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見知らぬ家に投げた小石、僕はドラムが見たかった… 39年前の思い出
1981年の春。どこからかドラムを叩く音が聞こえてきて、僕の人生は変わった。
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1981年の春。どこからかドラムを叩く音が聞こえてきて、僕の人生は変わった。
「ドンドンタン、ドカドンタン……」。1981年の春、中学1年の平井景が剣道の練習を終えて家路についていた時、ドラムを叩く音が聞こえてきた。
音がする家を突き止めて裏の空き地にまわると、雨戸が閉まっていた。
音楽番組「ザ・ベストテン」に映るドラムセットを見ては「かっこええ!」と思っていた。菜箸を持ってお盆やタッパー、椅子を叩きまくっていた。
一度でいいからドラムセットというものを、この目で見てみたい。気づいたら小石を手にとって、雨戸の閉まった窓に向かって投げていた。
「中にいる人が顔を出してくれるはず」。自分の気持ちが最優先で、相手に迷惑かけることなんて頭の隅にもなかった。
音が止まったタイミングを狙って何度も投げた。「カチャーン」という雨戸に当たる音が響いたが、なかなか人は出てこない。
小石を何個投げたかは覚えていない。しばらくして、ついに雨戸が開いた。出てきたのは大学生のお兄さんだった。
すかさず「ドラム叩いてるところを見てみたいんですが」と声をかけた。怒られることはまったく考えていなかった。
お兄さんは「ええよ。そしたら表から入って来て」と言ってくれた。
体操座りをしながら演奏する様子を見ていたら、「叩いてみる?」と声をかけられた。
最初は「えっ、そんなん結構です」と断った。でも本当は叩きたかった。「そうですか……それじゃ」と、座らせてもらった。
初めて握る本物のスティック。菜箸に慣れていた僕にとっては、随分太くて重く感じた。
憧れていた「パカパカ踏むシンバル」に足を乗せ、「ドンドンタン、ドカドンタン」と叩いてみた。菜箸で練習していたためか、いきなりリズムらしきものが叩けた。
お兄さんは「結構、叩けるやん」と言ってくれて、「それ使わないやつだから」とスティックを僕にくれた。
その後も何度か訪ねたが留守だった。そのたびに彼のお母さんが「ドラム叩くだけだったら、ええよ」と部屋に上げてくれた。
そんなことが2~3回続いた後、次第に剣道部が忙しくなり、ドラムを叩きに通うことはなくなった。
中学2年生になり、高校生バンドからメンバーとして誘われてドラム担当になった。奈良高校に入学して、初めて自分のドラムセットを手にした。
上京して東京工業大学に入ってもドラムは続け、卒業する頃には六本木にあった有名なライブハウスで演奏できるほどの力をつけていた。
周りがみんな大学院に進学するなか、「迷ったら自分にとって、より厳しい方の道へ行こう」とプロドラマーとして生きると決意。
自主レーベルを立ち上げて、50歳になるまでに3枚のオリジナルアルバムをリリース。ミュージシャンのプロデュースやテレビ番組の音楽なども手がけている。
プロになったきっかけは? ドラムとの出会いは? そんな質問を受けるたびに、雨戸に向けて石を投げた話をしている。
20年ほど前、故郷の奈良でライブを開催した際に、お互いの母親を経由してお兄さんをライブに招待した。
終演後、彼の姿はなく、会って話をすることはできなかった。
そして昨年春。知り合いに“窓越しの出会い”を話したら「石が飛んできた大学生はどう思ったんでしょうね」と尋ねられ、もう一度母親経由で連絡をとって、電話をかけた。
お兄さんは故郷の奈良ではなく、大阪で会社員として働いていた。
約40年ぶりに聞いた控えめな口調に「そうそう、こんな人やったわ」と懐かしくなった。
先輩風を吹かせるでもなく、「叩いてみる?」「ええやん」と言ってくれた、あの声だった。
音量を調整して練習できる電子ドラムの話題になり、「当時あったら、きっと買っていた」とお兄さんは言った。
でも、それじゃ困る。きっと僕はプロドラマーになっていなかった。
離れた通りまで伝わってきたあの振動。初めて聞いた生音に僕の魂は震えた。
記憶はあいまいになっても、あの時聞いた音は忘れていない。それが僕にとっての原体験で、音楽を続ける理由だから。
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