敗戦の責任って議論されたの? GHQに止められた「幻の調査会」

戦後、公的に敗戦の責任ついて議論された唯一の場だった「戦争調査会」。しかし、GHQの意向で消滅させられました。

後に戦争調査会をつくった幣原喜重郎(前列中央)内閣の初顔合わせ。後列右から3番目が芦田均厚相、前列右端が吉田茂外相=1945年10月9日、国会議事堂前

 敗戦直後、日本がなぜ戦争に負けたのかを議論するため、科学者や経済学者、報道機関の幹部らが集められた「戦争調査会」が作られました。戦後、公的に敗戦の責任について議論された唯一の場だったと言われていますが、連合国軍総司令部(GHQ)の意向で消滅させられた「幻の調査会」でした。

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