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「難病の子」は不幸ですか? 苦しみ続ける姿、それでも…家族の日常

2017年5月、気管切開の手術後、初めて自宅に帰った。「とてもびっくりした顔をしていましたが、心配していたほど調子を崩すことなく、お家を満喫してくれました。お姉ちゃんも大喜びでした」=水谷裕加さん提供
2017年5月、気管切開の手術後、初めて自宅に帰った。「とてもびっくりした顔をしていましたが、心配していたほど調子を崩すことなく、お家を満喫してくれました。お姉ちゃんも大喜びでした」=水谷裕加さん提供

目次

 ICU(集中治療室)で苦しみ続ける息子の姿は、見ていられなかった。いっそ私の胸の中で息を引き取れば――。生まれて8カ月、水谷怜生(みずたに・れお)くんは生死のはざまにいました。国内では33万人に1人と推定される難病「ゴーシェ病」と診断されていたのです。深い葛藤を経た母の裕加(ゆか)さん(35)は、今月3歳になる怜生くんを、滋賀県近江八幡市の自宅で看護しています。「まわりの人にサポートされて怜生はいろんな経験ができ、家族も楽しんで生活しています」。2週間に1度、治療のために入院している県内の病院で、怜生くんに寄り添う裕加さんに話を伺いました。(朝日新聞科学医療部記者・鈴木智之)

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2600グラムで生まれた元気な赤ちゃん

 2015年12月15日、怜生くんは裕加さんの故郷、近江八幡市で生まれました。体重2600グラム。一過性の過呼吸があったものの、母乳をたくさん飲む、元気な赤ちゃんでした。

 しかし、3カ月経ったころから異変が目につき始めました。首が反る。のどが鳴る。うまく飲み込めない……。3カ月近くになると、体重も減り始めました。「見えない何かが迫り来る恐怖を感じていました」

 さまざまな検査を経て「ゴーシェ病」と確定したのは2016年5月。聞いたことのない病名でした。

病気の診断がつく前の水谷怜生くん=裕加さん提供
病気の診断がつく前の水谷怜生くん=裕加さん提供

 携帯電話で調べてみると、症状は息子に当てはまるものばかり。「予後2年」との記載もありました。

 「ものすごく重篤な病気というのが素人目にもわかり、先が真っ暗になりました」

 インドに赴任中の夫から離れての出産でしたが、夫も帰国することになりました。

 ゴーシェ病は遺伝性の難病で、国内の患者数はわずか150人ほど。1~3型に分かれており、怜生くんはとくに症状が重い2型で、全国に数十人しかいないとみられています。

 体内で酵素が正常につくられないため、細胞に糖脂質がたまり、肝臓やひ臓が腫れて大きくなったり、貧血、血小板の減少、骨痛、骨折、けいれん、斜視などの症状を引き起こしたりします。「できたこともできなくなっていくのです」と裕加さんは話します。

入退院を繰り返していたころの水谷怜生くん。この後、のどのけいれんを起こし、ICUに移された=裕加さん提供
入退院を繰り返していたころの水谷怜生くん。この後、のどのけいれんを起こし、ICUに移された=裕加さん提供

「命をつないでその先に何があるのか」

 8月、怜生くんは病室でのどのけいれんを起こし、自力で息ができなくなりました。すぐにICUに移されましたが、体重は減り、輸血を2回受けました。髪の毛も抜けました。生きていくには気管切開の手術が必要でした。しかし、裕加さんも夫も悲痛な姿の息子を前にやすやすと「手術」には踏み切れませんでした。

 手術を受けても病気が治るわけではない。しんどい思いをして命をつないでその先に何があるのか。重い障害を抱えて感情が表せなくなるのではないか。私のこともわからなくなるかもしれない……。

入退院を繰り返していたころの水谷怜生くん。この後、のどのけいれんを起こし、ICUに移された=裕加さん提供
入退院を繰り返していたころの水谷怜生くん。この後、のどのけいれんを起こし、ICUに移された=裕加さん提供

 逡巡(しゅんじゅん)しているとき、苦しみの渦中にいるはずの息子がふと笑いました。

 「ここで終わらしてしまうのは親の勝手なエゴだ」。怜生くんは9月、気管切開の手術を受け、人工呼吸器をつけました。

 2カ月後の11月、育児休業中の夫が付き添う中、今度は心肺が止まりました。懸命な心臓マッサージや人工呼吸によって、怜生くんの心臓は34分後に動き出しました。ただ、その後もたびたびけいれんと発作に襲われました。穏やかに目を開けている時間はあまりありません。手術は良い決断だったのか。「苦しい思いをさせてごめんね」。裕加さんは謝罪の言葉を何度も繰り返しました。

ICUに入院し、気管切開の手術を受けた直後の水谷怜生くん=裕加さん提供
ICUに入院し、気管切開の手術を受けた直後の水谷怜生くん=裕加さん提供

在宅看護に挑戦。「ほとんど寝られない」

 急性期を乗り越えた怜生くんの状態は、徐々に落ち着いていきました。

 12月には、同じゴーシェ病の子どもを受け入れていた滋賀県立小児保健医療センター(守山市)に転院。筋肉をやわらげる注射やリハビリをし、怜生くんがリラックスできる時間も増えました。専用のバギーもつくり、2017年6月から在宅看護に移行することになりました。

 裕加さんは、バギーの乗り降りや人工呼吸器の扱い方などを練習。主治医や看護師らから、自宅での外泊に付き添うなどのサポートを受けて、少しずつ自信をつけました。

 とはいえ、「何が起きてもおかしくない。症状が悪化したらどうしよう」と不安な思いは変わりません。ミルクは1日5回、薬は4回、ほかにも、たんの吸引や導尿、かんちょう、マッサージなど、やることは盛りだくさん。

