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IT・科学

怪しい健康情報、為末さんのジレンマ 数十万フォロワーの社会的責任

目次

 元五輪日本代表のアスリート、為末大さんと、医学部卒の医療記者・バズフィードジャパンの朽木誠一郎さんが、医療やトレーニングの情報の「見極め方」をテーマに語り合いました。「健康に悪い」と言っても喫煙者がたばこをやめない理由。フォロワーが増えた結果、発信が慎重になってしまったという為末さんらの話から見えたのは、ネット時代の「コミュニケーション」の大切さでした。

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医療情報はコミュニケーションの問題

<「たばこは健康に悪い」というデータを一方的に押しつけても、喫煙者はなかなか「禁煙」に踏み切りません。情報の発信で気をつけるべきこととは?>

――医療情報を発信していく上で、朽木さんは「コミュニケーション」の大切さについて痛感したと言います。

朽木さん 最近よく思うのは、医療情報の問題はコミュニケーションの問題だということ。医学、統計、確率の話をしても、自分のことだと受け入れにくいですよね。例えば「その治療の結果は60%」と言われたら、自分はその6割なのか4割なのかやってみないと分からない。

 たばこが体に悪いというデータがあっても「必ず自分の体を害すると言えるの?」となってしまう。干渉される感じがあって、自分の体は自分で決めたい思いが根底にある。そのプライドを無視するコミュニケーションをしても、情報が確かだとしても受け入れられないんだと思います。

為末さん 尊厳死が認められている国は少ないですよね。自分の体や健康が自分の持ち物なら、「生き死に」も決めていいはずです。あなたの体の何割かは社会のもの、ということなのかもしれません。

朽木さん 自分の体の一部が社会のものだと言われると違和感はありますね。だから「そこに干渉されたくない」という感覚を前提にコミュニケーションをとらないといけない。尊厳死の議論についても、話が進まないのは、その感覚をもとに議論していないからだと思います。

「怪しい情報許さないマン」にならないように

<情報の「確からしさ」に気を配って、根拠があるかどうか調べ続けることには限界もあります。情報を選び取る自由と、怪しい情報に騙されないことのバランスが求められています>

為末さん ある選手に「コーチをつけていないで自分でやれよ」と言ったら、「練習が大変なので、考えるくらいコーチにやってもらいたい」と言っていました(笑)。

朽木さん 本来は、どんな情報を選び取るかは自由であるべきだと思います。「それエビデンスないよ」と言って回るやつ、すごい嫌じゃないですか(笑)。自分の仕事も気をつけないといけないです。「怪しい医療情報 許さないマン」になりがちなので。それを続けた先は荒野。周りに誰もいなくなってしまう。

為末さん 今後、果たして、全員の情報リテラシーは上がるんでしょうか。

朽木さん スムーズにリテラシーが上がるなら困ってないですよね。一気にリテラシーを上げるのは難しいというのが個人としての実感です。でも、トライアンドエラーは繰り返せるんじゃないでしょうか。

根拠のあることを言いたい ジレンマも

<ツイッターのフォロワーが35万人くらいになった時「根拠のないことは言えないな」と思ったという為末さん。一方で、深く考えず、根拠があるか気にせず断言した情報の方が広まる現実もあります>

――為末さんや朽木さんのように影響力があると、「発信する」のも慎重になると言います。2人が発信するときに気をつけていることにも話が及びました。

為末さん 発信するときには、ちゃんとした根拠があることを言っていこうという一方で、同時に突き詰めると、一部のマニアしか知らないことになってしまう。

 一般の人の興味をひくように。でも根拠はしっかり。その加減をどうするか、という問題ですね。
 僕はちょっとずるいやり方をしていて、本では「僕の人生ではこうでした」「選手村ではこうでした」と書きます。個人の経験が強いので、それを使う(笑)。でも、自制しなきゃな、と思うようになりました。

 以前は色々な意見の一つですよ、と思って発信していましたが、ツイッターだとフォロワーが35万人くらいになった時、社会的な責任があるかもしれないと思うようになった。「根拠のないことは言えないな」に変わりました。

 もう一つは、陸上選手なのか、メディアに出ている人なのか、何の顔で話しているかを意識して、裏をとるようになりました。一方で個人の発言は自由であるべきですよね。ある専門を背負ってしまった人間は、これをどの程度背負うべきなのでしょうか。

