日本仏教界の二大巨頭、空海と最澄を7年にわたってマンガで描いた『阿・吽』(おかざき真里著)が完結しました。作者おかざきさんは、空海と最澄それぞれには〝テーマソング〟があったと明かします。「描いていて楽しかった」という人気キャラクターの設定秘話や、描くのが大変だったシーンとは……。同作の大ファンで、ツイッター上でマンガや古典の情報を発信している編集者・たらればさん(ツイッター:@tarareba722)がインタビューしました。
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マンガのSNS「コミチ」掲載のインタビューをwithnewsでも配信します 出典:コミチ
たられば:連載中はたくさんの取材で得た情報を、マンガとして作品にしていくわけですよね。おかざきさんのその過程について伺えるとありがたいのですが…。
おかざき:担当していただいた編集者の方が、打ち合わせを重視するタイプなんですね。月に一度、もうその打ち合わせ日は朝から晩までずっとかかるので、子供たちのご飯をすべて用意して、「じゃあ行ってくるから」と言い残して、1日中ずーっと「次の話はどうしよう」と話し合います。
それは具体的な話ではなくて、雑談も混ざってああだこうだ話し合って、そうするとテーブルの上になんか出来てきた気がして、「あ、なんだか出来てきた気がする」というと、編集者の方も「そうだね、なんとなく出来た気がする」と応じるという感じで進んでいきます。
たられば:それは…たとえば具体的なセリフだったり、シーンだったりではなく…?
おかざき:セリフだったりシーンだったりすることもありますが、毎回すごく曖昧ですね。
たられば:ふわっとした話をずっとしているわけですか。
おかざき:はい。この前みたYouTubeの話とかから始まって、だんだん「これ、最澄さんに言わせればいいんじゃない…?」みたいな話をしていきます。そういう見えないものを作っている感覚です。
わたしと担当さんはずっと「いままで見たことがないものを作ろう」という目標があって、だからそれは「これ」とはっきり言葉にはできないんですよね。セッションを続けて新しいメロディを生み出す…みたいな。
たられば:それは…たとえば『阿・吽』で唐の高僧が最澄さんに「あなたは頭がいいし才能もあるし努力もされる……ただ、運がない」と言ったときに、最澄さんが「知っている」とすぱーんと答えたあの名シーンのような…。
出典: 『阿・吽』6巻31話「夜行解禁」©おかざき真里/小学館
おかざき:あ、あそこはまさにそういう打ち合わせで生まれたシーンです。
あれはたしか年末、アシスタントさんたちと食事会をしているときに、みんなで「今年一年を漢字で表すとなんですかー?」という話で盛り上がって、中国人のアシスタントさんが「わたしは【運】です」とおっしゃったんですね。「この職場に出会えてこの仕事ができて、運がよかったです」とおっしゃったんです。
たられば:ふむふむ。
おかざき:その前段階として、担当編集者とわたしは、ずうっと「空海と最澄を分けるものはなにか」という話をしてきたんですね。頭の良さ…じゃないなと。性格は分からないし、人付き合いといっても両方とも偉大なご開祖さまだし、そうはいってもマンガとしては、はっきりとした特徴づけ、「ここが違う」というのはあったほうがいいですよね、と。
それで、先ほどのアシスタントさんのエピソードを話したら、「そうか、じゃあ最澄さんは運がない、というふうにしようか」という話になりました。ただ、そのまま最澄さんが誰かに「おまえは運がない」と言われただけでは面白くないし最澄さんが負けてしまう。それならすぐに「知っている」と返すようにしようよ、ということであのシーンになったわけです。
たられば:ははー…すごい、まさに「演出」の相談ですね…。このシーンを本誌掲載時に読んでいて、「おおーー…これは天台宗の全信徒さんが喝采をあげているのでは…」と思いました。
おかざき:このコマに関しては、もうわたしの仕事は「いかに堂々と言い返す最澄さんを描くか」でした。それまで周り中が敵だらけでご苦労されていて、相手が上からのしかかってくるなかで、最澄さんには思いきりカッコよく堂々と振る舞っていただかなくては…と思って。そういうやりとりで生まれたシーンが、同時並行でぱらぱらと出てくるわけです。
たられば:空海と最澄のキャラクター像は、どのように決めていったのでしょうか?
