7年間の連載をへて、日本仏教界の二大巨頭、空海と最澄を描いたマンガ『阿・吽』(おかざき真里著)が完結しました。『サプリ』や『&』といった恋愛ヒット作品を持つおかざきさんが、なぜ突然「仏教マンガ」を描くことになったのか。空海、最澄という強烈すぎる史実の偉人を描く際の苦労は。作品の大ファンで、ツイッター上でマンガや古典の情報を発信している編集者・たらればさん(ツイッター:@tarareba722)が本音に迫りました。
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マンガのSNS「コミチ」に掲載されたインタビューをwithnewsでも配信します 出典:コミチ
たられば:まずは(『月刊!スピリッツ』2014年7月号から2021年7月号まで)7年間の連載、本当におつかれさまでした。読者としてはただただ感無量でございます。長期連載を終えられて、まずいまの感想を伺えますでしょうか。
おかざき真里(以下、おかざき):ありがとうございます。感想は…「ホッとした」というのが一番正直な気持ちです。最終回まで打ち切られずに描けてよかったな…と。
最終巻の『阿・吽』第14巻 出典:©おかざき真里/小学館
たられば:『阿・吽』ほどの作品で、おかざき先生でも、連載中は打ち切りを意識するものなのですか。
おかざき:たぶん意識しない作家はいないんじゃないかと思います。定期連載マンガって、もう本当に、いつ切られるか、終わるかわからない、というものなので……。
『阿・吽』の場合はこの7年間、編集長が数回交代して、担当編集者も何名か代わりました。そのたびに、その中の誰かが「これ、もうやめましょう」と言ったら終わるわけです。
たられば:き…厳しいです…ね…。
おかざき:真っ暗な闇の中で、棒高跳びをやっている気分でした。
たられば:棒高跳び。
おかざき:自分の持っている棒の長さも分からず、高跳びのバーはなんとなく見えるんですが、それが何メートル何センチにセットされているかも分からず、「とりあえず跳ばなきゃいけない」という使命だけがあるんです。
それで、たったったっ…と走って、バッと跳んで、マットにバサッと落ちてから、「跳べた?? 跳べましたか!?」と担当編集者さんに聞く。すると編集者も「うーん…」という顔をする。それがネームの段階です。
たられば:そ…、それがネーム。
おかざき:それで、跳躍が成功したか失敗したかは教えてくれないんですけど、それを見た担当さんは、黙ってそのバーを、ガシャッと20センチくらい上げて、「はい、どうぞ」と言います。
たられば:バーを上げる。
おかざき:毎回もう本当に、「なにさらす…!!」と腹が立って仕方ないんですが、やるしかないので、そのバーに向かってまたたったったっと走って跳ぶ。それがペン入れです。
それで「えいっ!」と跳んで、バサッと落ちて、また「と、跳べてましたか??」と聞いても、また誰にも答えてはもらえず、「じゃあ次回ですね」と言われるという。これが7年間続いてきました。
たられば:そ…、それが7年間。なんというか、マンガ連載ってとんでもなく恐ろしいことなんですね…。
おかざき:もちろん自分はマンガ家で、それが自分の選んだ仕事なので、そうした環境に不満はないんですが、ただ自分のなかで、連載している途中は、3つ、ものすごく恐ろしいことがあったんです。
たられば:3つ、はい。
おかざき:それは、
(1)自分はそのうちこの(暗闇の中での棒高跳びのような)競技(?)を楽しめなくなるのではないか
(2)うっすらと見えていた(飛び越えなければいけない)「バー」が完全に見えなくなってしまうのではないか
(3)まったく見当違いの方向に走っていって跳んでたりするんじゃないか
という不安でした。けれど、こうやって最終回を迎えられて、最後まで楽しめて、バーもなんとか見つめ続けられて、走り抜けられた気がしています。だからこそ、「ホッとした」という感じ。
たられば:本当におつかれさまでした…。あの、「バーが見えない」、「跳べたかどうかわからない」という表現、なんとなく伝わるのですが、とても抽象的な比喩なので、もうすこしおかざき先生の言葉で「どういうことか」を説明していただけますか。
おかざき:わたしは案外、「説明を描かないタイプ」なんですよね。細かい設定や背景をマンガのなかに書き込まないんです。だから、描き終えて誌面になって世に出たあとで、「あの表現で伝わったかな…届いたかな……」と心配することになる。
