エンタメ
MAXのMINA 小1娘が「学校行きたくない!」誰にも相談できない日々
ある日、校門に担任の先生が……
沖縄出身のダンスボーカルグループMAX。1995年にデビューしてから今年で25周年を迎えました。10代だった「スーパー・モンキーズ」時代から音楽業界が様変わりした今、第一線で走ってきた4人は何を思うのでしょうか? 仕事や子育て、自分自身の活動など、それぞれが切り開いた道について語る「MAXコラム」。長女が小1に進級するタイミングで、MINAさん一家は沖縄から東京へ引っ越しをしました。当時、新しい環境に慣れなかった長女とMINAさん。その中で、ある先生との出会いが忘れられないと振り返ります。
東京に家族で引っ越しをしてから、今年で10年になります。
東日本大震災のあった年に、上京してきました。
出産を経た2008年、30歳でMAXに復帰し、その後2年間は沖縄と東京間を「通勤」していました。LIVEのリハーサルがあるとなかなか沖縄に戻れず、1カ月以上家を空けることもありました。2人の子どもたちの顔を見に、深夜便で沖縄に帰り、朝一便で東京へ戻ったことも。私がいると元気な子どもたちも、私が東京へ行った途端におなかをくだしたり、熱を出したり……。精神的に辛かったんでしょうね。当時を思い出すと、今でも辛い気持ちになります。
もっと子どもたちと一緒の時間を過ごしたい。その思いが強くなり、一家で東京へ引っ越すことを考えはじめました。でも、引っ越しに関して、両親は大反対でした。もう少し落ち着いてからでも良いのではと何度も家族会議を開きましたが、「娘が小学校に上がるこのタイミングしかない!」と半ば押し切って上京したのです。
私たち夫婦は共働きです。いざという時にサポートしてくれる両親の元を離れることは、大きな不安でもありました。それでも子どもの精神状況を考えて、4人で沖縄を離れることを決めました。
4月になり、新しい環境の中での生活が始まりました。沖縄で育った私には、全く想像の付かない東京での初めての子育て。都内の小学校に入学した長男と長女。お兄ちゃんは3年生、娘は新1年生。お友達がひとりもいない中での新生活でした。お兄ちゃんはありがたいことにすんなり新しい学校に溶け込んでくれました。
娘の方は、大きな環境の変化が2つも重なり、気持ちが追いつかなかったのでしょう、学校に通い始めて1週間後にある事件が起きました。
「学校に行きたくない!」と朝から泣きはじめるのです。そうですよね。だってまだ6歳ですもの……。
今まで全く手のかからなかった娘の初めての姿に私もどうしていいかわからず、とりあえずどんな時間になっても毎日学校へ一緒に行きました。教室で一緒に授業を受けたこともあります。とにかく私が学校に慣れなきゃいけないと思い、PTA役員にもなりました。半ば押し切って上京したこともあり、両親に心配をかけてはいけないと、誰にも相談はしませんでした。
1カ月近くそんな日々を送ったある朝、学校へ行くと、娘の担任の先生が玄関先で待っていてくださいました。「お母さん今日までよく頑張りました。あとは私が悪者になります」と……。
担任の先生は毎日私の話を聞き、ずっと見守ってくれていたのです。きっとタイミングを見計らっていたんでしょうね。娘は先生と一緒に教室へ……。その姿を見て、胸が張り裂けるほど苦しくなりました。娘にこんな苦しい思いまでさせて、東京への引っ越しは私のエゴでは無いかと。溢(あふ)れ出る涙を拭いながら仕事に向かいました。
ただ、その日を境に娘がコロッと激変したのです。朝泣くこともなく、元気に学校へ。その後は、同じように寂しくて泣いていたお友達を助けるまでに成長したのです。その時のことを娘と2人でよく話すのですが、何で学校に行けるようになったかは、本人もよくわからないそうです(苦笑)。
それ以来、高校生になる今日の今日まで、一日も学校を休むことなく皆勤賞!慣れ親しんだ環境から離れ、乗り越えた試練は私たち親子を大きく成長させてくれました。その担任の先生は、私たち親子にとって忘れることのできない大切な恩師です。
もちろん、人によっては無理に学校に行く必要はないと思います。私たちの場合、恩師が娘の様子を見守ってくれた上で適切な判断をしてくれたのだと思っています。
卒業式で歌われる「旅立ちの日に」の中に「いま、別れのとき 飛び立とう未来信じて」というフレーズがあります。別れや試練の後には、必ず心を温めてくれる出会いが待ってくれているんですね。
1/174枚