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連載

#3 教えて!マニアさん

「ファンシー絵みやげ」記憶から消された文化遺産 9000種集めた男

「ファンシー絵みやげ」、それは1980年代~1990年代に全国のお土産屋さんで売られていた「ファンシーな絵が施されたおみやげ」です。ピンと来ていない人もいるかもしれませんが、写真を見ればきっと思い出すでしょう。

1980年代~1990年代に流行した「ファンシー絵みやげ」
1980年代~1990年代に流行した「ファンシー絵みやげ」 出典: 撮影協力:山下メロさん

目次

 「ファンシー絵みやげ」、それは1980年代~1990年代に全国のお土産屋さんで売られていた「ファンシーな絵が施されたおみやげ」です。ピンと来ていない人もいるかもしれませんが、写真を見ればきっと思い出すでしょう。キーホルダーやのれんなど、さまざまな商品で時代を席巻したのですが、バブル崩壊をきっかけに衰退の一途をたどり、長らく人々の記憶から消し去られていました。山下メロさん(36)はそんな遺産を「保護」すべく立ち上がりました。
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「ファンシー絵みやげ」研究家の山下メロさん
「ファンシー絵みやげ」研究家の山下メロさん
山下メロさん
 2010年から「ファンシー絵みやげ」の保護・研究を続けている「ファンシー絵みやげ研究家」。全国3,000店のお土産店を訪ね、9,000種ものファンシー絵みやげを保護。
 2月17日には、ファンシー絵みやげを文化的背景からまとめた「ファンシー絵みやげ大百科 忘れられたバブル時代の観光地みやげ」(イースト・プレス)が発売される。

「ファンシー絵みやげ」って?

 山下さんによると「ファンシー絵みやげ」の定義とは、こんなお土産商品のことです。

(1) 「MORI NO NAKAMA」のように、ローマ字を使った日本語表現を使用している(とっても読みづらい)
(2) 動物は擬人化され、2頭身の子どもっぽい雰囲気のキャラクターイラストが使用されている(威厳のあるイメージの歴史上の人物も否応なく子どもっぽくされる)

 特にカップルにも見える男女のシチュエーションが多く、ほっぺたを「、、、」の表現で赤らめた姿が印象的。

 他にも蛍光色などを採り入れた派手な色使いや、キーホルダーをはじめ、のれんや陶磁器、文房具など、とにかく多様に商品展開されていることも特徴です。
カップルとも思える男女のシチュエーションの「ファンシー絵みやげ」。女の子のほっぺたは「、、、」で表現されている
カップルとも思える男女のシチュエーションの「ファンシー絵みやげ」。女の子のほっぺたは「、、、」で表現されている
 みなさんも思い出してください。豆本と呼ばれる小さな冊子のキーホルダーや、誰もがあこがれを持っていた木刀……その中に、このファンシー絵みやげも確かに存在していました。

 私は山下さんの本を手に取ったとたん、修学旅行で行った京都の出店や、スキー場の売店、当時好きだった男の子や、かっこいいと思って着ていたエンジ色のジャージのことまで、コクのある思い出が次々と蘇りました。
スキー場と思われるシチュエーションの謎の「全裸シリーズ」
スキー場と思われるシチュエーションの謎の「全裸シリーズ」

「ファンシー絵みやげ」の盛衰

 山下さんの調査によると、「ファンシー絵みやげ」が生まれたのは1979年頃、北海道で販売されたキツネのモチーフの商品(通称:ナキギツネ)が最初だったそうです。

 擬人化された2頭身の愛らしいイラストが人気を博し、このフォーマットは好景気でにぎわった観光地のお土産需要の波に乗りました。その後、スキーブームや、ラッコブームなどの流行をイラストに採り入れながら全国に広がっていくことになります。

 ただ、「ファンシー絵みやげ」の時代は長くは続きません。
山梨県・清里駅前では80年代、ぬいぐるみやファンシーグッズの店が人気を集めた=清里駅前公民館提供
山梨県・清里駅前では80年代、ぬいぐるみやファンシーグッズの店が人気を集めた=清里駅前公民館提供 出典: 朝日新聞
 90年代初頭にバブルがはじけると、旅行者の消費行動は低調になり、お土産の主軸は雑貨から、安価で配りやすい食品へと変わっていきました。子どもをターゲットにしていたため、少子化による影響も小さくなかったといいます。

