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「元風俗嬢」告げられたら? 漫画で学ぶ多様性

『ちひろさん』の魅力を紹介します。(c)安田弘之(秋田書店)2014
『ちひろさん』の魅力を紹介します。(c)安田弘之(秋田書店)2014 出典: ちひろさん 1巻(秋田書店公式サイト)

目次

名作マンガ『ちひろさん』(秋田書店)を読んでいると、しばしば印象的な場面に出くわします。海辺にある小さな弁当屋で働くちひろさんは、“元風俗嬢”であることをオープンにしていて、その結果、関わる人の物事の見方を鏡のように映し出してしまうからです。読者にとっても、自分の固定観念を揺さぶるきっかけを与えてくれる、そんな同作の魅力を紹介します。(withnews編集部・朽木誠一郎)
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【連載】「フカヨミで探る多様性のヒント」

「多様性/ダイバーシティ」という言葉は流行れど、それが一体どういうことなのかは、なかなか実感しにくいのも正直なところ。身近なマンガ作品を“深読み”することで、そんな多様性について考えるヒントを探ります。

「風俗嬢でした」という挨拶に、人は…

『ちひろさん』は安田弘之さんの作品で、2013年に連載がスタートし、18年に第一部が完結しました。単行本は9巻まで出版されています。著者の安田さんは『ショムニ』などの作者で、前作となる『ちひろ』(秋田書店/上下巻)の連載スタートからは20年以上が経過しています。長く愛され、第二部も予定されている、名作と呼ばれるマンガの一つです。

同作で印象的なのは、海辺にある小さな弁当屋で働くちひろさんが、“元風俗嬢”であることをオープンにしていること。そして、そうすることで返ってくる反応を、ある種、楽しんでいるように見えることです。それは彼女の「『風俗嬢でした』という挨拶に、人はうっかりその素顔を見せてしまうものだ」というモノローグからもうかがえます。
 
ちひろさんが度々、口に出す「“元風俗嬢”ジョーク」とそれを受けた周囲のリアクションにくすりとしてしまう。(c)安田弘之(秋田書店)2014
ちひろさんが度々、口に出す「“元風俗嬢”ジョーク」とそれを受けた周囲のリアクションにくすりとしてしまう。(c)安田弘之(秋田書店)2014 出典:ちひろさん 1巻(秋田書店公式サイト)
反応はさまざまです。「困る人」「引く人」「俄然興味を持つ人」「同情する人」「がっかりする人」「すぐに抱けると思う人」––なお、セクハラには実力行使で制裁するのがちひろさんらしいところです。

「海辺にある小さな弁当屋」がある町は、実際の地方都市にそうした面があるように、新しいことに対して不寛容で、閉鎖的であることもあります。そんな町を、ちひろさんが人生経験を武器に、自由気ままにかき回していく姿には爽快感も覚えます。
 

ネットで拡散された「名言」の詳細

そんなちひろさんの周囲には、悩みを抱える人たちが集まります。たくさんのエピソードがありますが、例えば、ネットで名言として再発見され、SNSで近年、大きな話題を集めたのはこんな話です。

登場人物の一人、女子高生のオカジは「私の家族は気持ち悪い」という思いに蓋をして生きています。裕福で、一見、仲の良い家族。しかし、オカジが連休に恒例の家族旅行ではなく、友達と別の予定があると言うと「家族よりも大事な友達がいるというのか」と父親は激昂、暴力を振るい、止めに入った母親も「パパに謝りなさい」と言うなりです。

オカジの抱える家庭の事情を察したちひろさんは、「夜の防波堤でシーバスを釣り上げる」という似つかわしくない状況の中で、こう伝えます。

「悩みってほんとはすごくシンプルなことを/あーだこーだ言い訳することから始まるのね」「オカジが一番見たくないもの/認めたくないことってなぁに?」

「仕方がないから/みんなそうしてるから/成長するためだから/愛してるから/愛されてるから/相手も大変だから/私だって完ペキじゃないから」「我慢するために自分についた小さな嘘が重なって/都合のいいストーリーができ上がる」「友達だから/先生だから/彼氏だから/夫婦だから/親子だから」