 いざ、在宅看護が始まると、常に気が抜けませんでした。呼吸などに異常があれば機器のブザーが鳴る仕組みでしたが、ブザーよりも早くわずかな息づかいの違いで気づきました。それぐらい神経をとがらせていたのです。「ほとんど寝られず、身体的な負担は大きかったです」

滋賀県立小児保健医療センターに転院した直後。病棟のクリスマス会に参加する水谷怜生くん=裕加さん提供
滋賀県立小児保健医療センターに転院した直後。病棟のクリスマス会に参加する水谷怜生くん=裕加さん提供

姉は泣いて喜んだ。家族で旅行も

 しかし、当時4歳だった姉(6)は怜生くんが自宅で生活することになったことを泣くほど喜んでいました。入院中にあまり会うことができなかった弟の退院を心待ちにしていたのです。裕加さんにとっても、姉の歓迎は本当にうれしかったといいます。家族4人で過ごす生活は、怜生くんにも刺激となったのでしょう。徐々に穏やかな表情で過ごす時間が多くなり、喜怒哀楽の感情も豊かになりました。

 ほかの難病や障害のある子どもや家族と交流する活動にも参加するようになりました。気管切開を受けた子どもとその親たちによる運動会に出場。近江神宮(大津市)で餅つきもしました。医療関係者やほかの家族とともに奈良まで家族4人で出かけ、若草山に登ったり、東大寺の柱くぐりをしたり。流しそうめんも食べました。「怜生もほわあっとしたいい顔をしてくれるんです」

 裕加さんは実家の両親の手助けを受けたり、訪問看護ステーションを利用したりしながら在宅看護を続けていますが、怜生くんは2週間に一度はセンターに入院し、体内でつくることができない酵素を点滴で補充します。

 主治医の林安里さん(39)によると、「根本的な治療法ではありませんが、酵素は肝臓に届き、血液症状はなくなります」。しかし脳には行き渡らないため、神経症状への効果は期待できないといいます。最近、1年ぶりに撮影したMRIでは脳の萎縮が進んでいました。

自宅で姉に頭を洗ってもらう水谷怜生くん。「身体が硬く、お風呂に入れるのもいろいろと工夫がいるのですが、怜生はお風呂が大好きでいつもリラックスしてくれます」=裕加さん提供
自宅で姉に頭を洗ってもらう水谷怜生くん。「身体が硬く、お風呂に入れるのもいろいろと工夫がいるのですが、怜生はお風呂が大好きでいつもリラックスしてくれます」=裕加さん提供

「毎年、一定数生まれる。知ってもらいたい」

 それでも裕加さんは「在宅に切り替えて落ち着いているのはありがたい」「病気を抱えながら日々を送れていることに感謝しています」と話します。

 「毎年、怜生のような子どもたちはある一定数生まれる。絶望と葛藤の中で対峙(たいじ)している人がいることを、いろんな方に知ってもらいたい。『治る日が来れば』『進行が止まれば』と思っているが、いつまでこの生活が続くかはわからない。日常を大切にしながら良い時間を過ごしていきたい。怜生はお風呂が好きなので温泉にも連れて行きたいんです」
 
 患者と家族らでつくる「日本ゴーシェ病の会」は9月、ゴーシェ病を広く理解してもらい、新しい治療法や新薬の開発につながることを願って、動画をつくりました。裕加さんや林さんが、家族の思いやゴーシェ病の特徴などを話しており、同会のホームページ(https://www.gaucherjapan.com)で公開しています。
怜生くんは散歩が大好きだという。気候のいい季節は、家のまわりを家族4人で散歩する=水谷裕加さん提供
怜生くんは散歩が大好きだという。気候のいい季節は、家のまわりを家族4人で散歩する=水谷裕加さん提供

取材を終えて

 難病は、その名前のとおり、治療が難しい病気です。「ゴーシェ病の日」(5月4日)など、難病に関係する記念日が増えていることを知り、今年、初めていくつかの病気の当事者や家族会を取材しました。

 誤解や偏見もあるなか、それぞれに「病気への理解を広げたい」「患者の存在を知ってほしい」「治療法が開発されてほしい」という切実な思いを持っていました。300以上もの病気が指定難病になっていますが、医師でも知識がなく、診断や治療が遅れる場合もあるそうです。

 怜生くんは、生まれた後まもなく症状が目立ちはじめ、診断がついたのは比較的早く、5カ月のころでした。できることが増えていくはずの時期に、できたことができなくなっていきました。

 「つらい」という一言ではどうにも表せません。今も怜生くんにつなげられた機器からは毎日のように警告が鳴ります。

 気軽に旅行することもできないけれど、一日一日を大切に生きている家族がいます。にっこりと笑うことができなくても、わずかな表情の違いで感情を表す子どもと、それをていねいに読み取ることができる家族がいます。

 提供してもらった、たくさんの写真が届けてくれるのは「かわいそう」ではなく「家族っていいな」というメッセージです。人数は少ないけれど、同じ社会でこのような難病を抱える子どもたちが生きていることを、これからも伝えていきたいと思っています。

ゴーシェ病とは?

 難病医療法で指定されている「ライソゾーム病」の一種。父と母それぞれから変異した遺伝子を受け継いだ場合に発症する遺伝性疾患で、国内の患者数は約150人。糖脂質を分解する酵素が正常につくられず、細胞に糖脂質がたまることで、さまざまな症状が出る。1型~3型に分かれ、1型は幼児期から成人の幅広い年代で症状があらわれ、けいれんや呼吸障害などの神経症状がない。怜生くんの2型は生後3~5カ月に神経症状があらわれ、進行が早いのが特徴。3型は神経症状はあるが、2型よりゆっくり進行する。(日本ゴーシェ病の会のホームページなどから)

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