グルメ
里帰りで味わった〝はたちメシ〟 円卓を囲み、「食」でつながった縁

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二十歳の頃、何をしていましたか。そして、何をよく食べていましたか?
久しぶりに食べた「はたち」の頃の好物から、あなたは何を思うでしょうか。
今回は、京都でケータリング業などを営み「食」と向き合う女性の「はたちメシ」です。
庄本彩美(しょうもと・あやみ)さん:「円卓」代表。1988年、山口県柳井市生まれ。高校まで地元で過ごし、京都橘大学に進学して看護学部で学ぶ。卒業後は看護師として6年間働いたのちに退職。2018年にケータリングや保存食作りを主な事業とする『円卓』を開業。現在は京都府で夫、一児と暮らす
暑い夏の昼下がりに、京都の西陣を目指して歩いていた。絹織物で古くから知られるエリアである。
住宅街の中に町屋が残る一角があって、水の入った防火バケツがそこかしこに置かれていた。
歴史ある建物を守ろうという町内の意識が伝わってくるようだな……なんて思っているうち、庄本彩美さんの家にたどり着く。
町屋をリノベーションして1階をアトリエ、2階を住居として使用している庄本さん、屋号は「円卓」。
保存食やお弁当作り、ケータリングを生業(なりわい)とされている。
「暑かったでしょう、エアコンの効きが悪くてごめんなさい。お茶、飲んでくださいね」なんて気遣いながら中に入れてくれた。
効きが悪いと言うけれど、外の熱気とは無縁の過ごしやすい空気が流れている。
「もともとここ、美容室だったんです。それをリノベするとき、断熱もしっかりしたからですかね。以前も町屋に暮らしてたんですけど、台所など寒かったのでその点も考えて。そしてごめんなさい、このへん片づけてしまいますから!」
庄本さんはもともと山口県生まれで、現在37歳。広島寄りの柳井市で育った。
「だから言葉も“じゃけえ~”なんて感じで(笑)。中学の修学旅行で京都に来て、『ああ、ここ好きだ』って思ったんです。進学は京都にしよう、ここなら暮らしていけるとなぜか自然に思えたんですよ」
社会に出るなら「人の役に立ちたい」という思いが強かった。
両親は歯科技工士で、医療関係もいいなと思いつつ「もっと人に関わる形がいい」という思いから看護師の道を選び、山科にある京都橘大学の看護学部に進む。
時は2007年、その頃はどんなものをよく食べられていただろうか。
「うーん、なんだろう。基本的にずっと自炊してたんです。うちは兼業農家でもあるので、季節の野菜と米が定期的に送られてくるんですよ。それを使い切らなきゃいけないのもあって。料理は母に教わるとかじゃなく、独学で覚えました」
お母さんは実家でどんな料理を作られていましたか。
「海も近かったので、めばるとか、かさごの煮つけとか。あとはいわゆる〝名前のない料理〟ばかり。味つけも基本すべて醤油、酒、みりん(笑)。だからひとり暮らしになったとき、ハンバーグやミートソースなど〝名前のある料理〟を作れてうれしかった。でもいつしか私も、母みたいな料理ばかり作るようになってます」
サクサクと話され、内容は整然として、明快な人だなあという印象を受ける。こちらが聞きたいことの先までたっぷり答えてくれるというか。
「私ねー、こういうことを求められてるんだろうって先回りして考えてしまうタイプなんです、昔から(笑)」
サービス精神が旺盛ともいえるだろう。はたち前後は看護の勉強に明け暮れ、大変だったがやりがいを感じた。
その合間の楽しみは、自宅に友人を呼んでごはん会をすること。今の屋号そのままに、円卓をみんなで囲んでの食事会だ。
「みんながごはんを一緒に食べている風景が好きなんです」
自分が作って食べてもらい、人と人とのつながりが出来ていくのがうれしかった。よく作っていたのは鍋料理、寄せ鍋が多かったそう。
