話題
中国地方をローカル線で一周「#鈍行チャレンジ」豪雨を経て願うこと
豪雨を経て、感じた鉄道の大切さ。またあの旅に出たい。
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豪雨を経て、感じた鉄道の大切さ。またあの旅に出たい。
「ローカル線を乗り継いだら、1日で中国地方を一周できるかなあ」。旅のきっかけは、何げない先輩記者(38)の一言でした。入社1年目の私(24)は、鉄道に乗って楽しむのが好きな「乗りテツ」。「身を持って証明してみたい」という気持ちが抑えられず、忙しい仕事の合間をぬって、先輩と18時間におよぶ旅に出ました。その直後、楽しい思い出が詰まった路線の一部は、西日本豪雨で甚大な被害を受けました。豪雨から3ヶ月、もう一度あの景色を見ることを夢見て、旅を振り返ります。(朝日新聞広島総局・高橋俊成、松崎敏朗)
6月26日朝5時半。夜明けすぎの広島駅から旅は始まった。手にするのは「広島市内→広島市内」と記された一枚の不思議な切符。
5時49分、山陽線の始発、岡山行きの列車が動き出した。徐々に過ぎゆく見慣れた景色を眺めながら、これから始まる旅に思いをはせた。「いよいよ始まりますね」。先輩の松崎記者はまだ眠そうだ。
広島駅を出た列車はひたすら東へ、快調に進んでいく。思えば、広島に着任してちょうど2カ月。取材での移動は車がほとんどで、列車に乗るのは久しぶり。シートに座って、心地よい揺れに身を任せて外の景色を眺めているだけでも、まるで心が洗われるような気分。
思い返せば、6月半ばのある日の仕事帰り、先輩と寄った中華料理屋での会話からこの企画は動き出したのだった。まさか、こうして形になるなんて。
前日に切符を買った時からすでにテンションは上がっていたが、こうして実際に乗りながら見る車窓はまた格別。果たして無事に1日で一周出来るのか、乗り遅れたらどこかの駅で野宿かな……。そんな一抹の不安もあったものの、ひとたび列車に乗ってしまえばどこへやら、だ。
ちなみにこの「広島市内→広島市内」と書かれた切符。「どうやったら買えるの?」という声が聞こえてきそうだが、駅の窓口で乗車する予定の路線を伝えれば買うことができる。
「えーと、広島を出て、倉敷まで山陽線。そこからは……」。私がいちからルートを説明する中、戸惑いながらデータを打ち込む駅員さんのなんとも言えない表情が忘れられない。おそらく、駅員さんもこんな切符を発券するのは初めてだったのでは……。
安芸中野駅(広島市)を過ぎると、列車は瀬野川沿いに山の中へ。瀬野駅と八本松駅の間は鉄道ファンの間で「セノハチ」と呼ばれ、急勾配が続く区間。山間の集落に、国鉄型電車の低くうなるようなモーター音がこだまする。
ほどなくして、列車は糸崎駅(広島・三原市)に到着。駅を出たところで進行方向右側についに海が広がった。おだやかな瀬戸内海に反射するまぶしい朝日に思わず目が覚めるようだ。向かいの席でうとうとしていた先輩もすっかり目覚めたようで、しきりに写真を撮影している。
旅に並行して、広島総局のツイッターアカウントを用いて実況を始めてみた。「#鈍行チャレンジ」のハッシュタグをつけて、駅名標や沿線の風景などをあげていくと、すぐに反響が集まってきた。「面白い企画ですね!」「こういうの、やってみたい!」……。
おはようございます。これから、1日かけてローカル線のみを使い、中国地方を一周する企画に挑戦します。(松) pic.twitter.com/YyV8pouhAe
— 朝日新聞広島総局 (@asahi_hiroshima) 2018年6月25日
タグを通じて、様々な声がリアルタイムに入ってくるというこれまでに無い経験。2人だけの旅なのに、たくさんの仲間と一緒に旅をしているような気分だ。賑やかなタイムラインを眺めながら、列車は東へ。
列車は海沿いを快走し、岡山県へ。出発から約3時間。8時42分倉敷駅に到着した。「やっと着いた~」とすでに達成感に浸りつつある先輩記者に、「まだ15時間以上ありますよ」と突っ込むと思わず脱力。まだまだ先は長い。
