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コラム

麻央さんが救ってくれた、私の心 〝30秒で泣ける漫画〟の作者が描く

漫画家・吉谷光平さんが、亡くなった小林麻央さんについて描きました。

漫画「がん」の一場面=作・吉谷光平さん
漫画「がん」の一場面=作・吉谷光平さん

 「他人事とは思えなかった」。ツイッターに投稿した漫画「男ってやつは」が〝30秒で泣ける〟と話題になった漫画家・吉谷光平さんが、亡くなった小林麻央さんについて描きました。

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漫画「がん」=作・吉谷光平さん(記事下にあるフォトギャラリーに拡大画像があります)
漫画「がん」=作・吉谷光平さん(記事下にあるフォトギャラリーに拡大画像があります)
 乳がんを患い、闘病生活を送っていたフリーキャスターでタレントの小林麻央さんが今月22日、34歳で死去しました。

 夫で歌舞伎俳優の市川海老蔵さんは23日、東京都内で会見を開いて麻央さんが死去したことを明らかにし、「息を引き取る瞬間、私は見ていた。『愛している』とひとこと言って、旅立ちました」と話しました。
漫画「がん」の一場面=作・吉谷光平さん
漫画「がん」の一場面=作・吉谷光平さん
 麻央さんは1982年、新潟県生まれ。上智大学在学中に日本テレビ系「恋のから騒ぎ」に出演し、2006年秋から海老蔵さんとの結婚を明らかにした10年春まで、同局系「NEWS ZERO」のキャスターを務めました。

 2016年6月、海老蔵さんが都内のホテルで会見し、麻央さんが2014年秋から乳がんの治療を続けていることを公表。

 その際、海老蔵さんは、麻央さんの病状を「比較的深刻」としたうえで、「進行性のがんで、夫婦で受けた人間ドックでわかった」「かなりスピードの速いもので、なかなか大変なものでは、とお医者様から意見を頂いた」などと語っていました。
漫画「がん」の一場面=作・吉谷光平さん
漫画「がん」の一場面=作・吉谷光平さん
 麻央さんは2016年9月に闘病ブログを開始。「ステージ4だって治したい」などと、病状や家族への思いを率直に語り、がん闘病中の多くの患者を元気づけたことが評価され、英BBCが同11月に発表した「100Women(100人の女性)」に選ばれました。

 その際、BBCに寄せた手記では「病のイメージをもたれることや弱い姿を見せることには『怖(おそ)れ』がありました」「何かの罰で病気になったわけでもないのに、私は自分自身を責め、それまでと同じように生活できないことに、『失格』の烙印(らくいん)を押し、苦しみの陰に隠れ続けていた」と振り返っていました。

 ブログを始めたことについては「誇らしい妻、強い母でありたい」と吐露。がんになったことが「私の人生を代表する出来事ではない」「私の人生は、夢を叶(かな)え、時に苦しみもがき、愛する人に出会い、2人の宝物を授かり、家族に愛され、愛した、色どり豊かな人生」と記し、「与えられた時間を、病気の色だけに支配されることは、やめました。なりたい自分になる。人生をより色どり豊かなものにするために」との決心をつづっていました。
漫画「がん」の一場面=作・吉谷光平さん
漫画「がん」の一場面=作・吉谷光平さん
 病気と向き合う人たちの間から、麻央さんを悼む声が上がりました。

 「生身をさらして発信することがどれほどハードか想像できるだけに、つらくて麻央さんのブログをなかなか見られなかった」

 「病状が深刻でも、苦しみ、迷い、喜びもありのままに勇気を持って伝え続けてくれた」

 「多くの人に、大切な人や時間を見つめ直し、日々をどう生きるかを考えるきっかけをくれたのではないでしょうか」

 25日付の朝日新聞「天声人語」は、こう記しています。

 「日本の女性の11人に1人がかかると言われる乳がんは、だれにとっても遠い存在ではない。そして、がんに限らず『病と生きる人生』はいつでも訪れる。そのときも自分を失わず、強く柔らかくあり続ける。心の構え方を小林さんから教えられた気がする」
漫画「がん」の一場面=作・吉谷光平さん
漫画「がん」の一場面=作・吉谷光平さん

 【よしたに・こうへい】 漫画家。サラリーマン生活や漫画家アシスタントなどを経て、月刊スピリッツの「サカナマン」でデビュー。漫画アクションで「あきたこまちにひとめぼれ」を連載中、月刊ヤングマガジンの連載「ナナメにナナミちゃん」の単行本1巻が発売中。ツイッターで公開した2ページ5コマの漫画「男ってやつは」が〝30秒で泣ける〟と話題に。

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