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わらびもち、何をつけて食べる? きな粉だけor黒蜜も…深まった謎

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みなさんはわらびもちを食べるとき、何をつけて食べますか?和菓子メーカーには、東日本と西日本で「黒蜜」の有無を分けているところもありますが、ほかのわらびもちでも同様の傾向があるのでしょうか。わらびもちの食べ方に東西で差があるのか調べてみたところ、「わらびもち」の沼にはまっていきました。
SNSでは、わらびもちの食べ方について次のような声が投稿されています。
「関東で売ってるわらび餅ってきな粉に黒蜜ついてるんだ。 今TikTokで見てて初めて知った。きな粉だけのが普通だと思ってた」
「大阪と東京の文化の違いで一番謎なのはわらび餅に黒蜜入ってる事と、ところてんに黒蜜無いことよな」
SNSでは、わらびもちの食べ方についてそんな声が投稿されていました。
しかし和歌山に住んでいた記者は、疑問をおぼえました。和歌山で食べたわらびもちには黒蜜がかかっていた記憶があったからです。
家が奈良県との県境にあったので、奈良県でも食べた覚えがありますが、おぼろげな記憶の中のわらびもちは、やはり黒蜜がかかっていました。
ネットで西日本のお店を検索すると、きな粉のみのわらびもちもありますが、きな粉と黒蜜で食べるわらびもちもあります。わらびもちがどう食べられていたのか、調べてみたくなりました。
農林水産省が公開しているデータベース「にっぽん伝統食図鑑」では、奈良県の郷土料理としてわらびもちが紹介されています。
そこでは、わらびもちの食べ方として、「きな粉をふりかけたり、黒蜜をかけたりして食す」と書かれています。
担当の農林水産省の外食・食文化課食文化室に尋ねましたが、「当室として把握している内容は公表している内容のみになります」という回答でした。
農水省の担当者が全国和菓子協会にも確認してくれましたが、「全国和菓子協会としては、わらび餅の食べ方の地域差については承知していない」とのことでした。
わらびもちに関する資料を求めて日比谷図書文化館(旧・都立日比谷図書館)に行きました。しかし、料理のレシピ本はあるのですが、東西の食べ方の違いどころか、そもそも食文化や食物史の文脈でわらびもちを取り上げている本が見つかりません。
「くずもち」や「かしわもち」について記述している本はたくさんあるのに、なぜか「わらびもち」について触れている本が見つからないのです。
例えば、1983年に元朝日新聞記者の奥山益朗が編纂(へんさん)した「和菓子の辞典」という本は、見出し語が1千語あるとうたっているのに、わらびもちの項目がありません。「ワインようかん」「和布(わかめ)ようかん」まで載っているのに…。
農水省のページで奈良の郷土料理として紹介されていたので、奈良の伝統的な食事についてまとめた本を書庫から出してもらいました。奈良の食事についてだけで348ページも書いている本なのに、わらびもちが出てきません。「わらび飯」はあったのですが…。
そもそも、蕨餅、わらび餅、蕨もち、わらびもちといった具合に表記に揺れがある上、「わらびもち」で資料を検索すると、いずれも漫画家の「わらびもちきなこ」さん、「ワラビモチコ」さん、「和良比もち」さんも引っかかってしまいます。
それでも、わらびもちの食べ方に言及している資料が何点か見つかりました。
1898年に大倉書店が出した「日本大辞典」では、わらびもちの項に、「きなこなどまぶして食ふ」とありました。
1902年に経済雑誌社が出版した「日本社会事彙(じい)」には、「砂糖を付けて食ふ」とあります。
登山家の小島烏水が1906年に著した紀行文「山水無尽蔵」には、長野の白骨(しらほね)温泉でわらびもちを食べたときのことが書かれていました。
