話題
マツコが持つ「説得力」の源泉、高校生で知った「攻撃される美学」
ナンシー関と重なる「諦め」の視点
ORICON NEWSが10代から50代の男女1000人に調査した『好きな“芸能界のご意見番”ランキング』で、2019年に続いて二連覇を達成したマツコ・デラックス。その人気は衰えるところを知らない。現在、8本のレギュラー番組を抱える売れっ子のマツコだが、なぜここまで求められ続けるのか。これまでの半生をたどる際にあらわれる人物が、コラムニスト・ナンシー関だ。2人の生い立ち、そして「伝説の対談」とも言える記事から、マツコのその源泉を探る。(ライター・鈴木旭)
マツコ・デラックスの独特の立ち位置は、幼少期の頃からすでに確立されている。
ゲームやファミコンに熱中している子どもたちを見て、マツコは“子供だな”と冷めた視線を送っていた。当時から話術にはたけており、優等生もやんちゃな子も、こぞってマツコに集まってきた。ただ、肝心のマツコ自身の心は満たされず、不登校になったこともあるという。
思春期の頃になると、マツコは「女性になりたいわけではなく、女装がしたい」というような自分自身の複雑な気持ちに気づき、思い悩むようになる。
資生堂のPR誌「花椿」を見て、はっきりとメイクや服飾の世界に興味があると認識した。「もうこうなったら、なるようになれ!」と意を決し、女装するようになったのは地元・千葉県の高校に通っていた頃のこと。高校3年の時には、コンビニのトイレで服を着替え、メイクを施し、倉庫街のクラブ「芝浦GOLD」に足を運ぶようになった。(上記はすべて『デラックスじゃない』(双葉社)より)
高校の同級生に、元SMAPの木村拓哉がいたというのも因果なものだ。2015年11月に放送の『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)で、木村自身がマツコと同じ高校に1年間通っていたことを明かしている。思春期の多感な時期に、男性アイドル、しかも後々国民的スターになるような人間がいた、という環境は、マツコでなくとも影響は大きいだろう。
高校卒業後、マツコは美容学校に進学。卒業後、一度は美容職に就くも、なにか違うと感じていた。そんな時、テレビに映るゲイ・アクティビストの姿を目撃する。これをきっかけとして、ゲイ雑誌「バディ」の編集部でアルバイトすることになった。
その後、同誌の記者・編集者として5年ほど勤めるも、人間関係を理由に退社。以降2年間、実家へ戻り引きこもり生活を送った。高校の同級生60人以上に電話し、仕事や学歴などを比べて「誰が一番不幸か」を確認して自らを傷つけるようなこともした。(ウェブ版NEWポストセブン「マツコ 引きこもり時代に同級生の「幸せランキング」作る」より)
そんな自暴自棄な生活を続けていたところ、ついには実家からも追い出されてしまった。
そんなマツコに転機が訪れる。小説家・中村うさぎから、対談集『人生張ってます』(小学館)のゲストに抜擢(ばってき)されたのだ。中村は前述の「バディ」で、マツコの編集者としての秀逸さを見抜いていた。状況をのみ込めぬまま、マツコは対談の仕事を受け入れた。
中村から「あんたは書くべき人間」との勧めもあり、マツコはコラムニストとしてデビューする。しかし、それだけでは生活は苦しかった。ナイトクラブに出演し、ドラァグクイーンとしても働いた。足りない時は、消費者金融を頼った。しばらくすると、「週刊女性」(主婦と生活社)から連載の声がかかり、外見のインパクトやトークスキルの高さにも注目が集まって、テレビからも出演依頼が舞い込むようになった。
おすぎとピーコの人気が落ち着いて以降、いわゆる「おねぇ枠」を一手に担っていたのはヘアメイクアーティストのIKKOだった。その後を追うように、マツコは、自身のキャラクターをいかしながら、 “クレバーな発言”で頭角を現していく。ミッツ・マングローブとともに次第にテレビで引っ張りだことなり、「おねぇ枠」を超えた人間力の高い存在として、世間から支持されるようになっていった。
マツコの言葉には、どうして説得力があるのだろうか。その片鱗(へんりん)をのぞかせるのが、雑誌「クイァ・ジャパン(vol.3)魅惑のブス」(勁草書房)内の企画「魔女会議」での発言だ。
「魔女会議」は、マツコとコラムニスト・ナンシー関、同誌の編集長である伏見憲明氏の3人が、“性”をテーマにトークを繰り広げる鼎談(ていだん)だ。しかし、それにとどまらず、それぞれが「差別にどう対応してきたか」「テレビに対する考え方」などを知ることもできる興味深い内容になっている。
マツコは小学校の低学年で、このままでは「ただの太っている人間」になると自覚していた。そこで、4年生の学芸会で女装し、並木路子の「リンゴの歌」を歌った。選曲が渋すぎたこともあり、同級生からの反応はまずまずだったが、そこでマツコは「どうしたら人々にもてはやされるのか」を悟ったという。
発想の転換一つで、それまでとは違うヒエラルキーが構築できる。マツコにとって女装は、世間の目を引きつけるための武器だった。
マツコは、テレビで放送される笑いには限界があると考えている。「魔女会議」以前に訪れたという立川談志の高座を例に挙げ、たとえば障害者を取り上げるときも「下ネタはもちろんのこと、当事者ですら思わず笑ってしまうような」ネタはテレビでは難しい。本当の笑いとは「ある意味で毒」であり、「制約のないところでの笑い」だと語る。