ここで途中下車し、朝食のおにぎりをほおばりながら、この先の行程を確認すべく時刻表とにらめっこ。倉敷からは一路、北を目指し、9時36分発の伯備線に乗り込む。岡山支社管内はJR西日本岡山支社の広報、信江悟さん(62)も同行した。
「昔からSLが好きでして、それがきっかけで旧国鉄に就職したんです」と語る信江さん。かつて鉄道で日本列島を縦断したこともあるという、筋金入りの「テツ」だ。どんどん山の中へ入っていく車窓を前に、信江さんのディープな解説は止まる気配がない。
例えば、豪渓駅(岡山・総社市)手前の大きなカーブ。「列車の撮影ポイントとして有名で、赤いセリカが止まっていることからセリカカーブって呼ばれているんですよ」
トンネルを出て右側に目を向けると、草木に紛れて往年の名車セリカの姿が。しかし、あまりにあっという間の通過で、写真には収められず。痛恨の極みだ。
線路はいつの間にか単線に。高梁川沿いに山間をはうように進んでいく。
「昔、この伯備線に乗って出雲大社にいって、そこで結婚式を挙げたんです」と話すのは、高梁市在住の内田貞子さん(80)。この日はお墓参りに行く途中で、かつては新見駅(岡山・新見市)で降りて電話局で交換手の仕事をしていたそうだ。
山間にたたずむ小さな町々と共に歩んできた伯備線。この車両に、レールに、そして乗り込む人々の背景には、長い長い歴史がある。そんなことを考えながら、列車に揺られていると、旅もよりいっそう趣深く感じられる。
10時49分、その新見駅に列車は到着した。信江さんは岡山支社管内だけの同伴なので早くもここでお別れだ。「この先も気をつけて、良い旅を」と笑う信江さんに手を振り、駅を後にした。
さて、新見駅ではあるミッションがある。旅立ち前に、岡山で勤務経験がある別の先輩記者から「駅前で売っているアップルパイがおいしいよ」と聞いていたのだ。
まずは駅前のお菓子屋へ。しかし、ここにはお目当ての品は無く、さらに駅から離れた小さなパン屋で、ひとつ150円のアップルパイを発見。すぐに購入したが、気づけば次に乗る予定の列車の発車まであと7分しかない。
あと10分もないのに、相棒がきません(松)#鈍行チャレンジ
— 朝日新聞広島総局 (@asahi_hiroshima) 2018年6月26日
「やばい!乗り遅れたら次の鈍行は1時間以上後だ……」。焦る気持ちが、自然と足を急がせる。歩いていたら間に合わない。袋を抱えて駅までダッシュ! 駅舎が見えてくると、そわそわと私を待つ先輩記者の姿が。なんとか間に合った。
新見11時18分発の米子行きは1両編成の気動車。これまで以上の「ローカル感」に、テンションも一段と上がる。
車内は途中から私たちだけの貸し切り状態になった。ここぞとばかりに、新見駅前で先輩が買っていた焼さばずしを食べる。ほどよく焦げ目のついたさばと、酢飯の酸味で何個でもいけるおいしさだ。
途中の生山駅(鳥取・日野郡)で対向列車と交換のため、9分停車。
この列車に乗務する米子運転所の運転士が、「足立駅では、停車中にホタルが見られることもありますよ」と、沿線に精通した運転士ならではの情報も後で教えてくれた。
列車はさらに北に進み、3県目の鳥取県へ。伯耆溝口駅を過ぎると運転士が「イチオシの車窓」と称する大山の雄大な姿が目に入り、思わずシャッターを切る。
乗客は相変わらずまばらだが、運転士の点呼が車内に響きわたる。
13時26分、終点の米子駅で下車。先輩が「なんだか風のにおいが変わったね」とつぶやく。長らく山間を走ってきたが、日本海側に出たからだろうか、確かに潮風のにおいが違う。
1時間以上の乗り換え待ちということで、駅前で一息つける喫茶店を探してさまよい歩く。しかし、暑い中歩けど歩けど店は見つからない。土地勘が無い場所で喫茶店を見つけるのがこんなに難しいなんて……。
ようやく見つけたレトロなお店で飲んだコーヒーは、よく冷えていて疲れた体に染み渡る。砂漠の中のオアシスとはおそらくこんな感じなんだろうな、と行ったこともないのに想像してしまった。
