3月27日にあったアカデミー賞授賞式で、俳優のウィル・スミスさんが、プレゼンターを務めたコメディアンのクリス・ロックさんの顔を壇上で“ビンタ”する一幕がありました。ロックさんが、脱毛症であることを公表していたスミスさんの妻のジェイダ・ピンケット・スミスさんの髪型を“ジョーク”にしたとみられます。「歴史上で最も混乱したオスカー」となった一件。脱毛症とはどのような病気で、患者さんはどのような悩みを持っているのでしょうか。専門医に話を聞きました。(朝日新聞デジタル機動報道部・朽木誠一郎)
SNSで大きな話題を集めた、アカデミー賞授賞式でのウィル・スミスさんの“ビンタ”騒動。同賞を運営する団体・映画芸術科学アカデミーは27日、Twitterで「アカデミーは、いかなる形の暴力も許容しない」と表明した上で、28日、スミスさんを非難する声明を出しました。
スミスさんも28日、謝罪のメッセージをInstagramに投稿しました。スミスさんはメッセージで「暴力はすべての形において有毒で破壊的だ」と述べ、授賞式での行動について謝罪。「私が冗談の対象になるのは仕事の一部だが、ジェイダの健康状態についての冗談は耐えられず、感情的に反応した」と記しました。
スミスさんの妻のジェイダ・ピンケット・スミスさんは、脱毛症であることを公表しています。
そんなジェイダさんを指して、アカデミー賞授賞式でプレゼンターを務めたコメディアンのクリス・ロックさんが「G・I・ジェーンの続編を楽しみにしている」と発言。丸刈りの女性兵士が過酷な訓練に挑む姿を描いた作品であり、ジェイダさんの髪型を“ジョーク”にしたとみられます。
スミスさんは、ロックさんにも直接謝罪し「私は一線を越え、間違っていた。自分が恥ずかしく、私が目指そうとしている人を示す行動ではなかった」としました。同アカデミーや世界中の視聴者にも謝罪し、メッセージの最後は「私はまだ完成されていない」という趣旨の言葉で締めくくりました。
では、注目された脱毛症とはどんな病気なのでしょうか。話を聞いたのは、浜松医科大学皮膚科学講座病院教授で皮膚科専門医の伊藤泰介さんです。
実は「脱毛症」と一言で言っても、さまざまな種類があります。例えば、日本人成人男性の約3人に1人がなるとされる男性型脱毛症は、主に毛が細く短い毛に置き換わることで起き、必ずしも毛が抜けているわけではありませんが、社会的に認知された脱毛症の一つです。
他にも、先天的な乏毛症や瘢痕性脱毛症(永久脱毛になってしまう疾患)などもあります。男性型脱毛症だけでなく女性型脱毛症もあり、これらは生理的な現象です。
病名が示すとおり、毛が抜けて数が少なくなる脱毛症としては「円形脱毛症」が代表的です。
伊藤さんは「病院で脱毛症外来を開いていて、最も相談に来ることが多く、同時に深刻であるのが、円形脱毛症です」とします。
円形脱毛症は人口の1〜2%に発生し、人種差はないとされます。なりやすい素質は「遺伝的な要因がある」と伊藤さん。
また、円形脱毛症には一部に精神的ストレスが原因というイメージがあるものの、ストレスは誘因となることもあるが、主な原因ではないと考えられているそうです。伊藤さんは「COVID-19やインフルエンザ感染、出産や疲労、寝不足なども誘因となり得ます」と説明します。
脱毛が起きるのは、成長期の毛包がリンパ球の攻撃を受けて壊されてしまうためで、自己免疫病だと考えられています。このリンパ球の攻撃を抑えられれば、また髪が生えてくることが知られています。患者さんごとに脱毛の状態や経過を考慮して治療が選択されます。
コインのように円く脱毛する単発型が基本で、多発する場合や、ときに頭全体の毛が抜ける(全頭型)場合、全身の毛が抜ける(汎発型)場合など複数の型があります。伊藤さんによれば、汎発型にはあらゆる治療法に抵抗を示す例もあり、「10年以上改善しないという方も多い」という、治療が難しい病気でもあります。
脱毛症外来で多数の毛髪疾患を抱える患者さんを診てきた伊藤さんは「脱毛疾患は社会の中で生きづらさを感じやすいもの」と指摘します。
「抜け毛は隠しづらく、また一般の方にとって不規則に脱毛している姿は“非日常”です。そのため、脱毛患者さんに目が行ってしまうことが起こりますが、これは患者さんにとって非常に辛いものです。ウイッグは非常に有用な手段ですが、ウイッグを使用したことによる日常生活の制限も大きくのしかかります」
そして、伊藤さんは、テレビやラジオなどでの頭髪にまつわる“ジョーク”が、脱毛症患者さんを苦しめるところを、実際に見てきたと訴えます。
「たとえそれが当事者による“自虐”であっても、こうした“ジョーク”は脱毛症状にマイナスなイメージを強く一般に与えています。脱毛症状を経験した方がよく言うことに『抜け毛がこんなに苦しいものとは思わなかった』『なって初めてこのような辛さ、悲しさを感じた』というものがあります。脱毛外来は、患者さんが涙することの多い外来であると感じます」
また、伊藤さんは「“ジョーク”を言う人は、それが当事者でなければなおさら、気軽に言ってしまうこともあるのだと思います」とした上で、こう話しました。
「しかし、当事者やその周囲で脱毛症患者の苦しみを共有している人は、無理解に対して怒りを覚えることもあるでしょう。そのくらい、脱毛症患者さんの受ける差別的な反応というものは、時に過酷なのです。
円形脱毛症患者を対象にした私たちの研究※では、患者さんの生活の質が低下しており、41.8%に抑うつ疑いがみられることがわかりました。脱毛症患者さんたちが社会のマイナスなイメージにより苦しんでいることを、どうか知っていただきたいです」
※Health-related quality of life in patients with alopecia areata: Results of a Japanese survey with norm-based comparisons - The Journal of Dermatology