連載
#54 #となりの外国人
列島を縦断した中国人が気づいた現実 少子化の実態、農家の懐事情
中国人男性の許飛さんは、2016年、日本列島を80日間かけ鉄道で縦断しました。その後、日本人落語家と一緒に中国縦断の旅にも出て、2冊の本を出版しました。「日本の温かさが魅力」という許さんは、旅と文化体験を通して両国のつながりを深めようと思い、旅行会社の設立を計画しますが、新型コロナウイルスによって塩漬けに。それでも「いつか、旅行を通して草の根の相互理解を深めていきたい」と語る許さんに、これからの夢を聞きました。
中国安徽省出身の許飛(シウ・フェイ)さんは、2005年に入った中国・浙江省にある浙江大学大学院の修士課程で日本語を学びました。
「勉強のために見た関口知宏さん(関口宏さんの息子)の旅番組『鉄道の旅』の中国編にはまりました。DVDを購入して何度も見ました」
2014年7月、当時、働いていた通信機器の会社「ZTE」の東京支社に赴任し、日本での生活が始まりました。しかし1年間、東京で仕事をして思ったのは、「みんな忙しいので仕方ないのですが、人間関係に親しさを感じにくかった」。
「旅に出てもっと日本を知りたい」。その時、頭の中にあったのは、大学院時代に見た関口さんの旅番組「鉄道の旅」でした。
2015年9月に仕事をやめて、日本縦断の旅に出る決断をしました。
2016年2月、許さんが好きだった冒険小説『八十日間世界一周 』にちなんで、80日と設定した鉄道の旅を始めました。毎日の見聞をSNSにアップしました。
地方では「温かい人間味を感じることが多かった」と言う許さん。
日本縦断の旅をしていることを話すと、入ったお店の人がよくサービスをしてくれたそうです。
「ラーメンを頼んだら、無料で大盛りにしてくれました。味付け卵をもらったこともあります。みかんやリンゴの果物をくれる人もいました」
山口市で出会ったパン屋のおばさんとは「爆買い」について語り合いました。
おばさんは「中国は宇宙開発や、潜水艦などが作れるようになったのに、なぜ粉ミルクや紙おむつなどを、日本で爆買いするの? 日用品を、もっと真面目に、もっと心を込めたら、もっといい製品が作れるのに……」と聞いてきました。そして「あなたが若いから言っただけですよ。あなたの子どもたちが日本で爆買いしないように」と、パンをプレゼントしてくれたそうです。
許さんは、「恥ずかしさと感謝の気持ちでいっぱいでした。将来、自分の子どもが日本で爆買いしないために、自分の出来ることを、いっぱい考えさせられました」と話します。
旅での出会いから、両国について、また、生き方について深く知ることができたという許さん。
この80日間の鉄道の旅は、2018年3月に『従雪花到桜花(雪から桜へ)』という題で本にまとめて、中国で出版されました。
そして、今度は反対に、日本人に中国のことを知ってもらうおうと、一緒に80日間の中国鉄道の旅に出かけられる日本人を探しました。友人の紹介で日本人の落語家入船亭遊京さんが同行。その体験は『従東瀛到東土(東瀛(日本)から東土(中国)へ)』という題で、中国で出版する予定です。
許さんが旅を通じて考えきたのは「旅で日中両国の溝を埋めていきたい」という願いです。
許さんは日本の自然環境について、空気、水が「ダントツにきれい」と話します。
「中国にいたころは、アレルギー性鼻炎がありました。日本に来て、ほとんど治りましたが。中国に戻るとやはり再発しました。環境と健康は直結しているなと感じました」
許さんが感じた違いは、都市の風景の中にもありました。
高層ビルや道路など「ハード面」は中国の大都市も、日本の都市部もあまり変わりはなく「むしろ、中国の大都市の方が、日本よりも進んでいることもあります」と許さんは話します。
一方で、「細かいところ、たとえばマンションの管理、公共トイレの清潔さ、接客のサービスなど、『ソフト面』はまだまだ日本の方が進んでいます」と言います。
旅の中で、許さんが注目したのは、農産物の価格でした。
安徽省の農村出身なので、旅先では農産物や農家をよく観察していました。
「日本は農産物の値段が高いので、農民の収入が保障されているようです。中国では農産品の値段が低く、農民は農業だけで食べていけないので、出稼ぎ労働者が多くなります。
最近は、中国のスーパーでも野菜や果物の値段が高くなりましたが、利益のほとんどはお店のような流通に流れてしまい、農民の収入増につながっていません。日本の農協(JA)制度は非常によいと個人的に思います」
ただ、中国では「農産品の種類は日本より豊富」と感じたそうです。