駅前の喫茶店で小休止。よく冷えたコーヒーで体力回復…… (俊) #鈍行チャレンジ pic.twitter.com/f5FG0MYcI6
— 朝日新聞広島総局 (@asahi_hiroshima) 2018年6月26日
14時ごろ、駅に戻り、先輩が米子に来るたびに毎回食べているという駅構内のそば屋で昼食。すこし太めのそばはボリュームたっぷりだったが、さらにまたもさばずしを注文。さばばかり食べている気がするが、おいしくいただいた。
先輩もお気に入りのそばを食べて「元気を取り戻した」と満足げな様子。やはりおいしいものは偉大だ。
米子に来ると必ず食べる駅構内のお蕎麦屋さん。たくさんの葱と海苔が心憎いです。食べたら、一気に元気が出ました(松) #鈍行チャレンジ pic.twitter.com/PfGvjru3lg
— 朝日新聞広島総局 (@asahi_hiroshima) 2018年6月26日
ここからは一路西へ。14時48分、益田(島根・益田市)行きの山陰線に乗車。いわゆる「鈍行」というと各駅に止まる普通列車のことを指しており、ここまでは全て鈍行で乗り継いできた。だが、時刻表を読むとこの区間だけは快速を使わないと、広島に帰れなさそうだ。
そこで、快速「アクアライナー」に乗車。終点まで約4時間と、今回の旅で乗る列車の中では最長時間だ。車端部のシートに腰掛け、外の景色を眺める。2両編成の車内では学生から地元のおばあちゃんまで、さまざまな人が思い思いの時間を過ごしている。列車は米子を出てすぐに4県目の島根県に入った。
列車は出雲市駅を過ぎ、島根県内を西へ西へとひたすら進んでいく。小田駅を過ぎたところで、右側に日本海が広がった。先輩と顔を見合わせ「ついに来ましたねぇ」と思わず感慨深い声が漏れる。
水平線を見るなんていつぶりだろうか。高校野球や「原爆の日」を控えた多忙な時期だったが、日々抱える辛さや悩みが洗い流されるようだった。
「馬路駅の近くの海辺の風景が好きなんです」と話すのは、大田市の高校への通学で毎日山陰線を使うという高校3年の木ノ下華麗さん(17)。この日は定期試験の帰り道で、翌日の古典の試験のためにプリントを読みふけっていた。
「1時間に1本しかないローカル線だけど、車内で会話をしたり、地元のおばあちゃんと偶然同じ席になったり、意外な出会いが魅力ですね」とはにかんだ。
広島を出てからすでに10時間以上。まだまだ、終点の益田は遠い。日本海の広さを改めて思い知らされる。先輩は睡魔と腰の痛みと闘っているようだ。かくいう私もお尻の辺りの感覚が徐々になくなってきたような気がする。
17時過ぎ。のどかな旅が突如緊張感に包まれる。広島県北部を震源とする震度4の地震が発生したのだ。それまでツイッターで届いていた応援の声も一転、「大丈夫ですか」と心配の声に。
各方面の状況を確認し、大きな被害が出ていないとわかって胸をなで下ろした。列車も、ほぼ定刻通りのようだ。こんな時でも、画面の向こうに支えてくれるユーザーがいるとわかると、心強い。「チャレンジを完遂して、絶対広島に帰るぞ」。決意を新たに、ひたすら西へ進む。
米子から日本海沿いに乗り続けること4時間。ついに列車は益田駅に到着した。しかし、ここで達成感に浸っている余裕は無い。益田での乗り換え時間はわずかに6分。急いで車両と駅名標の写真を撮り、次の列車に乗り込んだ。
18時55分、山口線山口行きが発車した。ここからは南に転針し、山間を進んでいく。
気づけば辺りはすっかり暗くなり始めている。山口線は午前中に乗った伯備線同様、中国山地をまたいで横断する山岳路線だ。
車窓にはぽつりぽつりと人家の明かりが見えるものの、ほぼ真っ暗。単行の国鉄型気動車の天井では古めかしい扇風機が回り、カップ酒を開ける音が響く。なんとも郷愁あふれる光景が、この1両に凝縮されている。
窓際に座り、ほおづえをついて外を眺める60代の男性。仕事で益田に来ており、バスで帰るつもりだったが乗り遅れてしまい、列車で帰途についていると話す。
