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地元

マツタケ、なんでこんなに高級なの? 秘密の山奥で考えた

博士が遺した「生える山」の極意

マツタケ発見。枝の先をとがらせた道具で、根元の下から浮き上がらせるように採る
マツタケ発見。枝の先をとがらせた道具で、根元の下から浮き上がらせるように採る

目次

秋の味覚・マツタケ。なかなか手に入らない希少な高級食材というイメージですが、そもそもなぜ「高級」なんでしょうか。昔は「二束三文」だったって本当? ここ数年、長野県と生産高1位を争っている岩手県にある極秘の山中に、マツタケ採りの〝マイスター(名人)〟と入り、マツタケ博士やブローカーを訪ねると、変化の理由が見えてきました。

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「ハイヒールの貴婦人が歩けるような」

マツタケが生えているアカマツ林は「子どもには教えず、孫にしか教えない」ほど秘密だと言われる。いったいどんな場所なのか。記者は、マツタケ採りの〝名人〟に特別にお願いして、岩手県岩泉町の山林にあるマツタケスポットに連れていってもらった。

山道を四輪駆動車で上ること約20分。「入山禁止」の札が下がるロープを、許可を得ている岩泉まつたけ事業協同組合の「まつたけマイスター」岩舘勝男さん(74)が外し、さらに奥へ。周囲は警察がパトロールしていて、「この山だけでもここ数年で5、6人逮捕されている」という。

愛車パジェロもこれ以上進めないという山中で車を降りる。岩舘さんは、杭に打ち付けられたトタンの板を「ガンガン」とたたいた。クマよけのためだ。

マツタケの生えるアカマツ林
マツタケの生えるアカマツ林

74歳とは思えない軽い足取りの岩舘さんの後について、急な斜面を上る。一面にアカマツ林が広がった。

数分歩き、木と木の間に日が当たるだけの間隔があり、枯れ葉や枯れ枝が取り除かれている場所に着いた。この辺に、マツタケが生えていそうだという。「手入れをして、ハイヒールの貴婦人が日傘を差して歩くような林にすれば、たくさん生えるんです」と岩舘さんは言う。

それは、岩舘さんの師匠で「マツタケ博士」として知られた故・吉村文彦さんが、山を所有する山主たちを指導した時の決まり文句だった。

吉村さんは岩泉まつたけ研究所の所長として15年間指導した後、故郷の京都でも里山を整備する「まつたけ十字軍」を結成して活動したが、昨年急逝した。岩泉町では、まな弟子の岩舘さんがその整備方法を受け継いで指導している。

「あなたの足元あたりにありませんか?」

「人工栽培にも挑戦したが、うまくいかなかった。全国的にもまだ成功例がない。一方、林を手入れすると採れなくなっていたマツタケが3、4年すると採れるようになる。結局、自然には勝てないですね」

すでに斜面の下に軽トラックが1台止まっていた。この山を管理している人の車だ。「もう採られているかもしれませんね」と岩舘さん。

その心配は無用だった。10分もしないうちに岩舘さんが「ほら、あそこに」と指を差した。

「え、どこですか?」
「あれが見えないようでは、マツタケは採れませんよ」

目をこらすと、木の根から2、3メートル離れた所の土がぼこっと盛り上がっている。近寄ると、マツタケの笠が頭を出していた。

岩舘さんがリュックから先をとがらせた枝を取り出した。笠から10センチほど離れた土の中に斜めに突き刺し、下からすくうようにぐいっと浮き上がらせた。15センチくらいの軸のマツタケが現れた。

マイスターの岩舘さんが見つけたマツタケ
マイスターの岩舘さんが見つけたマツタケ

私がやったことのあるタケノコの採り方と似ていると思った。下に「シロ」と呼ばれる菌糸の塊がたくさん着いている。軍手をはめた手で土と菌糸を丁寧に払い、1ページを半分に切った新聞紙で包み、リュックに入れる。

「マツタケの菌糸はアカマツの細根から養分をもらい、円を描くように成長する。円は1年に10~15センチずつ広がっていく。2、3本見つけたら線で結んでみる。ここで見つかったということは、あなたの足元あたりにありませんか?」

そう言われて下を見た。右足に、ぐにゃっとした感覚が。何と、マツタケを踏んでしまっていた。「すみません」。何千円もの損害を与えてしまった私は、平謝りするしかなかった。

笑って許してくれた岩舘さんは、それから20分ほどの間に6本のマツタケを次々見つけた。

記者も採ってみた。「傷つけては大変」と慎重に道具を差し込む
記者も採ってみた。「傷つけては大変」と慎重に道具を差し込む

笠が開いたもの? 開いてないもの?

私も採らせてもらった。土に枝を入れると思ったより柔らかい。ただ、引き上げるときに根が引っかかるので、何カ所かさして引き上げやすい場所を探さねばならなかった。

半分は、虫に食われたり、伸びる途中で障害物があって軸が裂けてしまったりしていた。こういうマツタケは道の駅で安く売るか、親類や友人にプレゼントすることが多い。
「関東では笠のまだ開いていない物が、関西では開いた物が好まれるんですよ」。取ったマツタケを軽トラックの荷台に置き、山を下りた。

「昔は、マツタケもシメジもたくさん生えていて値段も二束三文。マツタケなんて『うまくない』って食べなかった人もいるくらいでした」と苦笑する岩舘さん。

「この調子だと今年は豊作じゃないですか」
「それはこれからの天候次第。台風が被害のない程度に雨を降らせ、その後に気温が下がると、一気に出ますよ」

豊作の年は、短期間に一気に出てくるので、採るのが間に合わないこともあるという。

「昔は二束三文だった」と語るまつたけマイスターの岩舘さん。キノコに詳しく著書も多い
「昔は二束三文だった」と語るまつたけマイスターの岩舘さん。キノコに詳しく著書も多い

