IT・科学
「BTSの金髪の人」やゲームでもOK 自由研究の悩み、哲学者の答え
「そんなこと考えてどうする?」を考える
「自由研究ってぜんぜん『自由』じゃない」「自由研究って言われても困る」――大人も子どもも、そう感じたことはないでしょうか。自由研究の「自由」って何なのだろう? 哲学者の田口茂さんに疑問をぶつけました。田口さんによると、「自由研究のテーマはゲームでもBTSでもOK。肝心なのは『自分の関心をクレージーに追いかけること』」だといいます。
田口茂(たぐち・しげる)
――小学生の子どもがいる友人たちに「自由研究について特集したい」と話したら、「自由って言われて困ってるんだよね」「自由研究って自由じゃない」といった反応が多くありました。
「自由」と言われても、わからなくて固まってしまいますよね。それが普通だと思います。
――固まってしまうのは、なぜでしょう。
「自由」の意味のとらえ方にズレがあるということだと思います。
自由って、何でもできることと受け取って、無限大にある可能性から1個を選べと言われているように思ってしまいますよね。
――えっ、違うんですか?
私は必ずしもそうではないと思います。無限にある選択肢からひとつ選べと言われても、すごく困りませんか?
心理学の実験(国の社会心理学者が、スーパーの試食で24種類と6種類を出した場合で比べたもの)でも、商品にたくさんの選択肢を用意するよりも、ある程度絞った選択肢を前にした方が、売り上げが上がったという結果が知られています。
――たしかに、選択肢がないのは困りますが、多すぎるとかえってプレッシャーに感じることがあります。
そうですよね。詳細な知識がない状態で膨大な選択肢の前に立つと、人は固まってしまうことが多いのだと思います。
自由とは、「あれもこれも選べる」ということではなく、私の解釈では、「元からある方向性を妨げなく展開していける」ということだと思います。
――元からある方向性って何ですか?
自由研究で言えば、例えばそれぞれのお子さんが持っている知的関心ですね。
どんなに小さなことでも、私はこれが知りたいということ。日常生活の中では、「なんでなのかな」と思っても伸ばされず終わってしまう。
親も、そんなばかなこと考えている暇があったらあれしなさいこれしなさいと言ってしまいがちです。
まさにそのような疑問を、妨げなく伸ばすことをやってくれというのが自由研究じゃないでしょうか。
――自由とは言いながら、子どもは、何かしらの模範解答があるような雰囲気を大人の言動からうっすら感じとっているような気も……。
それは大人の側が意識してやめるべきことだと思います。
枠にはめてしまったら台無しですし、型にはまった優等生的な自由研究よりも自分の関心に沿って追究したほうが、大人にとっても驚くような面白い結果になると思うんですよね。
日本の小中高の教育が、決まったことを暗記させることが中心で、答えがあると思い込ませがちになっていることの弊害もあるかもしれません。
答えが決まっていないところで追究する楽しさを体感してほしい。
――現実をみると、たくさんの「自由研究キット」が売られていたり、自由研究の賞レースがあったりします。
ありきたりな大人の期待や成果主義は、子どもの関心にとって「妨げ」になると思います。
出来のいい結果が出るか、ではなく、「そんなこと考えてどうすんの?」と思うようなことをどこまでも追究していいんだと自信をつけてあげることが一番大事なことだと思います。
――結果や答えよりプロセスが大事、という意味でしょうか?
プロセスというよりも……「知る」ことに限界がないことを体感するということですね。
例えば、ダンゴムシってなんで丸くなるんだろうとか、なんで雨粒って下に落ちるんだろうとか、うーん、でもこれも、私が挙げると何だか学問的な問いになってしまいますが……。
――以前話題になっていて面白くて取材したのは、「夏休みの宿題をさいごの日まで残しておいた時の家族と自分の反応」という、ある小学生の自由研究でした。
それはとてもいい例ですね!