「ローカル線は本数もないし、うるさいけど、ノスタルジーに浸れる。僕が生まれ育った風景と似ています」とつぶやきながら、窓の外を遠い目で見つめた。完全に日が落ちる頃には、列車はすでに山口県に入っていた。
乗り換えの山口駅を前に、にわかに緊張感が高まる。乗り換え時間は、なんとわずか1分。
「向かいのホームに止まってると良いんですけど」「もし乗り遅れたら帰れないな」……先輩と顔を見合わせる。早めに荷物をまとめ、ドア前で身構えながら山口駅到着を待った。
20時44分、山口駅に到着。向かいのホームには、次に乗る新山口行きの列車見え、一安心。山口から新山口まではあっという間だ。
21時7分、新山口駅に到着。15時間ぶりに見る「山陽新幹線」の文字に、旅路が残り少なくなっていることを感じさせられる。8分間の乗り換えで、ここからは再び山陽線に乗り、なじみのある車両で一路広島を目指す。
短時間の乗り換えが続き、この時間になっても夕飯は買えていない。空腹の中、そういえば、と思い出したのが、新見駅前で買ったアップルパイ。
「いつ食べようか」「最後の岩国駅での乗り換えに成功したら、でしょうか」
先輩と相談し、鈍行チャレンジ達成の前祝いも兼ねて食べるということで一致。長旅を共にしたアップルパイはぐったりしていて、私たちの疲れを表現しているようだった。
岩国駅(山口・岩国市)で最後の乗り換え。乗り換え時間はまたも1分。旅もいよいよクライマックスだ。「しっかり乗り換えて、アップルパイ食べましょう」。先輩と決意の言葉を交わした。
列車は岩国駅に滑り込む。向かいのホームには今日最後の列車である山陽線西条行きが止まっていた。小走りで乗り換え、座席を確保。
どうにか広島に帰れそう、という安心感がこみ上げてくると、いっそう空腹感が増した。
23時8分の発車早々、アップルパイをほおばった。サクサクとした生地と、りんごの果肉がごろごろと入ったクリームが見事に調和していてとてもおいしい。隣で食べる先輩も思わずうなるほどの逸品だった。
「無事に食べられて良かったですね」と、今までの旅路を思い出しながらかみ締めた。
ここまで来たら、広島まではあともう少し。大野浦駅(広島・廿日市市)ですれ違った列車には、真っ赤なカープのユニホームをきたファンたちの姿が。
「ついに広島に帰ってきた」という実感が湧いてきた。宮島口、廿日市、横川……なじみのある地名が、長い長い旅の終わりを告げる。
日付が変わって0時5分。ついに、18時間前に出発した広島駅に戻ってきた。一歩一歩、駅を踏みしめる感触は出発の時とは明らかに違う。長い長い旅の疲労と、言葉にできない達成感が入り交じる中、最後の改札を通過する。
18時間かけて目的地の「広島市内」に戻ってきた切符に「乗車記念 使用済」のスタンプが押される。使い込まれた切符に穴が開く瞬間は、物寂しささえ感じるものだった。
「旅の打ち上げ、やりますか」。先輩記者の提案で総局近くのお好み焼き屋へ。あつあつのお好み焼きをほおばりながら、旅の思い出も一緒にかみ締めた。
番外編です。いま、二人で夕飯です。広島に戻ってきたからには、これです。今日は、お付き合いくださり、本当にありがとうございました。#鈍行チャレンジ pic.twitter.com/y8DUhihOZo
— 朝日新聞広島総局 (@asahi_hiroshima) 2018年6月26日
チャレンジが終わり、この旅をどうやってまとめようか、写真はいっぱいありすぎて選べないな……などと楽しく考えていた矢先だった。
7月6日、西日本豪雨が発生。広島県や岡山県など、旅で巡った場所が甚大な被害を受けた。
旅のことを思い返す暇も無く、県内あちこちの被災地を駆け回った。記者になって3カ月。まさかこんなに早く災害現場に足を踏み入ることになるとは正直、思ってもいなかった。家も、車も、道も、何もかもが土砂にのみ込まれ、濁流がごうごうと流れ続ける光景を見て、言葉が出てこなかった。
豪雨は多くの命を奪い、人々の生活を破壊し尽くした。広島県内のほとんどの鉄道は不通になり、大渋滞が発生した。被災地に向かう車の中から、大量の土砂が流れ込んだ線路や、動きようも無く駅に止まり続けている車両の姿を何度も見かけた。