昔はそういう「届いたかどうか確認する手段」が何もなかった。いまはSNSがあって、それこそたらればさんなど読んでくださった方が「ここはこういう意味ですね!!」と感想を呟いてくださることもあるので、「ああ…伝わった……」と安心できます。ただ、そういう作者にとってしあわせな感想って、いつもあるわけじゃないでしょう。
たられば:それが「跳べたかどうが見えないバー」ということですね。でも……『阿・吽』ほどの人気作品でもそういうふうに思うものなんですか…。
おかざき:これは誰でも、どんなに売れている作家さんの、どれだけ売れてる作品でも、同じだと思います。毎回毎回必死で跳んでいるけど、ちゃんと跳べていたかどうか不安になるものだなと。そういう環境だからこそ、とりあえず「連載が続く」というのは「描いていいですよ」というひとつの指標ではあるんですよね。
だから「最後(最終回)まで描けた」というのは、本当に本当にしあわせなことで、「ホッとした」というのが第一印象です。
たられば:おかざき先生といえば恋愛マンガ作品、というイメージが強いのですけども、どうして空海と最澄の物語を描くことになったのでしょうか。
おかざき:最初は、わたしがデビューしたときの担当編集者さん(編注/おかざき先生は『シャッター・ラブ』/『ぶ~け』(集英社/1980~2000年)でデビュー)に、食事に誘われたのがキッカケです。
たられば:食事に。
おかざき:あ、ちなみにわたし、『シャッター・ラブ』が載った直後が、これまでのマンガ家人生で一番、いろんな出版社さんから「うちで描きませんか」と言われたタイミングでした。
当時の少女マンガ誌の中では絵が特徴的だったのと、女子高生が友達を盗撮する話なので内容が印象強かったんだろうなあと思います。
コミチ編集部の注:『シャッター・ラブ』は、写真撮影が趣味の女子高生が仕事としての写真と、社会人との恋愛に触れてゆくという、とても面白い名作です! 出典: 『シャッター・ラブ』集英社刊/おかざき真里著
たられば:たしかに衝撃的な作品でした。
おかざき:その方、いまは流しの編集者をしてらっしゃるんですが、「美味しいものを食べに行こうよ」と。
たられば:美味しいもの(編集の常套手段だ……)。
おかざき:その時に、小学館の編集の方も同席していて、で、3人で集まったんですが、ずっと空海の話をされたんですね。
「空海ってこんなにすごいんです」とか「こんなこともやっていて」とか、「誰か空海の生涯を描かないか、きっと面白いのに」とか「こういうのは、まったく仏教とは離れたジャンルの人が描くほうがいいんじゃないか」とか。
たられば:なぜかずっと空海の話を。
おかざき:はい。あー、そんな人の話をマンガで描く人がいるんだなぁ…大変そうだなぁ…、大変すぎるね、同情するね、と思って聞いていました。そこは滅多に予約のとれないお店だったので、「これ美味しいなあ」と思いながら。
たられば:誰が描くんだろうなあと。
おかざき:2時間くらいたって、「じゃあこれで、おつかれさまでした」とお会計も終わって、みんなでコートの袖に腕を通しているときに、その元集英社の担当編集さんが、「おかざきさんが描けばいいんだよ」と言い出して……、「ふぇ?」と。
たられば:ふぇ、…と。
おかざき:ちょうどその頃は『&』の連載の最終盤でした。そろそろ終わりそうで、『サプリ』、『&』と恋愛と仕事が中心の作品を描いてきて、自分のなかでこの2作品は近いジャンルで、「もうひとつくらい武器があったらいいな」と思っていた時期ではあったんです。
まったく別のジャンル、別のテイストに挑戦するのも、マンガ家としての体力づくりになるかな…と。それでいろいろ探していて、なんとなく一晩寝て、起きて、「空海、描きたいです」とメールしました。
たられば:おお、「空海、描きたいです」!
おかざき:ただ、そこからが大変で…。取材に1年くらいかけたんですが、途中で僧籍をお持ちの方にインタビューした際、「空海を描こうなんて、アホやないとできひんわ」と仰られて、いやもうそれを実感する毎日が始まりました。
それまでわたしは「特定の宗教を信じる」ということがなかったし、お寺の中のことだとか、その「大きさ」だとか、まったく考えたことがなかったんですね。たぶん知っていたら断っていただろうなと思います。
たられば:それはもう…空海と最澄ですからね……。
おかざき:アホだったから受けたんだろうなと思いますし、その後も何度もその一言に救われました。
資料を調べ始めても「わたしなんかが描けるんだろうか」と思うことはしょっちゅうあったし、連載が始まってからもグラグラ揺れるんですけれども、そのたびに先ほどの言葉を思い出して、「そうだ、わたしには【アホという資格】があった」と思い出して、アホだから描くしかないんだと。
たられば:ア、アホという資格!