おかざき:監修者の方(阿吽社 小笠原正仁社長)に、あるとき「徳一をああいうキャラクターにしたことで、はじめてわたしを認めてくださいましたよね」と生意気なことを言ったことがあるんですが、そのときに「いや、その前ですよ、空海をあのようなキャラクターに描いたことにすごく驚いたし、認めていました」と言われたんです。
たられば:わははは! やっぱり空海ですか。
おかざき:残っている資料が少ないのでなんとも言えないのですが、空海の書いたものを調べていくと、彼は「おれの考える『心のあり方ランキング』『教えのランキング』」みたいなものを作ってたりするんですよね。
いっぽう最澄は、もちろん残っていないだけかもしれないんですが、自分の宗教、天台宗を深めることばかり考えて書いている。賢さを発揮する方向性が違うんですよね。
あとは二人の「書」です。
たられば:「書」。筆跡ですか。
おかざき:はい。空海の書いた手紙や書物を見ると、字がひらひら~っとしていて、ちょっと絵みたいに見えるんです。「この書体いいでしょ、byオレ」みたいな書物がたくさんあるんですよね。一行ごとに書体を変えてみたり、斜めに書いてみたり。
いっぽう最澄さんの書を見ると、基本に忠実でマジメな書きぶりで。そういうところをちょっとずつ拾って広げて、人間像を作り上げていきました。
たられば:たしかに博物館とかで空海の書を見ると、重要文化財とか国宝とかなんですけど、「あれ…? この人ちょっと遊びながら書いてないか…?」と思うことがあるのはわかります。
おかざき:書いてて楽しそうなんですよね。お経とかマジメな手紙なのに、楽しそうだし、後世にどう読まれるかを意識してそう。
あとはやっぱり自分で空海と最澄のイメージソングは持っておきたいなと思って、それは決めておきました。
たられば:い……イメージソング??
おかざき:はい。空海はQueenの『Don't Stop Me Now』とTHE BLUE HEARTSの『情熱の薔薇』。
たられば:おお…、おおおお…(静かに心に押し寄せる「わかる!」を受け止めています)。
おかざき:『情熱の薔薇』の(歌詞にある)「心のずっと奥のほう」は阿頼耶識のことだな、とずっと思いながら描いていました。
たられば:お…、おお…?(それはすみませんちょっとわからないかも…という声)
おかざき:要するに「そこに真実があるよ」ということですね。で、最澄さんはStingの『Englishman in New York』です。MVの、ニューヨークの雪の中をスティングがひとりで傘をさして歩いている、あのイメージ。
たられば:おおおおお!!(喝采)
おかざき:『Englishman in New York』は、当時まだタブーだったゲイをカミングアウトしたイギリスの作家(クエンティン・クリスプ)をイメージした歌なんですね。
その、「自分は法は犯していない、でもわたしはエイリアンなんだ(リーガル・エイリアン)」という歌詞が、最澄さんの晩年の、周りは敵ばかりで、それでも淡々と反論する姿に重なっている気がしたんです。それを思いついて「これだーー!!」と思って担当さんに「これ聴いてください、最澄さん、これです!!」と『Englishman in New York』のYouTubeのURLを送りました。
たられば:「これ聴いて」と。
おかざき:イメージソングでもあるんですけど、自分の中の指針でもあるんですよね。描いているといろいろブレそうになるんですけど、その曲を聴くと「あ、最澄さんはこういうことは言わないな」とか「こういう言い回しをするだろうな」と修正できるという。
たられば:『阿・吽』は主役の二人だけでなく、多くの「クセの強い」キャラクターが登場します。連載を終えたいま、特に思い出深いキャラをあげるとしたら誰でしょうか?
