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2018年02月12日

「戦力外」サッカー選手から三菱総研へ アスリートがつかんだ正社員

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Vファーレン・長崎時代の阿部博一さん(右)。念願のプロ契約となった年、まさかの「戦力外通告」に……=阿部さん提供

Vファーレン・長崎時代の阿部博一さん(右)。念願のプロ契約となった年、まさかの「戦力外通告」に……=阿部さん提供

 一握りの人しか舞台に上がれないプロスポーツの世界。セカンドキャリアを考え、再スタートを切った元選手は、どのような心構えがあったのでしょうか。元プロサッカー選手の阿部博一さん(32)は、念願のプロ契約になった年、戦力外通告を受けました。その後、アメリカの大学院に留学し日本で就職します。順調に次のステップに進めたのは、3年間で結果を出すと自分に課したこと、サッカー以外の世界も吸収しようとしていたことを心がけていたからでした。

【動画】セカンドキャリアについて語る阿部博一さん=戸田拓

3年間で結果を出すことを目標に

<大学卒業後、クラブと契約。当初から「3年間で結果を出す」と心に決めていた>

 小学校時代から、将来の夢はプロのサッカー選手になることでした。大学卒業後、当時九州リーグ(地域リーグ)に所属していた∨・ファーレン長崎(現・J1リーグ所属)に入団しました。

 結果的に3年間ここに在籍するのですが、最初の2年はアマチュア契約。給料はもらっていましたが、生活費を補うために他に仕事をしていました。その中で「3年間で結果を出す」と最初から決めていました。

 当時一番難しかったのがサッカーに集中できる環境を整えることでした。アマチュア契約の選手は、プロ契約を勝ち取るために必死な一方で、経済面でアルバイト中心の生活になっていく選手も多かったです。

 そして、チーム在籍3年目の2010年に、24歳でチームとプロ契約を結ぶことが出来ました。

サッカーに対する気持ちが切れた瞬間

<プロになった年のシーズンオフ、自ら引退を決意。理由は「気持ちが切れたから」>  

 2010年、24歳の時プロ選手としてJFL(3部リーグ)でプレーしていましたが、JリーガーになるためにはJ2、J1とステップアップが必須です。

 当時、ホームスタジアムがないとJリーグに上がれないという条件があったのですが、V・ファーレンではその年もスタジアムができず、Jリーグに上がれないことが分かった瞬間、サッカーに対する気持ちが切れました。

 選手を続けていく上で一番重要なのは、サッカーがうまくなりたい、上を目指したいという「気持ち」だと個人的には思います。

 僕は25歳でサッカーに対する気持ちが切れ、選手としてサッカーに夢が持てなくなりました。

∨・ファーレン長崎時代の阿部さん

∨・ファーレン長崎時代の阿部さん

出典: 阿部さん提供

予想外の通告内容

<自ら選んだ引退だったが、突きつけられたのは「戦力外」>

 サッカー選手を辞めるには二つの道があります。一つは「自己申告」。もう一つは「戦力外通告」を受けること。

 チームによって多少異なりますが、毎年12月頃に、選手は翌年の契約内容が書かれた「通告」を受け取ります。クラブからの「通告」は戦力外でした。要するにクビです。

 既にサッカーを辞めると決めていましたが、戦力外の通告を見た時は、予想以上にショックを受けている自分がいました。サッカーに対してどこか未練があったのだろうと思います。

 

 戦力外通告の理由を求めることはしませんでした。クビはクビ。結果は僕が決めることではありません。プロサッカー選手は、結果に言い訳をし始めるときりがない。

 試合に出られなかったり、解雇されたりする理由は、必ず自分自身にあるはずです。サッカー選手に限らず、プロのスポーツ選手は結果が白黒はっきりと出る世界の中で戦っています。

 自分は一生懸命やっているつもりでも、結果の出る努力をする必要があることをプロの世界で学びました。スポーツを通して培われた「結果を基準に何をすべきか突きつめて考えること」は、その先の人生でも応用可能な能力だと思います。

 プロサッカー選手を目指しても、3000人に1人程度しかプロになれません。だけど、この激しい競争の中で自分なりの答えを探し続けることは、大きな意義があります。

「サッカーと真摯に向き合ったことがキャリアに活きた」

<退団後、次のステップに進めたのは、真摯にサッカーに取り組んだから>

 サッカー以外の分野から、サッカーに活かせるアイディアを得るために現役中も勉強を続けました。

 元々勉強するのが好きで、中学の頃からスポーツと勉強を両立してきました。大学入学後、サッカー以外にも自分に「武器」が欲しいと思い、英語と速読の勉強を始めました。

 英語は、確実に重要なスキルであるにも関わらず、多くの人が習得出来ていない、そこに「勝機」があると考えました。

 また、サッカー部の練習で忙しかったので、限られた時間でインプット出来る情報量を上げるために速読が役に立つと考えました。

 退団後、アメリカのカリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)に進学し、国際関係学修士号を取得出来たことも全てはサッカーに真摯に向き合って来た結果だと思います。

アメリカのカリフォルニア大学サンディエゴ校にて

アメリカのカリフォルニア大学サンディエゴ校にて

出典: 阿部さん提供

キャリアを手に入れるための「自分への挑戦」

<帰国後に就職、就職先を選んだ決め手になったのは「直感」>

 大学院時代、授業のディスカッションでは、必ず発言するようにしていました。それが自分なりの挑戦でした。そんな僕を見て、UCSDに度々訪問していた三菱総合研究所の方が「日本に帰って来た時には連絡してくれ」と、声を掛けてくれました。

 その後、UCSDから逆留学する形で、一学期間だけ東京大学公共政策大学院で勉強することになり、日本に帰国します。同時に三菱総合研究所でインターンを始めました。

アメリカのカリフォルニア大学サンディエゴ校卒業式にて

アメリカのカリフォルニア大学サンディエゴ校卒業式にて

出典: 阿部さん提供

 実は、日本に戻る前、一般的な就職活動もしました。バイリンガル向けの就職イベントであるボストンキャリアフォーラムに参加したのですが、結局内定は一つも貰えませんでした。

 理由は様々考えられますが、他の人よりも年齢が高い、また、一般企業での社会人経験がないなど、プロサッカー選手として過ごした期間が、就職活動においてマイナスになることもあったと思います。

 インターン先の三菱総合研究所では、自分を必要としてくれる人がいて、自分が挑戦できる環境があると感じました。その「直感」にしたがって就職を決め、三菱総合研究所に正社員として2014年に入社しました。29歳の時でした。

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