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山口淑子さん、銃殺刑の危機 イサム・ノグチとの結婚 波乱の人生
山口淑子さんの人生は、現代の日本人には想像できないほど波乱に満ちたものでした。中国では銃殺刑にされそうになり、帰国後は女優として活躍。イサム・ノグチさんとの結婚や国会議員の顔も。激動の人生を振り返ります。

銃殺刑の危機、女優からテレビ司会者、参院議員へ
山口淑子さんの人生は、現代の日本人には想像できないほど波乱に満ちたものでした。中国では銃殺刑にされそうになり、帰国後は女優として活躍。イサム・ノグチさんとの結婚や国会議員の顔も。激動の人生を振り返ります。

「李香蘭」の名前、養子縁組で誕生
山口さんの父親は、旧満州で満鉄(南満州鉄道株式会社)の社員に北京語を教えていたそうです。父親が親しかった李際春将軍と山口さんが養子縁組をしたことから、「李香蘭」の名前をもらい、それが歴史的な女優の名前になったそうです。
「日本軍が来たらどうするのか」抗日集会で迫られる
1936年、山口さんは北京の女学校に通っていました。中国語を話す山口さんを誰もが中国人だと思っていたそうです。そんな中、抗日集会で「日本軍が来たらどうするのか」と迫られた山口さん。とっさに「城壁の上に立つ」と答えたそうです。

とっさに出た言葉でした。北京を囲む城壁の上で、どちらかの国の銃に撃たれよう。そう思ったのです。祖国は日本、母国は中国。私の中には二つの国がともにあります。でもその間で戦争が起こってしまう。私の苦しみが始まりました。
イサム・ノグチさんとの結婚、離婚
山口さんは、昭和26年に世界的な彫刻家、イサム・ノグチ氏と結婚、その後、離婚しました。ちなみにイサム・ノグチさんはメキシコの女性画家フリーダ・カーロとも大恋愛をしています。

高層ビルからの風景「日本がこんな風になるなんて」
2010年の取材時、27階の高層ビルから眺めた風景に山口さんは「日本がこんな風になるなんて夢にも思わなかったわ」と語りました。「会いたい人に会える、でもそれは当たり前なことではない」と、平和な時代の大切さを訴えていました。