おかざき:はい。「アホやから大丈夫」、「アホやから跳べる」と念じながら、またたったったっと走り始めるわけです。
たられば:『阿・吽』の第一話は、織田信長の比叡山焼き討ちのシーンから始まります。その時にはもう準備として1年間、取材をしてから描き始めたわけですか。
おかざき:うーん、期間としてはそれくらいかかっているんですが…、たしかに比叡山にも高野山にも行ってはいます。高野山大学では2日間、特別授業をやっていただきました。資料もたくさん読んだんですが…それでもなかなか自分の中に入ってこなくて……。1年やったとはいえ、なにか掴んだかというとまったく心もとなくて。
たられば:まあ…空海と最澄ですしね……(2回目)。
出典: 『阿・吽』第1巻1話「最澄と空海」©おかざき真里/小学館
おかざき:『弘法大師行状絵詞』という大きい本が出ているんですね。もともとはこれ、弘法大師の伝説を絵付きでまとめた絵巻物で、「おお、これで弘法大師の資料はバッチリだ!」と喜んだんですけども、よく調べたら室町時代に描かれたもので、描かれている服装や小道具が全部室町時代のものだったんです……。
たられば:あああぁ……古典資料でありがちな……。
おかざき:いやまあ…平安と室町、詳しくない人には「似たようなもんだろう」という話かもしれないんですが、それを土台にしてマンガを描こうと思うと「これはだいぶ違う」ということに直面して……1年間、その繰り返しです。
たられば:なんというか、修士論文を書く準備と一緒ですね。参考文献のリストを作成する感じ。三歩進んで二歩下がるを繰り返すという。
おかざき:『阿・吽』には監修の先生もいらっしゃるのですが、その先生は仏教に関する監修者で、風俗史や服飾史に関する監修者ではないわけです……。
ただ、これは気づくのが遅かったんですが、「(現存する)史料が少ない時代だった」ということに気が付いたんです。つまり、(現時点では)誰も分からないこと、説がいっぱいあって確定していない話がけっこうたくさんあるんだなと。
たられば:あぁー、なるほど! それはたしかに「古典あるある」ですね!! 専門家の皆さんって、(その資料は)「ない」とは言ってくれないんですよね。
誠実な専門家であればあるほど、「自分が知らないだけでこの世のどこかにはあるかもしれない」と考えるからだと思うんですけども、そしてそれは知的に誠実な態度だとは思うんですが、ただそこは「見つかっていません」と言ってほしいなと…。
おかざき:最初の頃はそうと知らずに、ずいぶん失礼なことを聞いただろうなと思います。そこはいまでも恥ずかしいですね。
たられば:思い出深い取材エピソードはありますか?
おかざき:以前、高野山大学の先生(※)に取材に伺った際に、その先生は空海研究のなかでも異端と言われている方なのですが、「空海は四国で生まれたわけではない」という学説を唱えてらっしゃるんですね。
それで、「大丈夫なんですか、そんな話をすると信徒さんから嫌がられませんか」と聞くと、「嫌がられますねえ」と。(※武内孝善先生/高野山大学名誉教授・博士(密教学)、空海研究所所長、空海学会会長)
たられば:そ…それはたしかに。研究対象が教祖さまっていうのも大変ですね……。
おかざき:ただその先生は「でも、研究と信仰は別ですから」と仰ったんです。
たられば:かっこいい! アカデミック系硬派!!
