連載
#20 #啓発ことばディクショナリー
「教育勅語」に企業研修…辻田真佐憲さんが説く〝空気の支配〟の実態
煽動に乗っかる「内なる戦前」の怖さ
雇用する社員に、職場への愛着を持ってもらう。企業の中には、研修を通じて、その目的を達成しようとするところがあります。そうした取り組みは、組織が良しとする価値観を、一人ひとりに浸透させる機会にもなってきました。ある思想を、個人の心に植え付ける。そのために用いられかねない言葉と、適切な距離を保つには、どうすれば良いのか。評論家で近現代史研究者の辻田真佐憲さんと考えます。(withnews編集部・神戸郁人)
筆者は「人財(人材)」「志事(仕事)」といった、主に職場で使われる造語などを「啓発ことば」と名付け、使い方について調べています。
用例採集のための資料の一つが、いわゆる経済誌です。目を通す中で、誌面企画のトレンドの変遷にも、関心を持つようになりました。
とりわけ興味深かったのが、2000年代に増加した特集記事です。当時は若年労働者の離職率の高まりと、非正規雇用者の職場への定着が課題となっていました。そんな情勢を受けて、企業研修の事例を取り上げる文章が量産されたのです。
社員を離島や山奥へ連れて行き、「修行」させる。海外にある子会社への視察旅行を、一から計画するよう命じる。社是への理解を深めるため、地域での職業体験事業に駆り出す――。そうした「体験型」プログラムが、多数紹介されていました。
勤務先が事業を通じて、どういった理念を実現したがっているのか。一連の研修は、企業の根本的な存在意義について、働き手に考えてもらう好機となります。自らの仕事に誇りを持ち、労働意欲を高めることにもつながるでしょう。
一方で、企業側が称揚する価値観を、労働者の心に刻む手段にもなり得ます。例えば郊外の寺社に社員を隔離し、集団で創業者の言葉を「写経」させる。筆者が調べた範囲では、そのように、刷り込みの意図があからさまな研修も存在します。
「人間を一定の閉鎖的空間に置き、その心身を何らかの形で刺激する。そうすると、外部から思想をたたき込まれやすい心理状態になるものです。こうした構造は近代以降、統制のため、効率的に利用されてきました」。辻田さんが話します。
画一的・強制的な教育により、組織や権力に忠実な人間性を育む。その実例は枚挙にいとまがありません。特に分かりやすいのが、太平洋戦争下に行われた国粋主義的な施策です。辻田さんは「教育勅語」をめぐる動きに触れました。
教育勅語は1890年、明治天皇の名前で発布されました。歴代天皇の偉業をたたえ、様々な徳目を守ることなどを、臣民(天皇が治める国の国民)に呼びかける内容です。戦時中は国威発揚や、アジア諸国に対する侵略の正当化に利用されました。
「当時の子どもは、天長節(天皇の誕生日)といった、天皇にまつわる祝日に登校しなければなりませんでした。頭(こうべ)を垂れて教育勅語の捧読(ほうどく)を聞いたり、御真影(天皇の写真)に拝礼したりするためです。天皇に従順な国民性の形成が狙いでした」
辻田さんいわく、教育勅語に元来、自国第一主義的な意味合いはなかったそうです。実際に読むと、古代中国の儒教に基づく徳目が目に入ります。さらに「国憲(憲法)」「博愛」など西洋由来の概念も引きつつ、天皇中心の国家観の正当性が述べられています。
明治初期、日本は近代化のただなかにありました。西欧列強に対抗するため、国民を統合する必要に迫られていたのです。教育勅語は愛国心を広め、当時流行していた、反政府的な自由民権運動を抑え込む一手段だったと、辻田さんは語ります。
「しかし戦時下で拡大解釈され、『天皇の言葉に無条件に従わねばならない』とのメンタリティーを人々に植え付ける媒体となった。結果的に戦争を受け入れる態度も養ったのです。言葉そのものというより、使われ方が問題だったと思います」
辻田さんの解説を聞き、筆者は思いました。教育勅語の神格化が、ある種の「空気」によっても進展したのではないか、と。
文章に込められた精神性を、学校などで教え込まれる。その結果、人々が思想や習慣を内面化し、当たり前のように容認・従属してしまう……。そんなプロセスがあったのだろうと考えたのです。
こうした「同調圧力」が生じる状況は、現代の職場でもみられます。
2019年10月、電機大手パナソニックの男性社員が、過労を苦に自死しました。同社では当時、労務改革の一環で残業規制を実施。しかし男性は生前、自宅に残務を持ち帰り、翌朝までこなすことが日常的だったといいます。
労働基準監督署は自死を労災と認定。ただ、持ち帰り残業が会社側の指示で行われたと認めなかったのです。この判断に同調するパナソニックに対し、男性の妻は損害賠償を求めて提訴を検討しました。すると一転して謝罪、和解に至ったのです。
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仕事が過重でも、誰もが長時間労働に取り組んでいる。そのような環境では、無理に働き続けること自体が、絶対的な意味を持ちます。職場を覆う空気は、いつしか無言の同調圧力と化して、男性の心を蝕(むしば)んでいったのでしょう。
残業規制があったにもかかわらず、環境が改善しなかった事実も示唆的です。組織内に蔓延(まんえん)した価値観が、社員の心の奥底に達する。そして岩盤のように固定化してしまう。その変遷過程は教育勅語のケースと重なるように思います。
国家や企業による価値観の拡散は、「教育(学校における教育勅語の刷り込み・企業研修など)→教化(社会や職場における同調圧力によるものも含む)→内面化」の順に進んでいくと言えそうです。
こう整理すると、「教育」の段階で価値観の内容を精査できれば、煽動(せんどう)されるリスクを減らせるように思われます。では、具体的にどうすれば良いのか。辻田さんに尋ねてみると、次のような答えが返ってきました。
「歴史を学ぶ者としては、やはり過去の事例を参考にすることだと思います。人間のやることは、時代を経ても、それほど大きく変わりません。戦時下の動員の流れなどを知り、現代の事象に当てはめてみる。そうした思考実験が大切でしょう」
そして一人ひとりが、自らの心に批判の目を向けるべきだとも説きました。
「政府や企業など、メッセージを発する主体を警戒するのは、どちらかというと簡単です。一方で自分自身の中に、動員や煽動を肯定してしまう要素はないでしょうか。いわば『内なる戦前』への反省が、批判的な思考につながるように感じます」
価値観を広める側と受け取る側との相互作用。その磁場に引き込まれそうになったら、立ち止まり状況を俯瞰(ふかん)してみる。そんな試行錯誤の積み重ねこそ、私たちを取り巻く言葉や空気に耐性をつける、最良の手立てなのかもしれません。
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