ただ、だからこそ、萩本欽一が築き上げた毒のない笑いは「ものすごいこと」であると称賛し、テレビの放送コードや倫理上の問題で、お笑い芸人が本来得意とする武器を出せないことに同情も寄せていた。
マツコは、こうした制約を知りながら、自分の居場所をつくってくれたテレビに身を投じている。「本当の笑い」はここにない、ということを認識しながら、ギリギリのところでパフォーマンスを見せているのだ。
また、もう一つ「魔女会議」で注目すべきは、マツコとナンシーのタイプの違いだ。マツコの鋭い批評性は、39歳という若さで亡くなったコラムニスト・ナンシー関とたびたび比較される。その共通点と相違点がどこにあるのか、いつくかピックアップしてみよう。
まず「学生時代に嫌われたことがあるか?」という話題では、ナンシーが「とりあえず記憶ではない」という返答に対して、マツコは「目立ってる人間」だった半面で「すごいバッシングも受けました」と口にしている。
女子高に通っていたナンシーは、役割として自然と「男子を担う」ようになっていた。そのことで、女子特有のバッシングは受けなかったようだ。マツコは、周囲が成長して「自分の存在」を意識し始めた頃にバッシングを浴びるようになった。ただ、抜群に頭がよかったり、運動ができたりする生徒からは好かれており、二番手、三番手につけている「煮え切らない人間」から嫌がらせを受けていたと補足している。
その経験から、マツコは「自分のオカマプライドみたいのが、少しずつわかり始めた」と語っている。バッシングを受けたことで、「攻撃されることの美学」を認識し、高校生の時点で「好かれるか嫌われるかはっきりしたほうが、生きやすい」と感じるようになった。
マツコはナンシーと違って、意識的に「嫌われる」ことを選択しているのだ。
もう一つ、興味深いのが「“デブ”と言われて、相手の身体的欠点を突けるかどうか」に対する二人の見解だ。マツコとナンシーは、小学生の頃から大柄な体形だったことで共通している。そのため昔から二人とも、“デブ”と言われることが多かったという。
ナンシーは、足の不自由な男の子とよくケンカすることがあった。その時、相手から「デブ」と言われても、言い返せずに毎回押し黙ってしまったそうだ。「やっぱね、それは私は分別があるんで言えない」と当時を振り返っている。ナンシーは、物事が「フェアであるか」に敏感だった。
これに対してマツコは、「アタシだったら、その場で、相手の知りうるかぎりの欠点をつきまくるわ!」と口にしている。感情を素直に出せるという点は、人前に出る職業には有利に働く。また、この発言からも負の感情をおさえるのではなく「どう出すか」への意識が見えてくる。
伏見氏は、ナンシーの発言に対して「分別とかリベラルな思想があると、人は負け続ける」と言及している。相手の立場を理解してしまうことで、本気でケンカすることができないという見立てだ。私もナンシーの鋭いテレビ批評は、対象者となる著名人への毒ではなく「研ぎ澄まされた分別」がベースにあったと考えている。
一方のマツコは、幼少期から大人びた感性を持ち、早くから「自分が何者であるか」という本質と向き合ってきた。さらには自身が共鳴する場所へと足を運び、成功と挫折を繰り返したことで、経験則としての処世術をも獲得している。だからこそ、専門家や文化人にはない「真理」が、マツコの言葉に宿っているのだと思う。
マツコが好きな“ご意見番”で連覇 pic.twitter.com/FHkFOZxWgO
— ORICON NEWS(オリコンニュース) (@oricon) June 4, 2020
最後に取り上げたいのが、「自分に好意を寄せる相手に対する行動」の相違だ。異性のファンから、「あなたに興味がある」という手紙をもらっても、ナンシーは「おっかない」と会わなかったという。
マツコはこれに対し、過去にデブ専である美形の男性と関係を持ったことがある。しかし、たとえ恋人でも一緒に外を歩きたくないと口にするようなタイプだった。マツコは、そんな彼のデブはただの「セックスの対象」という価値観を受け入れられず、交際には至らなかった。
その後、「デブであること」が嫌になり、140kg以上あった体重を半分以下の68kgまで落とした。マツコ自身、「一種の摂食障害」だったと当時を振り返っている。
異性からのアプローチに奥手だったナンシー、 “人の業”に振り回された経験を持つマツコ。経緯こそ違うが、二人は結果的に“性”に対して一定の距離を保っている。
「魔女会議」の中で伏見氏は、“過剰な女性性は、逆説的に男っぽい”という趣旨のことを話しているが、マツコとナンシーは、その点において中性的な存在といえる。それぞれの忖度(そんたく)のない批評性は、この事実に裏打ちされている気がしてならない。
また、マツコは“性”にアイデンティティーを委ねるのではなく、意識的に自分らしいものを選択している。「女性になりたいわけではなく、女装がしたい」という志向から見えてくるのは、自分の感覚に忠実であることの切実さを優先する意識だ。だからこそ、マツコの言葉はリアリティーを持つのだと思う。
ナンシーとマツコに共通するのは、他人に対するある種の「諦念(ていねん)」だ。冷静な分析ができる根底には、「人間なんてそんなもの」という俯瞰(ふかん)的な視点があるに違いない。
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