おかざき:描いていて楽しかったのは霊仙です。日本初の「三蔵法師」で、霊仙寺というお寺もあるのですが、空海や最澄に比べれば信奉している人は少ないし、脈々と教義が研究されてきたわけでもないので、そのぶん人物像を好きに描けるというか…。
たられば:そ…そりゃあ空海や最澄に比べれば、たいていの人物は信奉者は少ないし研究結果も少ないでしょうね……。
おかざき:そういうこともあって、自由に描けたので楽しかったんですね。
たられば:『阿・吽』の霊仙、関西弁を喋ってましたしね。
おかざき:そうそう。あのですね、お坊さんってみんな同じ髪型で同じ服装してるんですよ。
たられば:た…、たしかに。全員坊主で袈裟ですね(坊主の話だし)。
おかざき:(自分がそれまで描いてきた)少女マンガってふつう、髪型かメガネでキャラクターを描き分けるのに、この作品だとどっちも使えない!! と、そのことに気づいたときは愕然としました。
そういうこともあって、霊仙さんには関西弁を喋ってもらいました。
たられば:(霊仙の活躍した)「唐編」(6~8巻近辺)というのは、やっぱり『阿・吽』のなかでも特別なエピソードだったのでしょうか。
出典: 『阿・吽』6巻32話「サンスクリット」©おかざき真里/小学館
おかざき:そうですね、唐の歴史研究家の方に話を聞きに行って、「節句」、お祭りを調べていて楽しかったし、華やかなので描いていても楽しかったです。
日本の節句の多くの原型が当時の長安にあって、それが遣唐使によって日本に入ってくるんですよね。それが伝わる途中で地方の要素が混ざっていって、調べてみると「ははぁ…これとこれが混ざるのか…」という面白さがありました。
たられば:いい話だなあ…。もう一名くらい「このキャラが好き」という方を出していただけるとありがたいのですが。
おかざき:うーんと…田村麻呂かな。
たられば:おお、坂上田村麻呂。(7~9巻で活躍)
おかざき:田村麻呂には赤毛だったとか金髪だったという伝承があって、とはいえ彼は「武将」であることを強調したくて、そうなると金髪はちょっとイメージが違うなあというのと、(作中でたくさん登場する)お坊さんとは対照的な存在に描きたくて、それで黒髪に塗りました。
ただそういう伝承は踏まえておいて、カラーで描く機会のあった(9巻の)表紙には髪を赤く描いています。
たられば:『阿・吽』の田村麻呂は声が大きかったり豪快だったり、とても魅力的な人物として描かれておりましたね(9巻で「薬子の変」を平定)。
おかざき:「坂上田村麻呂と最澄が分かり合う」というのはわたしの完全なオリジナルなんですよね。交流の記録は存在していなくて、もともとは「桓武天皇が亡くなった時に、最澄さんは都(平安京)に居てほしい」という構成上の理由があったんです。
たられば:「都に居てほしい」。なるほど。記録は残っていないし。
おかざき:当時はだいたい「比叡山で知らせを聞いた」とか「手紙が届いた」とかばかりで、担当編集者と一緒に「(桓武天皇が亡くなるという大事な)このときばかりは帝のすぐそばに居てほしいよね」という話になり、じゃあ京都のどこに泊ってたことにしようか…と悩んでいたら、監修の先生から「清水寺でいいんちゃいますかね」と提案されまして。
たられば:「いいんちゃいますかね」。
おかざき:清水寺は田村麻呂が建てた寺ですし、比叡山から京都御所へ向かう途中に位置します。ここであれば二人(坂上田村麻呂と最澄)が出逢っていてもおかしくないだろうと。
たられば:そういうふうにシナリオを作っていくんですねえ…。
おかざき:毎回調べて調べて、「ここだったらウソがつける!」とか「創作の余地がある!!」というポイントを見つけていく日々でした。四苦八苦しながら…。
たられば:キャラクターの話でいうと、「にうつさま」の話もぜひ伺えればと思います。あの仙女というか妖精というか土地神様のような存在は、どうやって生まれたのでしょう。
おかざき:うーんと…。ぶっちゃけていうと、そもそも女性キャラが少ないんですよね。
たられば:ま…まあ、空海と最澄の話ですしね……。
おかざき:なので、どうにか女性を出さなきゃいけないと思ったのと、あと「いつ連載を切られるかわからないから、ポイントとなるキャラクターは早めに出さなきゃいけない」というのがあって、それで早い段階で(にうつさまを)出しました。
出典: 『阿・吽』3巻15話「丹生の里 一」©おかざき真里/小学館
たられば:いつ終わるかわからないから…。
おかざき:月刊連載ですから、「あと3回で終わってください」といつ言われるかわからないわけです。
なので徳一も1巻で出しました。空海と最澄の話を描くのに、にうつ姫の伝説と徳一については触れないわけにはいかないので、急に終わることになってもなんとか話として成立するよう早めに出しておかないと、と。