広い中国では地域によって異なる農産品があり、たとえば、中国の北方地域ではよく食べる「凍梨」(天然で凍らせた梨)が人気です。「スーパーの店頭に置かれる野菜の種類は、日本の2から3倍ぐらいある気がします」
許飛さんが日本の地方都市で特に不安に感じたのは「少子高齢化」でした。
「中国も少子高齢化が危惧されています。農村の場合、若い人たちはたくさん出稼ぎに出てしまい、おじいちゃんおばあちゃんばかりのところはあります。それでも、いちおう留守児童と呼ばれる、両親が都市部に出稼ぎに行き、祖父母世代に育てられる子どもたちが、村に残っています。でも日本の地方は、本当にびっくりするぐらいに人が少ないです」
特に県庁所在地以外の、小さい町や村での光景に、衝撃を受けたそうです。
「空き家が多く、半日歩いても誰とも会わなかった日がありました。そして人と会っても、ほとんどはお年寄りです。若者や子どもは本当に少なく、心配になるぐらいでした村の駅には、ほとんど人影がありませんでした。中国ではまだ、どこの駅も、ごった返して、人が多いですが……」
旅を通して感じていたもう一つの違いは、「静かさ」だそうです。
「公共の場でも、中国はすごく賑やかで、人々は高い声で話すことがよくあります。電車の中でも変わりませんが、日本では、みんな黙っていて、中国よりずっと静かです」
「静かさ」の違いは、住宅地にもありました。
中国ではマンションが集まる場所(いわゆる「小区」=団地、コミュニティ)では、夜でも多くの人が散歩に出かけたり、隣人とおしゃべりをしたりすることが一般的です。でも、日本の場合、たとえばマンションの各部屋明かりがついていても、マンション付近の道にはあまり人影が見当たらないと言います。「日本の住宅街は、圧倒的に静かです」
日本と中国で、いろいろ違いはあったものの、共通することもありました。それは庶民、とくに地方の人々の温かさだと言います。
日本では、無料で大盛りのラーメンや味付け卵をサービスしてもらったり、自家製のパンをもらったりしていた許さん。中国でも、日本人の落語家を連れて旅したところ、暖かい人たちに出会いました。
たとえば、砂漠と黄河で有名な寧夏回族自治区の中衛市に行った時のこと。タクシーの運転手は親切に解説しながら「ガイド役」までつとめてくれました。感謝のつもりで、約束の料金より多く渡そうとしましたが、運転手は「大したことはやっていないので」と受け取ろうとしませんでした。
新疆ウイグル自治区へ行った時も、ウイグル族の方は、許さんと遊京さんが観光客だと分かると、地元特産の甘いスイカをサービスしてくれました。
些細なことですが、旅の中で、人の温かさを多く感じたそうです。
すっかり旅の魅力にはまった許さんは、旅行を通して日中両国の間の相互理解も深めたいと思うようになりました。
そのため、中国で中国語と日本語両方のガイド資格を取りました。
2019年の8月に、ふたたび日本に移り住み、旅行会社の立ち上げなどの準備をはじめました。
すでに多くの旅行会社が日本にある中で、許さんは「日本の文化をたっぷり体験できる旅」にフォーカスしようと、「日本まつりの旅」というテーマを決めました。
日本の素晴らしい自然風景を紹介するだけではなく、日本の伝統手芸、工芸品なども中国の人々に伝えたいと話す許さん。「最近は、中国でも製品の質を高めようと、日本の『職人技』(中国語「匠人精神」)に関心が集まっているのです」
「日本の祭り」に注目したのは、日本は春から秋にかけて、全国各地でたくさんの祭りが行われており、神輿の制作、音楽、舞踊、儀式など、文化的な価値も高いと感じたからです。
下見のため、今年6月から、80日間の祭りの旅をする計画でした。
そんな許飛さんの計画に打撃を与えたのが新型コロナウイルスです。
コロナの影響で、日本各地で祭りの中止が相次ぎました。旅の計画だけでなく、旅行会社の設立もしばらくは難しいと感じています。
妻と子どもを中国に残し、単身赴任で日本に来た許飛さんですが、いずれ、家族と一緒に日本に根を下ろしたいと考えています。
旅行会社設立の夢を大事にしながら、現在はITエンジニアとして働いています。世の中が激動していますが、「しっかりと仕事をして、お金を貯めたいです。中国で出版した本は日本語訳にして、日本でも出版できたらいいな。祭りの旅のスポンサーも探さないといけないですね」と笑いながら、明るく夢を語ります。
「いつか旅行会社の設立を実現させて、中国人観光客には日本の文化の素晴らしさを提供したい。また、中国の魅力も日本の人々にもっと知ってもらいたいと思います。旅行を通して草の根の相互理解を深めていきたいです」
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