数のグループのひとつの特徴として、(前田さんの言葉の背景にもあった)「アンチ」の存在を抜きに語れないと思っています。グループ内には「序列」のようなものがあって、自分が推しているメンバーがいつも上の位置とは限りません。メンバーどうしの競争、せめぎ合いが、「推し」と同時に「アンチ」も生んできた面があると思います。そのものずばり、「AKB48」には、「アンチ」という曲があります。歌詞には、アンチが生まれてスターが育つ……とつづられています。メンバー自身もその環境にさらされている。ある意味、独特のアイドルなんだろうと思います。
「アンチ」の言動は、度を超すと活動しているメンバーさんにとって酷です。守るべき線があると思います。そうした中、アンチの存在をある種、巻き込んで、バネにして飛躍していったメンバーがいることも事実です。10年前の前田敦子さんの叫びも、「アンチ」の存在がベースにあったから、さまざまな感情がここぞという局面で昇華し、一世一代の場面になったのだと思います。

頑張っているところ教えてあげる
生活文化部長の桝井政則さん
「生誕祭」と呼ばれる誕生日の配信には、タワーと呼ばれるアイテムが現れて 1万円単位で課金できてしまいます。東京タワーみたいな塔の数が課金の金額によって変わっていきます。何本タワーが立ったかがファンの間では語り継がれる。「あのアイドルの生誕祭にはタワー150本立った」「うちも負けてらんないな」みたいに。
以前は、イベントに合わせて駆けつける感じでしたが、今はネットの発信に対して、なにがしかのアクションを起こすというのが日常の中に組み込まれるようになっています。
月いくらぐらい使ってる? 言えるわけないじゃないですか! 家庭を持つ身として言えないくらいは使っています。総選挙も、コロナで中止になっていますけど、まったくないとも限らないわけですよ。だから、みんな積み立ててますよ。
コンテンツ編成本部次長の阪本輝昭さん
「NMB48」の連載を担当している関係で、誰を推しているかということは以前から公言しないようにしているのですが、一般論として、私は「推す」ということは、本人にいいところを教えてあげるっていうのが本質だと思っています。
人から自分のいいところってなかなか教えてもらえないじゃないですか。だめ出しはするのに……。推し活動の最たるところは、いいところ、頑張っているところを直接伝えられることにあります。

推しに会うため会社に入りました
生活文化部長の桝井政則さん
推しがなかった時期が小学校5年生以前しかないんです。あらゆる思考の出発点になっています。記事の企画を考えるときも、自分の推しが楽しい企画になるか考えます。自分の推しと新聞をどうつなぐかを考えています。
コンテンツ編成本部次長の阪本輝昭さん
推しがある時代と、なかった時代を考えると、物の考え方が変わりました。新聞記者は取材先から情報をもらい、協力してもらわないと仕事ができません。そう考えると、取材先から私が推してもらわないといけない。朝日新聞のこの記者は頑張っているから協力してやろうと思ってもらわないといけない。
自分の推しはどうやっているのか。推しの姿を通じて、自分の足りないものについて考えるようになりました。推しが日々努力して積み重ねているものから、自分の人間関係を作っていく上で深い気づきをもらっています。
推しができるまでは、結果主義というか、割と乾いた感じの仕事観だったんです。でも、アイドルの世界って、努力を積み重ねてもつかめないものがあったり、運に左右されたりする。そこから勇気をもらうというか、学んだり、示唆を得たり……そういう意味では日々を豊かにしてもらったなと思っています。

家族旅行中に「オンラインお話し会」
生活文化部長の桝井政則さん
そんな中でも、「AKB48」グループが始めたスマホ画面を通してやりとりできる「オンラインお話し会」は、なかなかいいんですよ。握手会だと当然、リアルなんで、その日、その時間に会場まで行かなきゃ行けない。都合が悪いと行けないし、日程調整もあって難しい。でも、オンラインだとどこからでも参加できるんですね。機動力があって便利なんです。
去年の夏休み、家族旅行に行ったのですが、泊まっていた温泉宿で「お風呂にいってくるわ」と言って、誰も来なさそうなところで「オンラインお話し会」に参加しました。推しからは「早く家族のところへ帰りなさい」と怒られちゃいましたが(笑)。
コロナがおさまっても、リアルとは別にオンラインも定着していくんじゃないかな、と思っています。
コンテンツ編成本部次長の阪本輝昭さん
一方で、これまでの握手会を経験した先輩メンバーは、オンライン交流の利点として、これまで遠い位置にあったファンの部屋の様子など、その暮らしぶりなどが見えるようになって距離が縮まってよかったと言っています。さすがに、温泉宿からの参加というのはレアと思いますが……ともかくそのことで、近しく感じられるようになった。けっこう前向きに受け止めているようです。
私自身は、ファンとアイドルは会わずにいても、お互いを考え、思っていることで励ましを得られるというのが理想だと思っています。「AKB48」の「遠距離ポスター」という曲には「どこかで君も今頑張っているのだろう」という歌詞があります。会えなくても、きっと、頑張っているに違いない。そう思い合えるのが推しとファンの理想的な関係なんだと思います。会えない距離と時間が絆を深める面がある、と思っています。
生活文化部長の桝井政則さん

つまり、推しがいると楽しいよ
生活文化部長の桝井政則さん
「NiziU」は、オーディションでメンバーを決めるという最初の仕掛けから面白く、世の中を席巻しました。でも、「AKB48」の第2回から第4回くらいまでの総選挙は「NiziU」の比じゃないくらい、今、考えても異様な盛り上がりでした。それまでアイドルに無関心だった新聞社が世の中でわき起こった熱気におされてAKB48の総選挙を取り上げざるを得なくなった。それくらいの熱がもう一度巻き起こってほしいと思っています。
コンテンツ編成本部次長の阪本輝昭さん
2011年の前田敦子さんの言葉をテレビのニュースでも見ましたが、あの場の迫力は画面越しでは伝わりにくいのではないかと思います。現場にいると、必ずしもそれまでの詳しい経緯や文脈を知らなくても、直感で理解できるところがあります。現場にいたからこそ感じられる空気感、震えみたいなのもあると思います。
コロナ禍は、オンラインでの人同士の交流を活発にしましたが、「オンライン疲れ」という言葉もあるように、微妙なタイムラグが生じたり、ときに空気感やニュアンスを読み取りづらいことがあったりと、逆にストレスになる場合もあります。
同じ空間にあって、お互いに制約のある「時間」をお互いに差し出す。握手会に限らず、ライブやコンサートなども私はそういう場だと思います。「あのとき、同じ場所にいたなあ」と思い返し、時間がたっても心に残り続けるものがある。
技術が進化しても、人と人との関わりが「推し・推され」の本質であるという部分は今後も変わらないと思います。
生活文化部長の桝井政則さん