「最も食指を動かしたるは、蕨餅に蜂蜜一皿を添へたるものなり」とありました。
ほかにも、こんな記述がありました。
・梅村甚太郎「新編食用植物誌」(1911年)
「砂糖ト豆粉トヲ加ヘテ食スルヲ常トス」
・「中学新国文備考」(1926年)
「中に餡を入れたのもあるが、多くは扁平(へんぺい)で切餅のやうにつくる。砂糖または豆粉などを付けて用いる」
・京都府が出版した「京都名所」(1928年)
「土佐産の蕨の粉を用ゐ之に砂糖を和して被ひたるものなり」
・1938年の岡本かの子の小説「みちのく」
「有り合せの蕨餅に砂糖をかけて出してやつたりした」
奈良にまつわる描写があったのは、書誌学者・川瀬一馬の「随筆 柚の木」(1947年)です。
戦前に東大寺(奈良市)の門前にあった店でわらびもちを食べたくだりで、「きな粉をまぶして蜜と砂糖とをかけて供する」とあります。
この「蜜」が黒蜜かどうかは分かりませんが、少なくとも戦前の奈良に、きな粉と何らかの「蜜」をわらびもちにかけて食べさせる店があった可能性があります。
きな粉、砂糖、蜂蜜、砂糖と豆粉、中にあんこ、きな粉と蜜と砂糖……。これだけのバリエーションがあり、しかも東日本と西日本での食べ方の違いは分かりませんでした。
菓子に関する様々な資料を収集している「虎屋文庫」に問い合わせたところ、担当者が取材に答えてくれました。
虎屋文庫は、小倉ようかんの銘菓「夜の梅」で知られる虎屋が1973年に創設した菓子資料室です。
和菓子関連の研究論文を掲載した学術雑誌「和菓子」を発行したり、資料展を開催したりしています。
担当者によると、「江戸時代前期の旅日記『丙辰紀行』の『日坂のわらひ餅』の項には、わらびもちの食べ方として、『豆の粉に塩』とあるのが古い事例といえます。このほか江戸時代の旅日記にもわらびもちの記述がいくつか出てきますが、きな粉の味付けが若干見られる程度で、現在のところ黒蜜に言及しているものは見つかっていません」とのことでした。
「また、姫路藩主酒井忠以の茶会記『逾好日記』には、1788(天明8)年6月25日の茶席の菓子に『わらひ餅 きなこ取』、菓子製法書の『餅菓子即席手製集』(1805)には『砂糖をかける』とありましたが、やはり黒蜜についての記述は見受けられません」
江戸時代の史料には、東西の差どころか、黒蜜自体が出てこないようです。
そもそも、黒蜜は日本の食文化にいつごろ登場したのでしょうか。
虎屋文庫によると、黒蜜の原材料である黒砂糖(粗糖)は、江戸時代よりも前に日本に伝わっており、年代は定かではないものの、同様の蜜は作られていたと考えられるということです。
「江戸時代の例ですが、菓子製法書の『古今名物御前菓子図式』(1761年) の『水繊葛切』の項には砂糖蜜をかけて食べるという記述があり、この『砂糖蜜』は黒蜜だった可能性もあるでしょう。ただ、わらびもちに黒蜜をかけるようになったのがいつごろからなのかは不明です」といいます。
担当者の方も、「関西ではわらびもちに黒蜜をつけない」という事例を聞くことがあるそうですが、「新聞のコラム記事などでは東西問わずきな粉や黒蜜をかけると書かれていることも多く、実際にわらび餅を販売している店の情報を見ても、黒蜜あり・なしは両地域にあり、東西の傾向として挙げるのは難しいかと思います」ということでした。
ちなみに、ところてんは関東では酢じょうゆ、京都・大阪では黒蜜で食べる人が多いそうです。
一方で小麦粉を発酵させてつくる「くず餅」は、東京を中心とした関東では、きな粉と黒蜜をかけて食べてきました。
。東京には江戸時代から作り続けているという店もあります。
さまざまな資料にあたってきた記者は、このような菓子の印象もあり、「東=黒蜜」が結びついたのかもしれないとも感じました。
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