――反応をただ記録したわけでなく、そこから膨らませた考察も秀逸で。
下手したら「そんなばかなテーマはやめなさい」と大人に潰される可能性があるところを、それにあらがって展開した本人や、止めなかった親御さんが素晴らしいです。
その研究も、ご本人が面白がっていただけで「これをやれば認められる」と思ってやっていたわけではないと思うんですよね。
先ほど賞レースという話がありましたけど、認められるとわかってやることは何も面白くなくて、自分の自由な関心を、妄想や思いつきで止めずに「妨げ」なくどこまでも展開していくこと。
これこそ「自由」、そして「研究」と呼ばれるところだと思います。
――そういえば自由研究って、なんで理系の、特に自然や科学のものが多いんでしょう?
自由研究は自然や科学という固定観念があるんでしょうね。世間にも、親にも、教員にも。
そういうものから自由になるという意味でも、「宿題をさいごの日まで残しておいた時の家族と自分の反応」は素晴らしいです。
――一方で、忙しかったり疲れていたりして、何も関心やアイデアが出てこない子もいそうです。
何もないというのはありえないと思うんですよね。
やりたいことや関心はあっても、それをやってもいいと思えていないだけじゃないでしょうか。
例えば、ゲームの攻略法だっていいと思います。
もっとテーマを大きく、普遍的なテーマにつなげるにはどうしたらいいのかは大人が相談に乗ってあげられますよね。
どうして自分はゲームが好きなのか、とか、どうして人間はゲームが好きなのか、とか。ゲームと勉強は何が違うんだ、とか。
――ゲーム好きの友達3人に深くインタビューするだけで面白いものになりそうですね。
そうですよね。あと、ゲーム嫌いの子に聞いてみたりですとか。
それでもやっぱり「関心がない」という超アパシー(無関心)なお子さんがいたとしたら、それでも「何も関心がもてないのはなぜ」ということをテーマにすることはできると思うんですよ。すごく哲学的です。
――とはいっても、時間の制約はありますね。夏休みがそろそろ終わるということになってエンジンがかかるお子さんも多いと思います。
理想を言えば早めに始めることに越したことはないですが、大人でも締め切りが近づかないとなかなか難しい時はありますよね。
ただ、完成品を目標にするのではなく、どれだけ自分の知的関心に対する障壁を壊せたか、それが「できたぞ」と思ったときは、まさにそれが「自由」ですから、どれだけその自由を体感できたかを評価の軸にしてもいいのではないかと思います。
「結果はしょぼくてもいい」と思うのが大事ではないでしょうか。
――斬新さのほうが大事?
世間で意味あるイノベーションって、「あいつバカじゃないの」というところからよく生まれますから、言葉の選び方は難しいですが、ある程度おかしなことというか、常軌を逸したことというか、クレージーなことをやってもいいと個人的には思います。
ただそれを「ちょっと考えました」というのと、「研究」することとの違いは、「そこまでやるか」と度肝を抜かれるという感じを人に与えるということですね。
――労力をたくさんかけるということでしょうか?
尋常ではない労力でとことんやるというのも非常に大事で、評価されると思います。
テレビや日常で「やばい」という言葉が出てきた回数を時間ごとにひたすら調べるだけでも大変ですよね。
それが肯定的意味で使われているか否定的な意味で使われているかまで調べれば、立派な研究になります。
ほかにも例えば、サザエさんでイクラちゃんが「ハーイ」と言った回数をひたすら調べるだけでも、何かわけのわからない「すごみ」がありますよね。
あとは、少し話を大きくして、一般化、普遍化すること。
例えば、アイドル好きのお子さんだったら、BTSで金髪の人が右から何番目の位置に立っていることが多いかを調べたっていいと思います。
そこから発展させて、韓国のアイドルグループで、グループの人数に対して金髪の人が何%いるか、日本のグループではどうか、などを数値化したら、マーケティングなどにも関わるような研究になるかもしれません。
どんな関心だって、必ず研究になります。
親や先生や世間が「そんなこと考えて何になるんだ」とは言わないほうがいいと思います。
とっぴもない発想を子どもが出してきた時に、「じゃあどうやったらそれをやれるか」というhowの部分で障害を取り除く手助けをするのが、大人の役割だと思います。
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