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「UFOに遭遇」の小学生 甲府事件から半世紀を前に沈黙を破る
「キュルキュル」と声をかけられ…
1975年、一人の小学生が全国の注目を集めました。「宇宙人に遭遇し、肩ををたたかれた」。のちに「甲府事件」と呼ばれることになるこの出来事。小学2年生だった少年は50代となり、今、積極的に事件のことを伝える役割を買って出ています。長い沈黙を破り事件を語りだしたのはなぜか? 口を閉ざした理由、行動を共にする仲間との出会い、そして地元への思いを聞きました。(朝日新聞・池田拓哉)
UFOと宇宙人が目撃されたという「甲府事件」が起きたのは、1975年2月23日午後6時半ごろ。
当時小学2年生だった山畠克博さんは、同級生のいとこと一緒に甲府市上町付近のブドウ畑近くにいたそうです。
UFOの大きさは直径約2.5メートル、高さ1.5メートル。扉が開き、中にいた「宇宙人」2人のうち1人が降りてきました。
身長約130センチ、顔は茶色、深い横じわがあり、銀色の牙が生えていました。「キュルキュル」というような声で話しかけ、山畠さんの後ろに回って右肩を2回たたいてきたといいます。
怖くなった2人は慌てて逃げ帰りました。家族を連れて現場に戻ると、物体はオレンジ色の光を放ち、最後は白に変色して消えました。UFOが着陸していた場所には複数の穴が開いていました。
この体験談は、地元の山梨日日新聞が2日後に報じました。
UFO研究家らの間では「甲府事件」と呼ばれ、同様の目撃証言が複数の人から得られた貴重な事例として知られています。
列島をUFOブームが覆った1970年代から1980年代にかけて、山畠さんは雑誌などの取材に引っ張りだこでした。
しかし、真偽が怪しいオカルト情報として取り上げられたこともしばしば。嫌気が差し、30年以上前から目撃体験を語らなくなりました。
しかし、年月が過ぎて「信じてくれなくてもいい。自分の証言を正面から受け止めてほしい」という思いが強くなってきました。
そんな中で出会ったのが、山梨県内で活動するラジオパーソナリティー、徳タケ喜一さんでした。
徳タケさんは、カッパといった妖怪に詳しく、深夜番組「妖怪TALK」(FM FUJI)でリスナーを不思議の世界に案内しています。
「2025年には甲府事件から50年を迎えます。そこを目標に、甲府をUFOと宇宙人の話題で盛り上げるイベントを打ち上げたい」と徳タケさん。
山畠さんが遭遇した宇宙人の銅像を甲府市内に建てて、宇宙人好きの芸能人や歌手が集うトークライブでにぎわいを生み出すという「夢」を描いています。
山畠さんたちは大まじめに「この街を人間と宇宙人の交差点にしたい」と話します。
甲府事件を多くの人に知ってもらおうと、PR用に宇宙人型の着ぐるみを作ったり、イベントを企画したりするための寄付も募りました。
「UFOで山梨を盛り上げよう」という企画には、76人が賛同し、目標金額を大きく超えた70万円が集まりました。
徳タケさんは「宇宙人に向き合うことは、自分が知らない世界や人に関心を寄せるということ」と指摘します。
「好奇心を大事にする街づくりに通じるのではないでしょうか。宇宙人の聖地となれば、甲府は日本一優しい街になれるかもしれない」
東北にも、UFOや宇宙人を地域活性化に担ぎ出した町があります。
1992年に「UFOふれあい館」を建設した福島県の旧飯野町(現在は福島市)です。
1980年代末の竹下内閣が全国の自治体に1億円を交付した「ふるさと創生事業」を活用しました。
町内の山「千貫森(せんがんもり)」(高さ462メートル)は、UFOの目撃情報が多いことで知られます。
町は「UFOふれあい館」の初代館長に、地元のUFO研究家・木下次男さんを迎え、木下さんは収集した書籍や映像などを寄贈。千貫森にまつわるUFOや巨石の秘密を説明した8分間の立体映像シアターもあり、年間2万人が訪れています。
なかでも、電線を使わずに電力を送る「テスラコイル」の木下さんの実演教室は人気を呼びました。
「遠い星からやって来るUFOにはどのようにして電力が供給されるのか。これを説明したかった」
木下さんは2010年に館長を退いた後も、小学生らに実演を披露して科学の面白さを伝えてきました。
甲府事件を地域活性化に生かす取り組みにもエールを送ります。
「UFOや宇宙人を通じて、天文学やエネルギーへの関心や好奇心、知識を深めてほしい。甲府のアカデミックな街おこしに期待します」
※この記事はwithnewsとYahoo!ニュースによる共同連携企画です。
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