マンガ
「ウチとかヨソとか関係ない」手塚治虫文化賞、記者が見た選考の裏側
「ウチのマンガ大賞も、よろしくお願いします」
『鉄腕アトム』や『ブラック・ジャック』で知られ、「マンガの神様」とも称される手塚治虫の名前を冠したマンガ賞「手塚治虫文化賞」を知っていますか?
第26回の今回は、魚豊さん著『チ。―地球の運動について―』(小学館)がマンガ大賞を受賞しました。過去には、この春に完結した『ゴールデンカムイ』(野田サトル/集英社)や、将棋を題材としたマンガ『3月のライオン』(羽海野チカ著/白泉社)も受賞しています。
そんななか、今回の選考を「例外中の例外」と振り返るのは、長年選考に携わってきた朝日新聞文化部・小原篤記者。〝ウチのマンガ大賞〟の歴史をひもときながら、選考の裏側を紹介します。
マンガ大賞はふたつある。
このため、「手塚治虫文化賞」の打ち合わせの際、私はしばしばこう口にする。
「ウチじゃない『マンガ大賞』は――」
最終選考会に近い時期に、もうひとつの「マンガ大賞」(同賞実行委員会主催)が発表されるものだから「ウチじゃない『マンガ大賞』の候補はですね……」と社内の会議などで私が参考情報として説明することになる。
ちょっとだけ自虐あるいは皮肉めいた響きがこもるのは(あくまで私の個人的な思いだが)、あちらの「マンガ大賞」は2008年にはじまり、書店員ら各界のマンガ好きの投票で選ぶというその性格上、大手書店のマンガ売り場に専用のコーナーが作られたりして正直うらやましいから。「こっちは1997年創設でずっと先輩なのに~」という思いもある。
もっとも、私も08年の初回からあちらの選考員として投票しているので、あっちもこっちも盛り上げたいのである。
さて今年で26回目となる手塚治虫文化賞に、マンガ担当記者として第4回から断続的に計17回携わってきた。
立ち上げには関わっていないが、手塚治虫さんが死去した翌年の90年に国立美術館初のマンガ展として東京国立近代美術館が「手塚治虫展」を開催した折、弊社が主催に名を連ねたことが「ご縁」だったと聞く。
ちなみに私は、小学3年のとき隣駅の図書館で『火の鳥 鳳凰編』を借り電車内で開くや乗り過ごすほど心奪われた、というのが大きなマンガ原体験ではあるが、91年入社なので手塚治虫さんを取材する機会はなかった。ああ残念。
第6回までは選考委員の投票(1次&2次の2段階)で1位の「マンガ大賞」と2位の「優秀賞」を決めていて、過程はガラス張り。
第7回からは、最終選考会で選考委員の合議により「マンガ大賞」「新生賞」「短編賞」を選ぶ方法に改めたが、「マンガ大賞」の最終候補を絞る第1次投票で選考委員の誰がどの作品に何点入れたかは公開している。
ちなみにランキング形式の「このマンガがすごい!」(宝島社)、「このマンガを読め!」(フリースタイル)は一発勝負の投票による。ウチじゃない「マンガ大賞」は1次&2次の2段階投票で、かつてのウチのマンガ大賞に近い(ああ、ややこしい)。
「投票のみ」というのはすがすがしいけれど、合議は合議でスリルがあってたまらない。数多くの最終選考会に立ち合った経験から得た実感だ。
選考委員による投票で1次選考1位ならすんなりマンガ大賞か、というと、そういうケースは実は少数派。
候補作の中でポイント数が一番少なかったのにマンガ大賞に選ばれた作品は、合議制が導入された第7回以降で、第14回の『へうげもの』(山田芳裕さん著、講談社)、第17回の『キングダム』(原泰久さん著、集英社)など何と7作もある。
1次でトップ得票、最終選考会で全会一致などという今年のマンガ大賞『チ。-地球の運動について-』(魚豊さん著、小学館)はむしろ例外中の例外だ。
最終選考会では「候補作を全部読んで考えを変えた」とか「いま○○さんの推す意見を聞いてこの作品がいかに優れているか納得した」といった声が出る。
1次投票の内容は授賞結果発表時に公開されるので、1次で挙げたものとは違う作品を推すとなると相応の覚悟がいる。
また、推す作品が多数派を形成できないとなれば、他の候補の〝陣営〟に移る決断を迫られもする(迫るのは進行役を務める私の上司の部長だ)。
議論は白熱し、委員の眉間のシワは深まり、主催者の私たちは気をもむ。委員それぞれの評価軸とマンガ愛の方向性の違いから意見がまとまらず、真っ二つに分かれたこともあった(第何回とは言わない)。
委員は数年おきに交代していただくが、「ただ『マンガ』という共通点があるだけでこんなに方向性が違うものを、どっちが上か下かなんて決めるのはそもそも無理だ」というのは、だいたい皆さんの共通した思いだろう。
賞なるものの存在を根底からひっくり返す考えだが、決定の最終段階でしばしばこの「ぼやき」がため息と共に出てくる。
「賞の数が足りない」
「候補に上がってくるくらいの作品はみんな賞にふさわしい」
「候補作を全部読んで改めてマンガの幅広さと奥深さを感じた」という声もよく上がる。これも皆さんの共通意見と言っていい。
「この作品は〝手塚治虫〟の名を冠した賞にふさわしいか」。これもしばしば委員の方々が口にする言葉だ。
手塚マンガを貫く精神性、志、夢、ロマン、更にはエンタメ志向やサービス精神……。あえて口には出さずとも、偉大な「手塚治虫」の名は常に選考を導く指針となっている。
今年の第26回は、担当記者を後輩に譲ってオブザーバー的な立場となったが、最終選考会には立ち合わせてもらった(オンライン形式だったけど)。
さっき「例外中の例外」と書いた通りの成り行きで、「ウォッチャー」としてはもの足りないけど長く続けていればこんな年もあるのだろう。さあ来年はどうなるか楽しみだ(モメてほしいと言っているわけではない)。
この賞をもっと多くの読者に知ってもらうための原稿「手塚治虫文化賞って?」という注文が来て、長年かかわってきた経験を基に「内幕」っぽいものを記してみた。
ウチの「マンガ大賞」を、よろしくお願いします。
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