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連載

#1 おかんジュンコの謎メシ

「お母さんの手料理」の普通って?「愛情=おいしさ」じゃなくていい

「手作り信仰」と「手抜き」の呪い

「手料理」をめぐる「普通」。おいしいって誰が言い出した?
「手料理」をめぐる「普通」。おいしいって誰が言い出した?

目次

フツウって一体何なのでしょうか。「こうあるべきだ」という、固定概念のような、同調圧力のような「フツウ」を認識しながらも、自分は「そっち」ではない、と思っている人も少なくないのではないでしょうか。

今年はポテサラが流行語に入りそうなほど、「ポテサラは家で作るのがフツウなのか問題」についての議論が白熱しましたが、料理が苦手な筆者の母・ジュンコの口癖は「ウチはウチ」。買おうが作ろうが、自分がやりたいように、がモットーです。そして奇跡の謎メシを作り続けられても、子どもはたくましく育ちました。新型コロナウイルスで「家庭料理」の存在にも変化が起きる中、「お母さんの手料理」について考えてみました。(文と漫画・吉河未布)

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コロナで増えたパスタの供給量

時代とともに、「家庭料理」の概念は変わってきた。冷凍食品やレトルト食品はもとより、フリーズドライ、パックご飯、缶詰、そしてできたての惣菜など、“ザ・料理”をしなくても、あっという間に食卓に美味しいものを並べられる。

コロナで売上が好調なものに、パスタがある。外出自粛になったとき、パスタ及びレトルトソースなどの関連商品がスーパーの棚からごっそり消えたものだが、実際、日本パスタ協会のレポートによれば、今年3月以降のパスタ国内供給量は顕著に増加。1~7月の国内供給量は前年同期比17.2%増になっている。売れる理由は間違いなく、「簡単に一品できる」うえ、具材のバリエーションも豊富だからだろう。

簡単に調理できるものが人気になる一方で、「手作り信仰」はまだまだ根強い。惣菜のポテトサラダを買うことを躊躇させる一言、一人暮らしをしている人はほぼ100%聞かれる「自炊してるの?」という質問、気合いをいれるバレンタインは手作りで……。

大体、手抜きとは何なのか。どこからが手抜きなのか。逆にいえば、どこからが「料理」なのか。

「手抜き」と「手間抜き」

味の素公式Twitterの中の人は、惣菜や冷凍食品は「手抜き」ではなく「手間抜き」としたが、そもそも何を「手間」と思うかは人それぞれ。TOKIOばりに、餃子の皮の材料となる小麦を畑で作るところから始めなければ手間抜きだと考える人もいるかもしれない。そうそういないと思うけど。

手抜きというのは「雑に作って見せかけを整える」ことだと私は思っている。その意味で、ステップが少なくても、丁寧に処理されているものなら手抜きではない。手抜き工事が問題になるのは、その耐久性などが心配だからであって、旧来の工程をすっ飛ばして頑丈で立派なものができるなら、それに越したことはない。むしろ画期的だろう。

自称“質重視”だった母・ジュンコ

ところで私の母・ジュンコは、「人は人、ウチはウチ」が口癖で、自称“質重視”。見た目はまったく気にせず、「お腹に入ったらみんな一緒」という暴論である。主婦であっても、料理はなるべくしたくない。しかし子どもたちの体は丈夫にしてやりたい。

かくして、栄養だけは一応考えられているものの、「味付け」や「食べ合わせ」には基本無頓着な料理が並ぶ家で育った。ミートソーススパゲッティにおでんの残りものが入った闇味噌汁、健康のためと酢がかけられた激酸っぱい大根おろし。お弁当のおかずはバランなんて気の利いたものは使わず、いちごと煮物が隣り合わせ……。しかも好き嫌いが許されないから始末が悪い。

「愛情=おいしさ」じゃなくてもいい

手料理、お母さんの料理はおいしいもの、ありがたいもの、というイメージがある理由は、わからなくもない。たしかに愛情がなくては、無償で人のためにご飯など作れまい。子どもが好きそうなものを工夫して作られたご飯は、おいしいことが多いだろう。しかし愛情がこもっているはずの料理がすべて美味かと言えば、微妙なこともあるのが現実だ。

高校を卒業すると、私は母に「ご飯は何も作らなくていい」と口酸っぱく言うようになった。母も、成長期が終わった子どもにあれを食べろこれを食べろとはパタッと言わなくなった。自分が食べたいものは自分で作る。おかげで料理が好きになった。ヘンなものに慣れていたので、他人が作ってくれるものは大体ありがたくいただけるようにもなった。

ある時、実家に帰ったら、母はなにやら栄養満点のお粥を食べていた。部屋中にただよう“質重視”の香り……。「あれ、青汁はあまり加熱しないほうがいいんじゃなかったか……?」。今度こっそり調べておこうと思う。

 

時代とともに「家庭料理」の概念は変わってきました。2020年はポテサラが流行語に入りそうなほど、「ポテサラは家で作るのがフツウなのか問題」についての議論が白熱しました。固定概念のような、同調圧力のような「家庭料理」の「フツウ」について、ネットメディア編集者の吉河未布(Y嬢)さんが、ちょっと型破りな「おかんジュンコの謎メシ」を通じて考えます。

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