取材を続けていくと、鉄道を失い、移動手段を失った人々の声も聞こえてくる場面がいくつもあった。山陽線が不通となり、山陽新幹線での代行輸送が始まったことで、普段は「こだま」とごく一部の「ひかり」しか停まらない東広島駅が大混雑。駅の外にまで行列が出来る事態に。
広島駅近くの専門学校に通う中野真奈美さん(18)は新幹線を待ちながら「とても不便。学校は普通に授業があるし、新幹線を使うしかない」と話していた。
芸備線は白木山―狩留家間で鉄橋が流失。再開までに1年以上の時間を要する見込みだ。
豪雨からおよそ1週間後、広島県北部の三次駅に向かうと、駅の構内には本来の役目を失い、さみしくたたずむディーゼル車の姿があった。人の気配はほとんど無く、列車の発着を示す電光掲示板には「調整中」の3文字のみが、ぼんやりと光っていた。
閑散とした駅前にいた、広島市内まで芸備線で通学する女子中学生(13)に話を聞いてみた。芸備線の復旧までの時間を伝えると、「1年もかかるんですか!」と驚いた様子。「今は高速バスで通学しているけど、往復で約3千円かかるので金銭的にきつい。早く動いてほしいです」。
豪雨で知った、鉄道という存在の大きさ。何げない日常の中から鉄道が失われることが、いかに多くの人に影響を与えるかを思い知らされた。
復興に向けて、人々はすぐに動き出した。被災地にはたくさんのボランティアが全国から駆けつけ、少しずつ土砂の撤去は進んでいった。
鉄道関係でも、良いニュースが相次いだ。呉線や山陽線など、豪雨以来不通が続いていた路線が8月から9月にかけて徐々に復旧。山陽線は9月30日、86日ぶりに県内の全線が復旧した。
取材で、豪雨で被害を受けた路線の復旧工事現場にも足を踏み入れた。旅で通ったあの「セノハチ」区間(瀬野駅ー八本松駅)も、あちこちで土砂崩れが発生し、線路が見えないほどの土砂に覆われていた。
安全のためのヘルメットをかぶり、さびたレールの上に立つと、舞い上がる土ぼこりに思わず目を覆った。炎天下、作業員の方たちは重機を操り、懸命に土砂を取り除いていた。
「あの旅で通った線路がこんなことに……」
高く積み上がった土砂と、濁った水が流れ続ける川を見て、災害のすさまじさを思い知らされた。しかし、そんな状況を乗り越え、セノハチには再び、列車の音が響くようになった。
芸備線の鉄橋崩落の現場も、工事が始まっている。流された橋げたを重機で川から引き上げ、撤去する。土砂が積もっていた河川敷はきれいに整備され、重機やトラックが入れるようになった。
復旧まで1年以上。そう聞くと途方も無い時間に感じるが、一歩一歩着実に、復旧への道のりを歩んでいる。
さびついたレールは、少しずつ、だが確実に輝きを取り戻してきた。完全な復興まではまだまだ時間がかかるが、鉄路の復旧は、必ずや人々の大きな支えとなるはずだ。
鉄道の魅力、中国地方の美しい風景と美味しい食べ物を再発見しようと企画した「鈍行チャレンジ」の旅。ぎりぎりの時間の中でいくつもの乗り換えをこなしつつ、各駅では写真を撮り、美味しいものをさがし、そしてツイッターで実況……今思い返してもとにかく盛りだくさんな旅だったな、と思う。
そして、あのチャレンジがあったからこそ、豪雨を経て、鉄道という存在の大切さを改めて、より強く感じることが出来た。今まではしがない鉄道ファンの1人というだけだったが、「記者」という立場でも鉄道に向き合えるようになった。
これからもいち記者として、そしていち乗客として、被災地の復興と鉄路の復旧を願い続けるとともに、鉄道と人々のつながりにも迫るような取材をしていきたい。
朝イチで広島を出て、一筆書きでこの時間にまた広島に戻って来るという貴重な経験!中国地方の美しい風景が忘れられません。また、いずれ旅に出たいものですね(高) #鈍行チャレンジ
— 朝日新聞広島総局 (@asahi_hiroshima) 2018年6月26日
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