――人を対象にした研究の論文はあるのでしょうか。
多くはありませんが、あります。代表的なものが、陸上自衛隊員を対象に、二酸化塩素による空間除菌用品と、インフルエンザのような症状との関係を調べている論文です。「二酸化塩素放出薬のインフルエンザ様疾患に対する予防効果」を検討した2010年の
研究結果が報告されています。
二酸化塩素による空間除菌用品を設置した建物に勤務している群(=介入群、345人・平均43.2歳)と、設置していない建物に勤務している群(=対照群、442人・平均34.8歳)において、インフルエンザ様症状の発症(「38℃以上の発熱」「咳および咽頭炎の存在」「医師の診察および臨床検査によってもインフルエンザ以外の原因が確認されない」のすべてを満たす状態)を比較しました。
結果として、54日間の介入期間中、インフルエンザ様症状を発症したのは、介入群で8例/345例、対照群で32例/442例と、介入群で68%減少した(P<0.05)、というものです。
では、この結果が空間除菌用品によるものだと言えるかというと、因果関係を示すものではありません。介入群と対照群をランダムに割り付けていないため、比較している2群の被験者背景に偏りが生じている可能性もあります。つまり正しい比較ができていないということです。
また、盲検化(自分が介入群なのか対照群なのかわからなくする)や交絡因子(※1)の補正なども行われていません。さらにインフルエンザ様症状については、介入終了後に質問調査が行われており、想起バイアス(※2)の影響を免れ得ないからです。
※1 例えばコーヒーの飲用と心筋梗塞の関連をみる場合、「コーヒーを飲用していた集団」が「飲用していない集団」より心筋梗塞の発生が多かったとします。しかし、これにより「コーヒーの飲用が心筋梗塞を発生させる要因となった」とは言えません。「喫煙者がしばしばコーヒーを飲用するために、コーヒーの飲用と心筋梗塞が関連しているようにみえる」(喫煙と心筋梗塞に関連があることは自明とする)可能性があるからです。この場合、喫煙が交絡因子となります。
※2 喫煙と肺がんの関連を調査するとき、過去の喫煙本数を被験者に思い出させて回答する場合、肺がん患者には実際の本数より少なめの回答をする人が多い、という例があります。
二酸化塩素による空間除菌の人に対する研究は、このように、医学の臨床研究に本来必要な研究デザインや解析手法がとられていないものがほとんどです。そのため「人への感染予防効果は極めて疑問」というのが現時点での結論になります。
――この研究からは10年が経過し、2020年以降はコロナ禍です。その間も、妥当性の高い研究論文は出てこなかったのでしょうか。
私も意外だったのですが、論文自体がさほど増えていませんでした。本来、今こそ研究を推進するべきタイミングだと思うのですが。