津軽三味線の兄弟ユニットとしてメジャーデビューし、今年25周年を迎える吉田兄弟。2000年代にはゴールドディスク大賞を複数回受賞、EXILEやももいろクローバーZの楽曲にも参加し、メディアでその姿を多く見かけました。それから20年、メディア登場の機会は減ったものの、この数年MIYAVI、Creepy Nutsといった有名アーティストとのコラボが続き、人気アニメへの楽曲提供も話題に。今年は全国ツアーを行う他、1万人規模のライブフィットネスイベント公演への参加も予定するなど、活動の幅を広げています。ヒットから25年、津軽三味線の魅力を伝え続ける二人が、これまでを振り返ります。(朝日新聞デジタル企画報道部・朽木誠一郎)
「名前がひとり歩きしていた部分もある」と振り返るのは、津軽三味線の兄弟ユニット・吉田兄弟の弟、健一さんです。メジャーデビューは1999年、アルバム『いぶき』をリリースしました。兄の良一郎さんが22歳、健一さんが20歳のときでした。
和楽器でありながら、時にロック、時にジャズのように多彩な音を奏でる二人は、2001年に第15回日本ゴールドディスク大賞の純邦楽アルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞、03年に同賞の日中国交正常化30周年記念特別賞を受賞。デビュー直後からテレビやCMでも引っ張りだこの快進撃でした。
「僕らもまさか、そこまで広がるとは正直あまり想像できていなくて。でも、僕らの楽曲や演奏スタイルが衝撃的だったんだなということに、逆に周りからの声で気づかせてもらいました。
また、当時は、和楽器をアップデートしたアイコン的な存在がいなかったと思うんです。僕らは出身も練習環境も北海道で、大らかな土地柄もあり、先生もうるさいことを言わず、自由にやらせてもらえた。それが広い層に届けられた要因だと、今となっては思います」(健一さん)
以降も快進撃は続きます。2010年代前半まで、MONKEY MAJIKやEXILE、ももいろクローバーZ(名義は桃黒亭一門)といった人気アーティストの楽曲に参加しました。こうしたコラボが求められることについて、良一郎さんは「自分たちの音楽性」と「津軽三味線の可能性」を理由にあげます。
「日本の民謡って『もみ手』と言われますが、基本的に1拍3拍の奇数で拍を取るんです。でも、僕らの音楽は2拍4拍の偶数で拍を取るから、ズッタンズッタンって体が縦にノる。リズムの取り方が和ではなく洋に近いのと、自分の内側から盛り上がる感覚があるから、他のジャンルとセッションしやすいのだと思います。
また、こうしたコラボで、僕はあらためて津軽三味線のポテンシャルを感じています。弦楽器でありながら、ここまでアタック(強く弾くこと)ができるものは他にない。情熱をそのままぶつけることができるから、コラボでも相手とのぶつかり合い、化学反応が起きる。そこに期待してもらっているのではと」(良一郎さん)
しかし、2010年代後半は、吉田兄弟としてマスメディアに登場することは減りました。健一さんは「意図的に露出を減らしたわけではない」とした上で、この時期、新ユニットやプロデュース、作曲、音楽監督といった「おたがいの個人活動を増やしたのは事実」と明かします。
「当時はそれぞれの活動をするための会社を分けていたくらい。僕は流派を超えた津軽三味線集団『疾風(はやて)』を結成したり、文化庁文化交流使として訪れたスペインで津軽三味線講義をスタートさせ、その後も5年くらいバルセロナを拠点にして活動したりしていました。
もともと、僕たちは大会に出ればライバルでしたし、ソロアーティスト二人だったのが、ある意味では売り出し方として、兄弟ユニットになった面もあります。それぞれの道に行ったというよりは、もともと歩いている方向性が違ったんです」(健一さん)
良一郎さんも、楽曲制作やレコーディング、他のアーティストとの交流などを経ると、やはり「それぞれのカラーが出てくる」と認めます。