おかざき:ですよね。それを聞いてわたしまでなんだか気持ちが楽になって。「そうか、エンターテイメントと信仰も別だよな」と思えて。わたしのマンガは信徒さんに向けて描くものではないし、信徒さん向けに書かれたものはほかにもたくさんありますし。
それに、個人でいろいろ調べて空海の唐での足取りを追って写真を撮っている方に、その写真をお借りにいった際は、「あなたは、あなたにとっての空海を描けばいいんじゃないですか」と言われたこともあって、その言葉にも背中を押されました。みんなの心にはそれぞれ空海がいて、それぞれ違っていいんだと。
たられば:さすが…、宗教として「幹が太い」というか、「懐が深い」というか…。
おかざき:調べていくと面白いところがいろいろ出てくるんですよね。最澄さんも、一番有名な最澄さんの肖像画は、頭巾をかぶっているじゃないですか(「最澄像」平安時代/一乗寺所蔵/国宝天台高僧像 10幅のうちのひとつ)。
でもいろいろ調べていくと、どうも若い頃は被っていたわけではなさそうだと。ただ世間一般のイメージは大事だなと思っていたんです。
それはまあそうだろうなと思って調べていくと、「あれは桓武天皇からもらったものだ」という話が出てきたんですね。冬の寒い日に最澄さんと桓武天皇が会談して、帰る時に「寒そうだから」ということで、自らの着物の袖をちぎってそれを最澄さんに渡して、それ以来、その布を頭巾として被っているんだと。
たられば:おもしろい説話ですねー。
おかざき:ところが、これまた取材を進めて、大覚寺(京都嵐山)で話を聞くと、ある日、嵯峨天皇と空海が会談したあと、寒そうだったので、嵯峨天皇は自らの着物の袖をちぎってそれを空海に渡した…という話がある、というんです。え…、と。
たられば:同じエピソードが(笑)。
おかざき:「これはどういうことなんでしょう」といろんな人に聞いてみたら、どうやらもともとは中国の五台山(山西省東北部、五台県にある霊山)の伝説らしいんですね。高僧が中国の皇帝から布を賜った話があって、仏教が日本に伝わるときにそのエピソードも一緒に入ってきて、キャラクターを変えていまも伝わっているという。
たられば:おもしろいなーー。
おかざき:最澄さんには生まれる前に、両親の枕元に偉い人が立って「これからあなたのところに賢い子が生まれます」という予言を受けたという伝説があるんですね。空海にも同じように、母親の枕元に誰かが立って、「すごい子が生まれる」と言われた話があります。
それを聞いたときに、「わたしはこの話をどこかで聞いたことがあるぞ…」と思って、記憶を探ったら、ディック・ブルーナー(絵本作家)だ! と気づいたんです。『ちいさなうさこちゃん』(福音館書店/いわゆる「ミッフィー」原作本)で、ふわふわさん(おとうさん)とふわおくさん(おかあさん)の元に天使がやってきて、かわいい赤ちゃんが生まれた…っていう話と同じだなあと。
つまり、なんというか、世界には「物語のテンプレート」みたいなものがあって、そういうエピソードの枠組みはそれほど種類が多いわけじゃないんだな、だから似通ったものがあるんだなあ…と思いました。
たられば:偉大な人物の偉大さを示すパターンがある、ということなんでしょうね。
たられば:おかざき先生はこの『阿・吽』で初めて、実在の人物をモチーフにしたマンガをお描きになったんですよね。これまでお描きになってきたフィクションとノンフィクションで、大きな違いはありましたか。
おかざき:うーん…。「気を遣うところが違う」というのはありましたね。もっとも『阿・吽』の場合、「実在の人物だからこう」なのか、「宗派の開祖だからこう」なのかは分かっていないんですけども…。
たられば:たしかに、普通の人じゃないんですよね…。
ちょっと質問の角度を変えます。『阿・吽』という作品には、「仏教」だとか「命」だとか「真理」といった、ものすごく大きなテーマが避けられないかたちで出てきますよね。そういう「大きなテーマを描く」というときに、どのような心構えで臨んだのでしょうか。
おかざき:これは何度か話していることなんですが、絶対に「わかった」と思わない、というのは常々考えていました。わたしごときがもともとわかるものではないし、「わかったよ、こういうことでしょう」と、したり顔で描くことほど醜悪なものはないなと思っていたので。
たられば:わからないまま描いていたわけですね。
おかざき:はい。マンガなので、直接「そこ」を描く必要はないなと。「真理とはなにか」だとか、「救済とはなにか」は、ええと、「描かない」というより「描けない」なと。
たられば:とはいえ、作品の中のキャラクターは「わかっている」と振る舞うわけですよね。すくなくとも空海と最澄は、ふたりにしかわからないことで通じ合っているように描かれています。
作者はわからないのに、「わかっている人たち」を描くことは可能なんでしょうか。
おかざき:それはですね、描き方なんです。
『阿・吽』の感想をいろいろいただいたなかですごく嬉しかったものがあって、それは、理系の研究者の方が「これ(『阿・吽』)は、研究者はみんな好きだよ。だってこれ、真理を求める人の話でしょう」と言ってくださったんです。
つまり「真理の話」ではなく「真理を求める人の話」と受け取ってくださったんだなと。
たられば:ああーーー! なるほど! 真理そのものではなく、真理を求める人間ドラマを描いているわけですね!!
おかざき:そうですそうです。真理はわからないんですけど、真理を求める人間の気持ちはわかるじゃないですか。それを誰かと共有できたときの嬉しさだったらわかるし、それなら伝えられるなと思ったんです。
最終巻の『阿・吽』第14巻 出典: ©おかざき真里/小学館