「言い訳ときれいごとを全部引き算していくと最後に/着色されてない裸の感覚が残るでしょ」「答えはもう出てるのよ/あとはそれを飲みこむ覚悟ができるかどうかだけ」
 
「ちひろさんには透視能力でもあるのだろうか」とはオカジのモノローグ。(c)安田弘之(秋田書店)2014
「ちひろさんには透視能力でもあるのだろうか」とはオカジのモノローグ。(c)安田弘之(秋田書店)2014 出典:ちひろさん 1巻(秋田書店公式サイト)
この出来事をきっかけに、オカジは父親に反抗したり、仲良しのグループの自分以外全員が推しているアニメを「面白くなかった」とグループメッセージで発言して友達を失ったり、別の友達を得たりするようになります。
ちひろさんの名言として有名なものの一つ。風俗店で勤務していた頃のちひろの姿。(c)安田弘之(秋田書店)2014
ちひろさんの名言として有名なものの一つ。風俗店で勤務していた頃のちひろの姿。(c)安田弘之(秋田書店)2014 出典:ちひろさん 4巻(秋田書店公式サイト)
こうして、たくさんの人の拠り所となる一方で、ちひろさん自身も突然、居心地のよい町を出ていきたくなったり、周囲を巻き込んで“家族ごっこ”を始めたり、強い不安に苛まれ昔からの友人を呼び出したり、といった姿を見せます。

これは前作『ちひろ』で風俗店で勤務していた頃に見せた、ナイーブな心の内にも通じるものです。読者にちひろさんもまた常に強いわけではないこと、前作からの読者には「ちひろ」が「ちひろさん」になるまでの変化と揺らぎを感じさせます。
 

「セオリーだから」はダメかもしれない

人から何らかのカミングアウトを受けたとき、“正解”はないものの、「話してくれてありがとう」と伝えることはセオリーの一つとされます。では、ちひろさんに対してはどうでしょうか。「セオリーだから」と思っているとしたら、それを見透かされてしまいそうな気もします。

では、そもそもなぜちひろさんは“元風俗嬢”であることを自ら言いふらすのか。それはきっと「面白いから」なのでしょう。
 
そう話すちひろさんの横顔は少し寂しそうにも見えます。(c)安田弘之(秋田書店)2014
そう話すちひろさんの横顔は少し寂しそうにも見えます。(c)安田弘之(秋田書店)2014 出典:ちひろさん 1巻(秋田書店公式サイト)
ここで考えてみたいのが「ちひろさんは何を『面白い』と思っているのか」です。それは、告げられた人のリアクションから、その人の物事の見方が垣間見えることではないでしょうか。

例えば「引く」「同情する」「がっかりする」という反応。“風俗嬢”という職業への社会的スティグマ​​(偏見や差別、負のイメージ)が背景にある可能性があります。また、それがセクハラに結びつくのは言語道断ですが、結びつけてしまう人が存在し得るということを示しているとも言えます。

『「風俗嬢でした」という挨拶』は、このように、自分の中にある無意識の物事の見方を鏡のように映し出します。それを楽しむのはちひろさんらしい、ややタチの悪いところですが、前述したナイーブな面も鑑みるに、同時に少し傷ついているのでは、と心配にもなります。

令和になり、悪しき風習は平成に置いていこうと、差別や偏見への啓発が進んでいます。ちひろさんの挨拶は、理想の返しを考えれば考えるほど、とっさには「困る」というリアクションになってしまいそうです。もしかしたら、どんなリアクションでも、それがちひろさんを害するものでなければ、楽しんでくれるかもしれませんが。

登場人物たちの悩みは「家族」「仕事」「恋愛」「人間関係」と普遍的で、今、隣で語られているものだとしても違和感がありません。

第一巻第一話が『「風俗嬢でした」という挨拶』で始まる『ちひろさん』は、令和にこそ読み返したい名作漫画だと言えます。
 

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