後の夫となる人とも、このごはん会で出会ったと教えてくれる。円卓は縁卓でもあったのだ。
「今回取材のお話をいただいて、自分の〝はたちメシ〟ってなんだろうと考えてみたんです。実家に帰ったとき母が作ってくれた和風のサーモンマリネがおいしくて、思わず『これ好き』って言ったら、帰るたび作ってくれるようになって。冷蔵庫を開けたら入ってるんですよ。親の味つけを真似て、作ってみました」
もうひとつ、辛くない和風の麻婆豆腐も庄本さんの好物で、こちらも帰省のたびに作ってくれたもの。
今回もあれ、冷蔵庫に入ってるかな……と思いながら里帰りする娘と、好評だった料理を作って待っている母親。ふたつのショートフィルムが頭の中で流れ出すような感覚を覚え、なんだか温かい思いになった。
大学卒業後は看護師として働き、まず整形外科で2年働いた。
「その後にICUと一般病棟の間ぐらいの患者さんを看るところで、4年ほど働いて」
看護師時代、忘れがたい経験をする。術後の経過が悪く、一般的な食事摂取が困難になった高齢男性が「どうしても好きなものを食べたい!」と主張、自己責任で構わないからと退院していった。
するとしばらくしてから「元気になりましたよ」と挨拶に現れたのだそう。
「衝撃でした。食べたいという一心で回復されたその体力もすごいけど、食の力ってすごいなあ……と。歩けないぐらい弱っていた方だったんですよ」
食のパワーを思いつつ、自分たちはどうだろうとも考えた。忙しすぎる生活の中で、食事がおろそかになっていないだろうか。
そんな折、ふと届いた実家の野菜と、祖母手づくりの味噌のおいしさが沁み入った。
「旬の野菜を味わって、ああもうこの野菜の時期が来たんだな……と思ったら、なんだか救われたような気持ちになりました。忙しい人たちにこそ、季節のおいしさを、手作りの味を感じてもらいたいと考えるようになっていって」
起業セミナーにも通い、自分が「食」を仕事にするならどういう形がいいか考えた。飲食店を構えるのは自信がない。
「そんなあるとき、50人分のお弁当を作ってほしいという依頼を受けて。やってみたら、出来ちゃったんです」
インスタグラムが流行し出した頃とタイミングが重なった。お弁当の仕出しやケータリングの依頼を受けるたび、ハッシュタグを付けて投稿。口コミが広がってイベントへの出店依頼や雑誌からの取材も受けるようになる。
2018年、「円卓」の名前で完全に専業へ。はたちの年からちょうど10年目のことだった。
去年に長男を出産したこともあり、現在は仕事をセーブ中。
「たまにお弁当の仕事を受けるともうヘトヘト(笑)。今は基本子育てに集中してますけど、この経験が自分にどうフィードバックされていくのか。休んでいる間に様々なものが高騰してしまい、以前の値段で提供するのも難しくなっています。考えることはいろいろありますが、保存食作りはずっと続けていきたい」
かつて仕事に忙殺されていたとき、祖母の味噌を味わって息を吹き返すような気持ちになれた。そんな味噌や昔ながらの保存食を長く伝えたいという思いが仕事の原動力。
「うちの祖母、90代で元気なんです。今も麹から味噌を手作りしているので、帰るたびあれこれを教わっていますよ」
取材・撮影/白央篤司(はくおう・あつし):フードライター、コラムニスト。「暮らしと食」をテーマに、忙しい現代人のための手軽な食生活のととのえ方、より気楽な調理アプローチに関する記事を制作する。主な著書に『自炊力』(光文社新書)『台所をひらく』(大和書房)『のっけて食べる』(文藝春秋)など。2023年10月に『名前のない鍋、きょうの鍋』(光文社)、2024年10月に『はじめての胃もたれ』(太田出版)、2025年4月に『はじめましての旬レシピ』(Gakken)出版
Twitter:https://twitter.com/hakuo416
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