たられば:思っていたよりずっと切迫した事情なんですね…。
おかざき:それと、この頃に調べてわかったのは、最澄さんの場合は比叡山って地元だったんですよね。その近くで生まれているし、その近辺の豪族出身だった。そういう縁もあって、近所の日吉神社を守護神にして延暦寺を建立しています。
ところが空海の場合(金剛峯寺が建つことになる)高野山とはそれほど縁があったわけじゃないんです。空海自身が山をさまよっている最中に、犬を連れた青き衣をまとう者に出会って、にうつ姫に引き合わされた…という伝承がある。
たぶん、もともと高野山の近くには「にうつ姫」を信奉する集団があったんですね。空海の場合は(最澄のような)地縁があったわけではなくて、だから仏教が広まる前の土地神信仰みたいなものをそのまま引き継ぐかたちで、そこに仏教を注ぎ込んだのではないかと思うんです。
たられば:ははぁ…なるほど。
おかざき:だから空海は「にうつ」をすごく大切に扱う必要があったし、そうはいっても妖精とも神様とも描けなくて、もちろん人間として描くわけにもいかず、そこでふわっとした存在として、ああいうキャラクターになりました。
そうした話もあって、「空海は最初から(にうつと)約束をした」ということにして、「ここに寺を建てる」というシナリオになったわけです。
もちろん高野山という場所は、まったく偶然決まったわけではなくて、これも取材で教わったのですが、(高野山金剛峰寺の)大門に立って麓を見渡すと、紀の川と九度山が見えるんですね。
この川をのぼっていけば奈良、京都の都に辿り着くし、逆に下っていけば(空海が修行した)瀬戸内海へ抜けることができる。そういう水の要衝だったわけです。
たられば:そういう土地のつながりみたいなものがあって、「にうつさま」が出来上がっているわけですね。
たられば:7年間の連載のなかで「このシーンは描くのが大変だった」というところはありますか。
おかざき:大変だったけど楽しかったというのは、3巻の空海が覚醒するシーンです。
たられば:ああああ、あの、魚のシーン!
出典: 『阿・吽』3巻14話「空と海と」©おかざき真里/小学館
おかざき:そうです。打ち合わせの段階で「(空海の「覚醒」は)普通の仏教の【覚醒】じゃないよね」と言われて。
たられば:いきなりハードルをガシャッと上げられて。
おかざき:上げまくられて。「も…、もちろん」と答えました。単なる神々しさじゃダメなんだよな…どうしよう……と思って。
いろいろ考えて、昔、ある部族に伝わる宗教では、夢に自分の中の最強の敵が出てきて、それと戦って勝つと解脱できるよ、という教えがあるなという話を思い出したんです。
なるほど、そうか、やっぱり最強の敵は自分なんだなと思って。それを思い出して、わたしのなかで一番怖いのはなんだろうと思って。
たられば:おかざき先生ご自身の「怖いもの」ですか。
おかざき:はい、なんだろう…と考えたら、深くて暗い水面の下にめっちゃ大きい魚が泳いでいて、こっちを見ている、というのは怖いなと。
たられば:それはたしかに怖いです。
おかざき:なのでそれを見開きで描き、その「存在」と融合して、さらになにかを感じて…というふうに描いていくんですけど、それを分かるように描いちゃいけないなとも思ったんです。なんだかよく分からないように描かないといけない。
たられば:おお、最初のほうの話に戻ってきた感じが。
おかざき:ロックのコンサートでいうと、「ジャンジャン…ジャンッ!!」という感じです。
たられば:なるほど(なるほど?)。たしかによく分かりませんが、原稿にしやすくてありがたいです。
おかざき:それはよかったです(苦笑)。
たられば:『阿・吽』には毎巻すごくたくさんの参考文献が付記されていました。この作品を読んで、「空海や最澄のことをもっと知りたい」と思った読者が次に読むといい本だとか、あるいはおかざき先生が「これは参考になった」という本があればぜひご紹介いただきたいです。
おかざき:いろいろありますけれど…監修者の先生と最終的に突き合わせていたのは、『最澄と空海―交友の軌跡』(佐伯有清著/吉川弘文館刊)ですね。客観的に淡々と事実が書かれているので、この本で作品内(のキャラの行動)と整合性をとっていました。
あと若い頃の最澄の性格や振る舞いは『若き日の最澄とその時代』(佐伯有清著/吉川弘文館刊)をおおいに参考にさせていただきました。
それから空海については、福田亮成先生の『弘法大師の手紙』(ノンブル社刊)、同じく福田先生の『弘法大師が出会った人々』(山喜房佛書林刊)が、周囲の人々のことも書かれていてとても勉強になりました。
