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<金正男暗殺を追う>「いたずらキス」は暗殺訓練? 秘密の度胸試し
「いたずら番組の撮影」と称して金正男(キム・ジョンナム)氏に毒を塗ったとされるベトナム人のドアン・ティ・フォンさん(31)は、事件前に繰り返し「テスト撮影」に挑んでいた。通行人に声をかけ、やにわにキスをして驚かせる。そんな撮影は実のところ、正男氏を殺すための「予行演習」だったと、マレーシア捜査当局はみている。(朝日新聞国際報道部記者・乗京真知)
フォンの供述調書によると、テスト撮影が始まったのは2016年の暮れ。クリスマスのころだった。
その日、韓国のカメラマン「ミスターY」を名乗る男が、フォンの携帯電話に連絡してきた。「きょう撮影をしたい。午後3時、(ハノイ)の劇場の向かい側に来てほしい」。ミスターYは少し前に、ハノイのバーで撮影話を持ちかけてきた男だ。
ミスターYは待ち合わせ場所に、キャノン製のカメラを持ってきていた。撮影の要領を説明し、通りすがりの東アジア系の中年男性を指さした。「(中年男性に)話しかけた後、ほおにキスをして驚かせるんだ」
フォンは指示に従った。中年男性に近付き、「ハーイ」と声をかけた。人違いだと思われたためか、相手にされなかった。キスをするはずだったが、「ごめんなさい」とだけ言って、引き返した。
商業施設でも撮影を試みた。あいにく施設は閑散としていて、いたずらの相手が見つからなかった。撮影は空振りに終わり、フォンは出演料をもらえなかった。
ミスターYはフォンの気持ちが折れないよう、あの手この手でやる気をかき立てた。供述調書には、その様子も記されている。
たとえば、ミスターYは撮影失敗の後、フォンをカラオケに誘った。酒をごちそうし、韓国料理店にも連れて行った。また、「クリスマスのプレゼント」だと言って小遣い(45ドル)を渡したり、大みそかには次の撮影で使うからと「ピンクのジャケット」を買い与えたりしたという。
甘やかすばかりでもなかった。ある日、ミスターYは「ボス」を連れてきた。「ボス」は撮影がうまくいっていないことを案じ、「次はしっかりと撮影をするように。そうすれば報酬を払う」とはっぱをかけた。
「ボス」は自らを「ハラボジ」(韓国語で「おじいさん」)と呼ぶように勧めた。フォンは「ハラボジ」の発音がうまくできなかったため、発音しやすい「ハナモリ」と呼ぶことになったという。
フォンの前に現れた「ミスターY」と「ハナモリ」。2人は本当に「韓国の撮影会社」の人間だったのだろうか。
マレーシア捜査当局によると、2人の肩書はでたらめだった。出入国の記録によると、「ミスターY」はリ・ジヒョン(32)、「ハナモリ」はリ・ジェナム(57)。いずれも海外渡航歴が豊富な北朝鮮の外務省や秘密警察の職員だったという。
肩書を偽って接近し、実行犯として育て上げる――。2人は、そんな密命を受けた「北朝鮮工作員」だったと、マレーシア捜査当局はみている。
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【いたずら番組】東南アジアの空港や駅に行くと、待合室で「いたずら番組」が流されていることが多い。たとえば、出演者が警官を装って車を止め、おもちゃの銃を突きつけて運転手を脅かす様子を見せることで、視聴者の笑いを誘う内容だ。なかには出演者が通行人を小突いたり、牛乳をかけたりして逃げるような、犯罪まがいの番組もある。北朝鮮当局者は、こうした「いたずら番組」から着想を得て、暗殺計画を練った可能性がある。
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