 気づくと「ファンシー絵みやげ」は観光地から姿を消し、「ご当地キティ」をはじめ、「ご当地○○」勢力の登場もあいまって、人々の記憶からも消し去られていました。
 
ご当地キティは1999年、こちらも北海道で登場して以降、全国に広がった。(写真は2009年、京都で行われた「ご当地キティ」のイベント、原知恵子撮影)
ご当地キティは1999年、こちらも北海道で登場して以降、全国に広がった。(写真は2009年、京都で行われた「ご当地キティ」のイベント、原知恵子撮影) 出典: 朝日新聞

検索しようと思っても「キーワードが思いつかない」

 山下さんは「名前がなかったのも、消し去られた理由のひとつ」と話します。

 山下さんが「ファンシー絵みやげ」を集め始めたのは、2010年。フリーマーケットで目を奪われたのは、小学生の頃になじみのあった、懐かしい絵柄のキーホルダーでした。

 「こんなの昔たくさんあったなあ」

 家に帰って検索しようと思っても、キーワードが思いつきませんでした。「ファンシー おみやげ」、「サンリオっぽい おみやげ」…。いろいろ試してみましたが、あらゆる情報が蓄積していたネット上でも、ほとんど語られていなかったのです。
北海道の「おコン!」キーボルダー。キツネモチーフの「ファンシー絵みやげ」は多いという
北海道の「おコン!」キーボルダー。キツネモチーフの「ファンシー絵みやげ」は多いという
 「だんだん怖くなってきたんですよね……」と話す山下さん。

 「昔はたくさんあったのに、人の記憶から消えてしまうものってあるんだ、って」

 そんな名もなきお土産たちに、山下さんは「ファンシー絵みやげ」という名前をつけました。家や店で邪魔な存在となって、捨てられゆく「遺産」を守るため、山下さんの「保護」活動は始まりました。

 7年間かけて集めた「ファンシー絵みやげ」の数は、およそ9,000種。訪問した山下さんの自宅の壁には、無数のキーホルダーが飾られていました。
山下さん宅のコレクションの一部、右奥のキーホルダーは都道府県別に並べられている
山下さん宅のコレクションの一部、右奥のキーホルダーは都道府県別に並べられている

たたみかけてくるメッセージはどこへ向かうの?

「ファンシー絵みやげ」にありがちなのが、脈絡なくたたみかけられる「謎のメッセージ」です。ここで山下さんがおもむろに取り出したのが、愛知県・犬山にある成田山の近くで買ったという、あるコースター。子どもっぽい男女が描かれています。
 ローマ字日本語が非常に読みづらいのですが、まるで「ご存じ」かのように太文字で書かれた「AKOGARE KYODOTAI」。70年代に放送されたTVドラマに、同じタイトルのものがあるようですが、これだけではよくわかりません。

 その下に小さめの文字で書かれたメッセージに、何かヒントがあると思いきや……。
【 bokutachi mori no nakama nanda】
(僕たち 森 の 仲間 なんだ)
 この男女と思われる2人は森の仲間……はい、ここまで解なしです。一瞬「置いていかれたかな」って思った人、安心してください、まだ出口は見えていません。

 そして、男の子(けんた、と表記されています)のキャップのつばの裏には……。
【オレは男だ】
 唐突な日本語。脈絡のない宣言。そして何故かけんた君の心を代弁するキャップ。しかし、となりの女の子(みよ、と書かれています)に「どきっ」と動揺を見せている--。

 以上から状況をまとめてみました。

 みよに想いを寄せるけんた…けんたとみよは森の仲間だけど、けんたは男、そう、2人は「あこがれ共同体」。
 間違いなく、現代にこの感性はない。

 すみません、お客様の中に名探偵かファンシー絵みやげ研究家はいませんか?
 いた。

   ちなみにこの「AKOGARE KYODOTAI」シリーズは、成田山だけではなく、中国地方でも販売されていたそうです。

ローマ字日本語…と思いきや

 

野口

このメッセージって一体誰に向けられてるんでしょうか…

 

山下さん

基本的にファンシー絵みやげにはメッセージ性はないです
だいたい「つぶやき」なんです

 

野口

ツイート……?

