27日に火災があった、JR大宮駅東口を出てすぐの木造建築群。ニュースが流れると、SNSには「駅前一等地」になぜこのような建物が残っていたのか、という疑問も書き込まれました。街の成り立ちに関わる経緯について、さいたま市を取材しました。(朝日新聞デジタル機動報道部・朽木誠一郎)
27日、埼玉県さいたま市大宮区で、複数の建物が全焼する火災が発生しました。現場は駅を出てすぐの繁華街で、周辺には多くの商業ビルや飲食店が立ち並んでいます。多数の消防車が出動し、周辺は一時騒然としましたが、消防によればケガ人はいませんでした。
JR大宮駅東口、特にルミネ1出入口横の北階段を通ったことがある人なら、すぐ目の前に現れるファーストフードやドラッグストアの店舗が印象に残るはず。
埼玉県警によると、火はこのドラッグストアが入居するビルと隣のビルの間から出たということです。ファーストフード、ドラッグストアとその間のもう1店に火が広がりました。
この火災では、これらの建物が木造だったことが報道されました(すべてではなく、一部鉄筋コンクリート造も含む)。報道に際し、SNSには「駅前一等地」になぜこのような建物が残っていたのか、という疑問も書き込まれました。
たしかに、大宮駅は関東屈指のターミナル駅。その駅前の一等地に低層の木造建築群が残っていたのは、どのような理由によるものなのでしょうか。
さいたま市を取材しました。もともと大宮は宿場町として栄え、戦後復興期に交通の要衝として多くの人で賑わいました。しかし、年月を経るにつれ、建物の老朽化の問題が発生。
特に、宿場町の都市構造を継承したことで、街が幅の狭い街路と密集した小中規模の建物によって構成されていることは、防災の面で危険性も指摘されてきました。
東口を出てすぐの大宮銀座通り商店街は、2009年から2012年にかけて、老朽化したアーケードの撤去や電線の地中化などの再整備を実施。街のシンボルとなっていた旧大宮ロフトビルや旧大宮中央デパートも2010年代に補強工事や取り壊しが行われ、跡地にはそれぞれ、リニューアルされたビル、新しいビルが立っています。
一方、駅前の木造建築群を含む東口の一部は、再開発の調整が難航。2004年には計画が一度、廃止になり、しばらく建て替えも制限されたため、建物がそのままになった経緯があるとのこと。現在の姿は暫定整備されたものでした。
このような背景により、駅や商店街が整備されても、この木造建築群は通りに接する“看板”(外面)だけが置き換わり、取り壊しなどはされずに残されたと考えられます。
さいたま市アーカイブズセンターが公開する1967年の写真でも、同じ場所にほぼ同じ形をした建物3棟が確認できます。
同市担当者によれば、同市は現在、新しい都市計画である「大宮駅グランドセントラルステーション化構想」を推進中で、この駅前木造建築群を含む街区もその対象とのこと。
まちづくりに取り組むさまざまな団体・組織と連携しながら、整備を進めていくとしています。