ブローカーは「運と努力」

かつてマツタケの産地だった広島県や岡山県などは、松食い虫の影響でアカマツが枯れたり、手入れが行き届いていなかったりして廃れ、最近まとまった生産高があるのは岩手県と長野県だけ。過去5年間の生産量全国1位は、2017年が岩手県、18、19年が長野県、20年が岩手県、21年が長野県と「一騎打ち」の状態だ。

岩手県内最大のマツタケ産地の山田町のマツタケブローカー、芳賀榮三さん(77)を訪ねた。シイタケ作りでも全国に数人しかいない「原木乾椎茸づくり名人」の称号を持つ人だ。町内のマツタケ採りの名人たちが、朝採ったマツタケを持ち込み、芳賀さんが選別して買い取る。近くの女性たちが、ヒノキの葉が入った箱に詰めていく。

軸が太くて長く、まだ笠が開いていない1本何万円もする「極上品」は、全国のデパートや高級料亭などに直送される。豊作だった2年前は約3トン。「マツタケが持ち込まれるのは2週間くらいに集中するので保冷車を借りた。裁ききれなくて、マツタケを売りに来る人をだいぶ断った」

一転して不作だった昨年もかなりの量を扱ったが「高温が続いたので虫食いや傷が多かった。そうなると値段が何分の1にも落ちますね」。

自身もマツタケを採る芳賀さんに「マツタケ採りの極意は」と聞くと「運と努力だがね」と即答した。「いい山を見つけられるのは運。そこを探し当て、せっせと採るのは努力が必要」

昨年は、最初はよく出たが、9月下旬からぱったりやんだ。「だから、今年は『早く欲しい』という人が多くて。でも気温の高い頃のマツタケは虫食いが多い。これからが本番です」と話す。

マツタケを選別する芳賀栄三さん。「昨年は今頃からぱたりと採れなくなった」
マツタケを選別する芳賀栄三さん。「昨年は今頃からぱたりと採れなくなった」

「生活が便利になる一方でマツタケは」

マツタケは、今年豊作なのか。カギを握る条件は何か。そもそもなぜ希少なのか。国立研究開発法人森林研究・整備機構森林総合研究所でマツタケやトリュフの研究のプロジェクト代表を務め、現在、同研究所東北支所長の山中高史さんにうかがいました。

     ◇

Q 今年のマツタケは期待していいですか

A これからの、雨の降り具合と土の中の温度次第です。キノコは、土がある程度湿っていないと出てこないし大きくならない。雨の降り方も一度にたくさん降るのではなく、土の水分を保つ程度の間隔で降ることが大事。岩手県では、これから10月初めにかけてのマツタケの出る時期に、気温が順調に下がっていくことが重要。一回でも季節外れの暑さになると出にくくなります。


Q なぜですか

A キノコ類は、温度が下がると、キノコを作り始める。植物で言えば「果実」の部分。胞子は種です。秋になり気温が下がってくると、寒くて生きて行けないからと、きのこを作るスイッチがはいります。その後、夏ががぶりかえしたように気温が上がってしまうと、そのスイッチがオフになり、マツタケは出なくなるのです。

今年は、これまでは順調ですが、これから雨もほどほどに降り、暑さが戻らなければ、マツタケが豊作になるのではないでしょうか。


Q シイタケは人工栽培できるのに、なぜマツタケはできないのでしょうか

A 良く聞かれるので「私にその能力がないから」と言っています(笑)。シイタケは腐った木の中に菌を広がらせて、栄養分を取って育つので、丸太や、おがくずを固めたところに菌をつければ育てられます。一方、マツタケはアカマツの根っこに「共生」して、生きた樹木から栄養分をもらって育ちます。人工栽培は、野外でその「共生」を再現しなくてはならないのですが、そのためにどんな条件が必要か、まだよくわかっていないんです。

マツタケの菌に感染させ育てているアカマツ=岩手県林業技術センター
マツタケの菌に感染させ育てているアカマツ=岩手県林業技術センター

Q マツタケは、どんどん採れなくなっていますね。

A マツタケが共生するアカマツ林の環境が影響しています。マツは土にあまり栄養分がないところで育ちます。海岸沿いとか、落ち葉がたまってないところです。戦後、燃料をたきぎや落ち葉に頼らなくなり、アカマツ林には人の手が入らなくなりました。それによって、落ち葉がたまって栄養分が増えて、アカマツの林は荒れました。さらに松枯れによって、アカマツの林を見なくなり、広葉樹の林に変わってしまいました。

生活が便利になる一方でマツタケは減っていきました。

「マツタケ博士」と呼ばれ、昨年亡くなられた吉村文彦さんは、岩手や京都でアカマツ林を元の姿に戻す活動を長年続けられました。アカマツが元気であればマツタケもたくさん出る。吉村さんたちのなされたことは、マツタケを増やすために大切なことです。

     ◇

記者も20年前に吉村さんを取材したことがあります。最初は、疑心暗鬼だった山主たちも、だんだん教えを乞うようになりました。「貴婦人がハイヒールで日傘をさして歩くような、手入れされて日光が入るアカマツ林にマツタケは生える」と話していたのを思い出しました。質素な、きちんと整った所で、ひっそりと植物と共生しながら育つ。マツタケって「清貧」な生き物なんですね。

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