連載
#6 罪と人間
深夜のコンビニ、駆けつけた警察官は言った「あなた有名人だよ」
2年ほど前、冬のある日の深夜でした。30代の女性は、部屋着姿のまま自転車にまたがりました。向かった先は、なじみのコンビニ。女性は摂食障害で食べて吐くを繰り返していました。深夜に過食の衝動が始まったのです。同時に、当時は万引きが止まらなくなっていました。そんな女性には、神頼みにも似た思いがありました。「大好きなサーモンのおすしが、『一つだけ』ありますように」
※この記事には過食嘔吐にまつわる描写、写真があります。
女性の身長は156センチ。体重は当時、30キロを下回っていました。
サーモンのおすしが食べたい。けれども、いったん食べてしまえば、体重を増やさないように胃をパンパンにして吐かないといけない――。そんな思考回路だったのだと、女性は説明します。
吐くことはつらく、やめたい。そう思った女性は、「一つだけ」と願ったのです。1パックならば、許容できるカロリー。吐かずに寝られる。そう思ったそうです。
けれども、サーモンのおすしは、3パックありました。
「見た瞬間、『三つ食べたい』という衝動が抑えられなくなってしまいました」
三つ食べるなら、おなかにたくさん詰め込んで吐くしかない。そんな考えが女性を襲いました。
サーモンのおすしに手を伸ばし、会計を済ます前に、持参したエコバッグに入れました。万引きです。
女性の記憶は定かでありません。ただ、エコバッグ二つが満杯になるまで弁当や菓子パンを詰め込んだ、と後になって捜査関係者に聞かされました。
店を出ると「支払っていないものがあります」と店員に呼び止められ、すぐに警察官がやってきました。
捜査関係者と見られる男性はこう言ったそうです。「(あなたは)有名人だよ」
女性が関わった、ほかの万引き事件を捜査しているようでした。
確かに、初めてではありませんでした。
過食のため、食費は月30万円。月額8万円ほどの障害年金を受給していましたが、足りません。当時は無職でしたが、正社員として働いていたこともあり、退職前に蓄えたお金を取り崩していました。お金に困っていたのも事実です。
それでも、加湿器や毛布、ぬいぐるみなど、まったく使わないものも盗んでいました。防犯カメラに映っても気にならず、むしろ持参したエコバッグのすき間を盗んだもので埋めることに意識が向いていたそうです。
女性は警察で取り調べを受けましたが、すぐに釈放されました。
それでも、万引きは止まりませんでした。
数カ月後、別の万引き事件で逮捕されました。
警察署に勾留されている間も、体重が気になって食事には手をつけられませんでした。当時は24キロ。点滴を受けて命をつなぎました。
関係者によると、この時点で、女性の裁判をするために起訴も検討されたそうです。しかし、女性に命の危険があることから治療を優先したそうです。女性は、釈放されました。
警察官同行のもとで入院施設に移動し、病院内で釈放されたのです。
「摂食障害の患者さんで万引き経験のある人は確かに一定数います」。摂食障害の治療に取り組む内科医の鈴木眞理さんはこう話します。患者127人に聞き取ったところ、1割弱の人が「万引きをしたことがある」と回答しました。「ほかの施設からは4割との報告があります」
ただ、こうも強調します。「健康な人でも飢餓状態に陥った場合、判断力が落ち、万引きをしてしまうという実験結果が報告されています」。多くは、体重が増え始めることで、万引きが止まります。
万引きする際に周囲を気にしない。誰かに見られていても盗んでしまう。お金を持っていても盗む。そんなケースもあります。鈴木さんは「法律に違反している行為としては、『合理的』とは言えない振る舞いが目立ちます」と話します。
動機や状況はさまざまで、「『きょうは1万円を盗む』などと金額を決めて達成感や充実感を得ていたケースもあります」
一方で、ある20代の女性は、「母への腹いせ」と語ったそうです。「子どもの頃から過度な期待を受けてきた。その重荷を一気に落とすのが万引きだというのです」
万引きを繰り返す人の中には、窃盗症(クレプトマニア)という診断を受ける人もいます。今回の記事の女性も、窃盗症と診断されています。
精神疾患の一種で、米国の精神医学会の診断基準(DSM‐Ⅴ)によると、自己使用目的や金銭的価値のためではなく、窃盗衝動に抗えずに万引きを繰り返すとされています。
「万引き依存症」などの依存症関連の著書が多数ある精神保健福祉士・社会福祉士の斉藤章佳さんは「窃盗症は、盗むこと自体が症状。刑罰だけでは再犯防止効果がなく専門治療が必要な場合も多いです」と話します。
斉藤さんは現在、大船榎本クリニックの精神保健福祉部長。2016年から、万引きの疑いで逮捕されて釈放されるなどした窃盗症の人を対象に、再発防止プログラムを提供してきました。
「盗める環境で盗まない」ことをめざし、自己否定感や孤独など盗みの引き金になる感情に気づいてコントロールしたり、万引き以外の趣味やスポーツなどでストレスへの対処行動を学んだりしています。
斉藤さんの分析によると、プログラム期間の1年間、続けて受講できた約100人の治療定着群のうち、再び万引きをして捕まってしまった人は現在2人だそうです。ただ、分析の対象となった受講生は約250人以上。150人程度は、途中で実刑判決を受けるなどして受講が途切れます。150人のうち3分の1くらいの人は、再び万引きをしてしまうのも事実です。
「窃盗の再犯は課題であり続けています。少なくとも、刑罰が適しているとは言えないケースが多いと思います。もちろん、治療プログラムを受けても、再犯をしてしまう人はいます。それでも、出所後にまた通う人もいる。5年、10年と長い付き合いをしながら、根気よく伴走しながら回復をめざしていきます」。斉藤さんは、そう話します。
取材した女性は、その後、窃盗罪で起訴され、裁判が始まりました。今年になって、懲役10カ月執行猶予3年の判決が言い渡されました。求刑は1年。「想定よりも情状面が考慮された」と関係者は話します。裁判の過程では、摂食障害や窃盗症の治療に向けた環境整備について、裁判長からも言及があったそうです。
女性は、医療面での治療を続けています。同時に、同じく窃盗症に悩む人たちの自助グループにも参加しました。万引きの〝歯止め〟として、メンバーの顔が浮かぶこともあるそうです。
ただ、摂食障害や窃盗症と向き合っていくことの難しさは、女性自身が痛感しています。だからこそ、1人ではなく、周囲の人、専門家、当事者とともに、回復に向けて歩み続けていくことを願います。
繰り返し「罪」を犯してしまう人がいます。この記事の女性も、万引きが止まりませんでした。万引きの被害は深刻で、窃盗は言うまでもなく犯罪です。
ただ、「罪」の背景に目を向けると、ままならないことがさまざまに浮かび上がってきます。依存症や別の精神疾患、知的な障害などがある人もいます。女性も、衝動的に盗みを繰り返す窃盗症と診断されています。もちろん、疾患や障害があっても「罪」を犯さない人が多数ですが、再犯を防ぐために、「罰」だけではない医療や福祉的なアプローチへの関心が高まっています。
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