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「松本伊代」同姓同名の芸大院生が「本人」に連絡、返ってきた答え
2月2日まで開かれていた東京芸術大の卒業・修了作品展で、ふと気になる作品がありました。ブラウン管テレビから流れるムービー、どこかレトロな感じの雰囲気を出しています。よくみると、「THE IYO MATSUMOTO SHOW」。そして、作者はデザイン科修士2年の「松本伊代」さん。松本伊代さん!? 同姓同名の縁が結んだ「作品」の物語について聞きました。
松本伊代さんと言えば、「伊代はまだ16だから~」の芸能人です。世代を超えて知らない人はいないアイドルです。
さっそく作者の松本伊代さんに作品について伺ってみました。
これ以降は紛らわしくなってしまうので、芸能人の松本伊代さんを「伊代さん」、芸大院生の松本伊代さんを「松本さん」と表記します。
まずはやっぱり、名前の由来から聞きました。
「伊代」と言う名前は同姓同名を狙ってつけられた名前だそうです。伊代さんが幸せそうにしているので、幸せになれそうだし、画数も良い。家族で話し合ってすんなりと決まったそうです。「親には、男だったらマツモトキヨシだったよと言われてます」
芸能人と同姓同名の人生。正直嫌な思いをしたことはないのかなと思って聞くと松本さんは「全然マイナスなことはなかった」と言います。
「小中高と上がって、最初に先生が名前を読み上げるとき、他の人と違う間があるんです。そんなときに『オイシイな』と思っていました」
松本さんは、出たがりな一方で人見知りなタイプだと言います。そんな松本さんにとって名前が勝手に自己紹介してくれ、話題づくりをしてくれる良い武器になっているそう。「伊代さんとは違うキャラだけれど、私の性格にぴったりとはまった名前です」と誇らしそうに語ります。
母親も東京芸大を卒業している松本さんは、自身も東京芸大に入りました。大学院まで進学し、デザイン科の学生として最後の作品。テーマは自身の名前にしました。「勇気もいりました。社会に対する思いを込める人もいる中で、めっちゃ『私です』っていう作品じゃないですか。でも、印象のある人と同じ名前で、自分も幸せだという証明がしたかったんです」
作品をつくるにあたり、松本さんは伊代さんに是非会ってみたいと考えたそう。
とはいえ、つながりは何もありません。だから、伊代さんの所属事務所のメールフォームに作品への思いを込めたメッセージを送りました。
「本物の松本伊代さんに会いたいなって思って。あ、私も本物なんですけど。(笑)」
すると、思いが届き、マネジャーさんから返事が来たのです。
卒業制作の期限が迫る中で、すぐに会える日をセッティングしてもらい、ついに会うことが出来ました。
伊代さんの移動の合間を縫って会った2人は一緒に食事をしました。2人ともグリーンピースが苦手なことなどを語り合い、別れ際には名前についても触れました。
松本さん「でも、すごい、(同じ名前で)良かったなと思って」
伊代さん「なんか名前覚えられたりとか?」
松本さん「そうですね、先生とかくらいの世代がちょうどハマるので、覚えてもらいやすかったです」
伊代さん「うふふ。それこそ得したこと損したこと見たいな(笑)」
松本さん「そうですね。得したことしかないです」
伊代さん「私めっちゃ自分の名前嫌いだったの」
松本さん「え!そうなんですか!」
伊代さん「私の時代はなんかみんな、かわいいなんとか子みたいな。なんかまあよし子はちょっと古いけど、なんだろ、なんとか子がついている子が多かったから、そんな名前が良かったな~ってずっと。ちっちゃいときは思ってたけど」
松本さん「へえ~。でも、かわいいですよ」
(2人が会ったときのやりとりをそのまま書き起こしたものです)
羽子板屋でバイトしていた松本さんは自分でつくった羽子板をプレゼントしたそうです。「テレビで見たままのキラキラした方でした。まだ作品をどうするか決めていませんでしたが、お会いして方向性がはっきりと決まりました」と振り返ります。
伊代さんに映像作品に使う動きをしてもらった松本さん。その動画をトレースして映像作品に入れ、2人はついに共演を果たしたのです。
自分についてを描いたこの映像作品。音楽の作曲、演奏などもすべて松本さんが行いました。ブラウン管テレビが入った台も自作です。そして、会場に貼られた作品説明では、伊代さんへの感謝とともに両親への感謝も綴られています。
「人生の中で何度センチメンタルジャーニーを歌わされたことか、それをおいしい、と感じる人間に育ててくれた両親に感謝します」
展示中は恥ずかしさもあり遠巻きに来場者の様子を眺めていたという松本さん。その一方で作品制作を通じて、名前への愛着も深まったそうです。「『松本伊代』としてキャラクターを出していくきっかけづくりになりました」
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