朽木さん これもジレンマですね。ちゃんと考える人ほど慎重に発信するので、発信頻度が減ってしまう。深く考えずに断言する人は頻度が高いし、根拠があるか分からなくても断言するので、どんどん支持が増えてしまう。

 個人としての発言は守らないといけないが、やっぱりデマはよくない。うそや不正確な情報を流すべきではない。流れてきた時は批判的に検証するべきですね。
質問は途切れず、あっという間に過ぎました
質問は途切れず、あっという間に過ぎました

「夜に書いたラブレターは、朝に出しちゃダメ」

――最後に設けられた質問タイム。会場からは、コミュニケーションに対しての質問が多く寄せられました。

質問 ツイッター上で、違う立場の人の意見が対立していました。そんな時にできることはありますか。

朽木さん SNSは対立も起きやすい。問題提起をしているのに、感情的な応酬が起きたら不幸ですよね。コミュニケーションを成り立たせるのは言葉遣いなので、高圧的だったりバカにしたりする人とは、まともな議論が成り立ちません。「好かれる」「選ばれる」というのも大事ではないでしょうか。議論したいなら、対等なコミュニケーションができる言葉を使えるかどうかが大事なんじゃないでしょうか。

為末さん 相手をシンプルな肩書で見ないようにするために、たくさんの人と話すことが大切ではないでしょうか。「敵の中に善を見いだす」ことも。みんな色んなバックグラウンドがある。この会社だからこう、と決めつけすぎて、レッテルを貼りあいすぎると苦しくなりますよね。

質問 考え方のクセに気づくために心がけていることはありますか。

朽木さん 疑ったおかげでうまくいくと、成功体験になる。おかしいな、ということに気づく精度が上がっていきます。

為末さん 「夜に書いたラブレターは、朝に出しちゃダメ」ということですね(笑)。自分の話を「これ、気分で言っていなかったか?」と戻って観察するようにしています。

 自分が「正しいと思ったこと」にはまり込んで周りが見えなくなった時に、ハッと我に返れるかどうか、その違いはどこにあるんでしょうね。ただの執着心・こだわりだった時、その自分にどうやって気づくか。シャーロック・ホームズのように自分に対しての推理をしていくことが必要なのではないでしょうか。
 
――理学療法士の男性からは、アスリートにどう寄り添って発信していけばいいのか、という質問も出ました。

為末さん 選手には野獣的な感覚があって、「この人は自分を使って自己実現しようとしているな、名声を高めようとしているな」という人のことは直感的に分かります。パートナー・伴走者としての態度を貫くと信用されると思います。

――発信者として気をつけていることや情報を断言する難しさについても質問がありました。

朽木さん 情報発信に特効薬はない。現時点で一番確からしい情報を発信し続けることでしか、信頼は高まらないと思います。だから、日常の友人のアドバイスでも、僕は断言しないようにしています。病気の相談があっても、「絶対治ります」とは言えない。ただ、その治療が高い買い物だったら「いったん買わないで」という言い方をしますかね。

為末さん 科学的な話は、メタファー(たとえ話)が分かりやすいと思います。

朽木さん 相手が自分の意見を100%信じるとは限りません。自分の意見は比較対象の一つかもしれない。常に相対化することを心がけています。

為末さん 日常で意識しているのは、権威に頼るといった「力」を自分が乱暴に使っていないか。「人をコントロールしようとする」ということに距離を取ろうと思っています。

 自分の母は、スニーカーを乾かそうとして電子レンジに入れた人なんですけど(笑)、「陸上をやれ」とも言わないし、やめるときも「そうなんだー」で終わり。斜め後ろから淡々と見ていただけ、という人。それは大切な距離感かな、と思います。
為末大(ためすえ・だい)1978年広島県生まれ。スプリント種目の世界大会で日本人として初のメダル獲得者。3度のオリンピックに出場し、男子400メートルハードルの日本記録保持者。コメンテーターとしても活躍し、スポーツに関する事業を請け負う会社「侍」を経営している。主な著作に『走る哲学』『諦める力』など。

朽木誠一郎(くちき・せいいちろう)1986年生まれ、茨城県出身。2014年群馬大学医学部医学科卒。2014年メディア運営企業に入社後、編集長を経験。2015年有限会社ノオト入社を経て、2017年4月にBuzzFeed Japan(バズフィードジャパン)に入社、医療記者として活動している。2018年3月に単著『健康を食い物にするメディアたち』を出版。

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