たられば:おもしろそうな本ばかりですねー。重版未定の本もあるけど復刊してほしい…。
おかざき:福田亮成先生は、『阿・吽』を描くにあたり最初にお話を伺いに行った方で、初めてお会いしたときは本当に、仰っていることがほとんど分からなくて…それが連載が始まって自分でいろいろ調べた頃にまたお会いして話を伺うと、福田先生の仰っていることが分かるようになっているんです。
たられば:おお、すばらしい。
おかざき:いやいや、「これは危ないな…」と思ったんです。だって分からないから分からない読者に向けて描けるのに、分かっちゃったらポイントを外してしまうんじゃないかと思えて。研究者の言っていることがわかるというのは、それはそれで考えものだぞと。
たられば:すごいですね…エンターテイメントの求道者という感じです。
おかざき:あとは…、そういう専門的な話ではない、初心者向けとしては司馬遼太郎先生の『空海の風景』(中央公論社刊)がやっぱり分かりやすいかなとは思います。
司馬先生ご自身も気に入っていた作品だという話を聞いたし、たしかにとっつきやすいんですが、やたらめったら「性欲」の話が出てきて、それがちょっと分からなかったかなと。
たられば:司馬遼太郎っぽい話ですね。
おかざき:あとは小説ですけれども『雲と風と――伝教大師最澄の生涯』(永井路子著/ゴマブックス刊)は最澄さんの人生について書かれていて、こちらもお薦めです。
たられば:あと3つほど質問させてください。6巻の「唐編」で、長安のお祭りのシーンが出てきますよね。あの場面、都市の描き方がとても印象的でした。
あそこで空海と白居易が出会うシナリオは本当にすばらしいと思っています。あのシーンは何かを参考にして描かれたのでしょうか。
おかざき:当時の(9世紀の)長安の資料というのは少なくて、ただ当時としてはすごく国際的な都市だったことはわかっているんですね。なので、アメリカのネバダ州の砂漠で年に一度開催されている「バーニングマン」というイベントを参考にしました。
たられば:バーニングマン!
出典: 『阿・吽』6巻30話「大唐の春」©おかざき真里/小学館
おかざき:年に一度、世界中からアーティストがそのフェスのために砂漠の真ん中に集まって一週間、表現するお祭りです。誰でも参加していいのですが、「観客」はいません。参加するためには必ずアーティストとして表現をしなければならないという。
たられば:楽しそうですよねー!!
おかざき:『阿・吽』の舞台になった頃の長安って、実質的に世界一の国際都市なんですよね。いろいろな地域から「大使」が集まって、唐の皇帝に挨拶に行っていた。そこに留学生がくっついて行ったわけです。
おそらく当時は「この繁栄は永遠に続く」と思われていたでしょうけれど、歴史を見るとそんな唐も長安も、衰退していったことがわかります。
そうした、大きく花開いた文明が一瞬咲き誇って、また散って、というイメージを「バーニングマン」を参考にして描いていました。
たられば:ものすごく遠いところから遠いものをくっつけたんですねー…。
おかざき:自分に引き寄せているんですよね。わたしのなかで「カッコいい」の最高峰はBLANKEY JET CITYなんですけれども、BLANKEYに『PUNKY BAD HIP』という曲があって、「新しい国が出来た。人口わずか15人」という歌詞で始まるんです。
初めて「バーニングマン」を知った時に、あ! これは『PUNKY BAD HIP』だ! と思っちゃって、それから毎年「バーニングマン」のインターネット中継を見るようになりました。
たられば:空海と白居易と長安とBLANKEY JET CITYの組み合わせって最高ですね。
おかざき:長安の話は調べると面白い話がたくさんありました。これは研究者の方に伺ったのですが、あの頃、唐から日本に伝わった「清浄歓喜団」というお菓子があるんです。これ、いまの「清浄歓喜団」は揚げてあって固いんです。
でも研究者の方は「当時は柔らかかったはずだ。火力が足りなくて固く揚げることができなかったので」と仰っていて、なるほどーと思ったので、『阿・吽』では柔らいものとして、食べるときの擬音は「もぐもぐ」と描きました。
出典: 『阿・吽』6巻31話「夜行解禁」©おかざき真里/小学館
たられば:あと2つです。『阿・吽』を読むと、空海の大きな特徴として「コミュニケーションとエンターテイメントの人だ」という印象を受けました。特に最終14巻では、空海伝説のひとつである「満濃池の堤防改修」が描かれていて、空海はこの巨大堤防工事もコミュニケーションとエンターテイメントで解決しています。こうしたアイデアは連載開始当初からあったのでしょうか?