「僕も弟も、まさに(筆者注:吉田兄弟の演奏が国内外から高く評価される民謡の)『津軽じょんがら節』へのこだわりに通じるところなんですけど、津軽三味線の魅力を広めたいというところはもちろん同じなんです。ただ、そっちにどう持っていくかのルートが違うというのは弟もずっと感じていたんじゃないかな。
僕の場合は、津軽三味線を含めた和楽器、ひいては日本というのをもっと押していきたくて。純邦楽ユニットとして尺八や和太鼓の奏者たちと『WASABI』を結成、活動していました」(良一郎さん)
そうした期間を経て、20周年のライブ『吉田劇場2020』では再び二人でMIYAVIやCreepy Nutsといった有名アーティストとコラボし、その存在感を再び示しました。また兄弟での活動を再開した理由を、それぞれこう説明します。
「コロナ禍で考える時間もできて、『やっぱり僕らがなんとかしなきゃいけない』という危機感を持ったのが一番です。未だ和楽のジャンルで突出したアーティストが出てきていない中で、このままではジャンル自体が消滅してしまうかもしれない。
もう一度かつてのようなブームを起こす、その突破口を開くのは僕たちなんじゃないかという思いがすごく強くなっているのはありますね」(健一さん)
「自分で言うのはちょっと変ですけど、この期間を経て、津軽三味線の可能性だけでなく、自分の成長も感じてるんです。若い時の自分に、今は負けている気はしないです。
そうなると、また二人が合わさったときの今の吉田兄弟のパワーを、20周年、25周年っていうタイミングで、感じてほしくなったんですよね」(良一郎さん)
また、2021年、津軽三味線を題材にしたマンガ『ましろのおと』がテレビアニメ化された際には、津軽三味線による劇中曲を吉田兄弟が監修、エンディング曲で加藤ミリヤさんとコラボしました。
もともと、原作の連載開始時から「一緒にやっていこうという話はあった」と健一さん。高校生が主人公のストーリーであり、関わるメンバーにも若手を選んだそうです。ここにも、個別の活動をしていた時期のプロデュース経験が反映されています。
ユニットでの活動を増やし、近年、また勢いを増す吉田兄弟。今年4月にバイクエクササイズのFEELCYCLEが開催する、1万人規模の音楽とフィットネスを融合させたライブイベント「LUSTER」の全6公演に出演することも発表されました。
異色とも言えるコラボの理由を、健一さんは「単純に、1公演1000人弱がフィットネスバイクを漕いでいるのと一緒に、津軽三味線を演奏する画が、半端なく面白そうだと思ったんですよね」と屈託なく話します。
また、良一郎さんは「僕らの楽曲はよくダンスシーンで使っていただく」「ノりやすいという音楽性の一つの表れ」と分析。「珍しい組み合わせなので、僕もぜひ生で参加したいな」という経緯で、収録ではなく生演奏になったそうです。
活動の幅をさらに広げた今年はメジャーデビュー25周年にあたり、11月のデビュー記念日に向け、現在は「デビュー25周年 47+1都道府県ツアー吉田兄弟-極生-」の最中です。
良一郎さんが津軽三味線に出合ったのは5歳のとき。そのときに抱いた「津軽三味線が奥深くて面白い、カッコいいということ」をデビューしてから25年、伝え続けてきたと振り返ります。そして今は「ダサいがカッコいいに少し変わってきたところ」とのこと。
健一さんには今「一周した」という気持ちがあるそうです。兄弟のユニットとしてスタートし、コラボやそれぞれの活動を経て、「こうしてまた二人に戻ったのは、ただ戻っただけじゃなくて、ステージとしてはグッと上がったと、おたがいに感じていると思います」と自信をのぞかせます。
ツアーについては、それぞれ「生音にこだわったライブで、津軽三味線の、日本の音の響きや揺れを、ぜひみなさんに感じてほしいという一言」(良一郎さん)、「一回、沈んで、また上に上がろうとしている、その力を蓄えている状態なので、会場でみなさんに力をもらえたらと思います」(健一さん)と語りました。