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田中真紀子氏、衆院選に立候補せず 「真紀子節」で一時代、波紋も
田中真紀子・元文科相(70)が20日、年内に実施される見込みの衆院選に立候補しない意向を民主党側に伝えた。政界引退はしないとしているという。
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田中真紀子・元文科相(70)が20日、年内に実施される見込みの衆院選に立候補しない意向を民主党側に伝えた。政界引退はしないとしているという。
田中真紀子・元文科相(70)が20日、年内に実施される見込みの衆院選に立候補しない意向を民主党新潟県連に伝えた。
田中氏は、新潟5区の同党公認候補に内定していた。政界引退はしないとしているという。
田中氏は、故・田中角栄元首相の長女。角栄元首相の地盤を継いで1993年に初当選し、翌年、村山富市内閣で科学技術庁長官に抜擢。
その後、外相、民主党政権で文科相を歴任するも、2012年総選挙で落選していた。
夫は民主党参院議員の田中直紀氏。
その奔放とも言える「真紀子節」と呼ばれた発言で、お茶の間の話題を集めた。
2001年、小泉純一郎内閣の「顔」を期待され、外務大臣として入閣。しかし、外務省事務方と衝突を繰り返し、02年に更迭される。
「鈴木宗男氏が外務省に圧力をかけた」とされる問題を巡る国会答弁で外務省幹部らとの食い違いが取り沙汰されると、記者団に「私は一生懸命仕事をやっているのに」と涙ながらに語った。
この場面は小泉氏の「女の涙は武器」発言とともに、ワイドショーを賑わせた。
民主党の野田佳彦政権で文科相だった12年には、翌春に開学予定だった3大学の新設を不認可。
「大学の乱立に歯止めをかけて、教育の質を向上させたい。それが私の真意だ」と意図を説明したものの、既定路線を覆す突然のトップダウンに現場が混乱した。
批判も相次ぎ、結局は同省に押し切られる形で、田中氏が認可を決裁。支持率が低下していた野田政権への風当たりを強める結果となった。