おかざき:うーん…。たとえば「ニコニコ延暦寺(ニコニコ生放送にて放映された、比叡山延暦寺を9時間にわたって紹介する動画など)」を見ると、密教ってけっこう特殊な「音」を使うんですよね。風とか波の音じゃなくて、金属を鳴らした人工的な音で邪悪なものを祓う、という傾向がある。
それに加えてもともと神道では(人々に見せるために)火を使っていたという説もあるんですが、とはいえ護摩法、護摩壇という「炎を使った仏教行事」は、空海が考えたと言われています。
どうも空海は(たぶん最澄も)「自然」というものに対してわりと脅威を感じていて、それを「じゃんじゃん音を鳴らしたり、炎を操って、なんとかコントロールしよう」という考えがあったんじゃないかと思うんです。
そういうイメージもあって、彼らが大きな仕事をするときには、(「自然と一体となって」という静かなイメージではなくて)じゃんじゃん音を鳴らして、炎と光を使って、人の心を掌握していったんじゃないかなと思ったんです。
たられば:すごく興味深いです。なるほど。
おかざき:空海研究者の福田亮成先生が仰っていたのですが、空海は「感動を作ろうとしていた」というんですね。それはお涙頂戴の「感動」ではなくて、人の心を動かそうとしていたと。心が動くことによって、人はそこに自分を見出して、悟りをひらくきっかけになると考えていたんじゃないか、心が動かないと何も始まらないんじゃないか、と。
それで自分のなかで「一番心が動くのってなんだろう」と考えたところ、「ライブだな」と。
たられば:ら…ライブ。
おかざき:はい。音楽ライブ。「おぉーっ!」と。それも個人的には変な音と演出ではなくて、正統派な音と光で観客をトランスまで導いてほしい。
ちょっと話がずれましたけども、空海がやったのもこれで、人を集めてガンっと光り(灯り)を見せて、バンっと音を鳴らして、多くの人々の心を動かしたんじゃないかなと感じて、そういうふうに描いたんです。
たられば:ライブの幕が上がる感じで。
おかざき:わたしのなかの渋公です。
たられば:渋谷公会堂。
おかざき:はい。まあ満濃池については、研究者の方に伺った話を総合すると、空海の「人を集める力」が買われたんだろうなと思います。なんで堤防工事に仏教が関係するんだろう…とも思うんですが、たくさん人が集められて、その集まった人に「これをみんなでやろうぜ!」と言えるのが空海だったんだろうなという。
最終巻の『阿・吽』第14巻 出典:©おかざき真里/小学館
たられば:最後に、空海と最澄について7年間描いてきて、仏教や宗教について、なにか考えは変わりましたか。それとも変わっていませんか。
おかざき:どうだろう…。いろいろ知ることはありましたけども、あまり変わってはいないかな……。
あ、でも、仏教や宗教についてはいまも分からないままですが、「人が祈りたくなる気持ち」というのはすこしだけ分かったような気がします。「衆生(しゅじょう)」として、これは祈りたくなるなあ…という。
たられば:「祈りたくなる気持ち」ですか。
おかざき:連載を始める前までは、祈ったってなにも解決しないじゃないか、くらいに思っていたんですが、うーん、祈りたくなるだろうなこれは、という。神様とか仏様とか、対象はなんでもいい…と言ってはいけないんですが、祈る相手がどんなものだったとしても、「なにかに祈る」っていいなと。
というのも、祈っていると余計なことをしなくなるんですよね。
たられば:あああ…なるほど。たとえば両手を合わせると手がふさがりますしね。
おかざき:そうそう。祈っていると、他のことが出来なくなる。
最近わたしの子供の大学受験があったんですけども、これだって「なにかしてあげたい」と思うわけです。だけど、そういう時ってなにをやっても余計なお世話になっちゃうじゃないですか。
そうなると祈るくらいしかできない。というより、祈っていれば余計なことをしなくてすむという。
たられば:この話題すごく面白いですね。「祈り」は余計な手出しをしないための人類の知恵だということかあ…。手を出して事態を悪くするくらいなら、黙って祈っとけと。
おかざき:なにかすると失敗するわたしみたいな人間のために、祈りがあるんだという話なんですよね。まあ、だからといって毎日祈っているわけではないんですけども(笑)。
最終巻の『阿・吽』第14巻 出典:©おかざき真里/小学館