 

山下さん

そう、ツイートです
これは「僕たち森の仲間なんだ」っていうツイートなんです
 山下さんが保護したファンシー絵みやげの中には、謎メッセージ、もといファンシーメッセージはまだまだあります。
 こちらもあたかも「ご存じ」かのように書かれている、「Jam Jam Kids(ジャムジャムキッズ)」のポーチ。福井・東尋坊(TOJINBO)のおみやげです。こちらのメッセージは…
【 TAKE A WALK TO THE WINDY FIELD 】
 一瞬「タケ~」と読んだあなた。だまされましたね、こちらはローマ字日本語ではなく、英語表記のメッセージとなっています。

 「ファンシー絵みやげ」にはこういったサプライズがちりばめられているので、目が離せません。

 ちなみに私は英語についてはめっぽう弱いので、Google翻訳先生に聞いてみました。
 奇しくもGoogle翻訳では、翻訳した文章の下にローマ字で読み方が書かれているので、結果的にファンシーメッセージを2度味わうことができました。

 山下さんが特に好奇心をかき立てられたというのが、「見ざる・言わざる・聞かざる」でおなじみ、三猿が描かれた日光のキーホルダーです。
【 BOKUTACHI SARU DESU.
      NAZE KONNNAKOTO SHITENAKYA IKENAINO -----? 】


( 僕たち 猿 です。
  何故 こんなこと してなきゃ いけないのーーー? )

 

山下さん

ずっと耳に手をあてたりしてなきゃいけない、三猿の彫刻の気持ちを代弁してるんですね

 

山下さん

確かに……他にしたいこともあるよなって
 この無垢な感性こそ、ファンシー絵みやげのコア。でも、そもそもどうしてこの「ローマ字日本語」が使われているのでしょうか。
 その背景には、英字新聞風のプリントがほどこされたシャツの流行がありました。80年代、デザインとして多用された英語を、流行をどんどん採り込んでいく「ファンシー絵みやげ」が見逃すはずがありません。

 とにかくアルファベットを並べるという意図だったため、「そんなに伝えたいメッセージもなかったんじゃないか」と山下さんは分析します。当時は「出せば売れる」状態でたくさんの商品が作られていたため、誤字脱字のある商品も少なくないのだとか。

流行は繰り返す、でも「ファンシー絵みやげ」は?

 

 

野口

80年代のファッションが流行ることもありますが、「ファンシー絵みやげ」のリバイバルはあると思いますか?

 

山下さん

絶対にないです
 「バブルくらいの経済規模になれば、あり得るかもしれないですが…」

 ファンシー絵みやげのキーホルダーの販売額は、400円~500円程度。この価格を実現したのは、大量生産でした。当時は何千個、何万個という数をつくっても、需要があったのです。

 「日本がバブルほどの熱狂に包まれることはもうないのでは」と山下さんは語ります。
 現在もTwitterやウェブの記事などで、ファンシー絵みやげの保護を呼びかけている山下さん。

 「最初はライフワークとしてゆっくり楽しめばいいかなと思っていたんですが、お土産屋さんの高齢化などで閉店していくスピードに追い付かなくなって、急いで集めてきました。

 ひとつの流行が消えるっていうのは当然あることですけど、名前もない、資料もない、思い出す機会もないと完全になかったものになってしまうんです。

 今回のように本を出版したり、展示したりして、人々に語られる存在になればと思っています」

 バブル景気真っ只中の日本を吸い込んで消えた「ファンシー絵みやげ」。もしかしたら、みなさんの実家や、親戚の家でも、ひっそりと見つけられる日を待っているかもしれません。
2月17日発売の「ファンシー絵みやげ大百科 忘れられたバブル時代の観光地みやげ」
2月17日発売の「ファンシー絵みやげ大百科 忘れられたバブル時代の観光地みやげ」 出典:イースト・プレス提供

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