連載
#12 マスニッチの時代
10年前に〝吐き気〟をおさえながら更新した「新幹線の文字ニュース」
今ではAI化、サービス終了も相次ぐけれど
JR東日本が新幹線などの車内で流れる「文字ニュース」を終了すると発表しました。スマホで乗客が自分でニュースを見ることができるようになり、その役割を終えたと判断したそうです。昨年はJR東海も東海道新幹線で「文字ニュース」を終了しています。30年あまりにわたって新幹線の乗客に、押しつけでもない、それでいてささやかな気づきを提供してきたサービス。10年前、私は、吐き気をおさえながら、この「文字ニュース」のために数字を打ち込み続けていました。
その日は遅めの昼食をすませ、夜勤のため会社に行く準備をしているところでした。
2011年3月11日午後2時46分、都内の自宅マンションも大きく揺れ、倒れた家具や本で部屋の中は歩くのもやっとの状態でした。
急いで外に出て、普段、使う地下鉄には乗らず自転車で会社に向かいました。
途中、八重洲通りの交差点では、ビルから落下するガラス片から逃れるため、多くの人が中央分離帯に集まっていました。
余震で電線が揺れるのを見ながら、会社にたどりつき、そこで担当したのが「文字ニュース」の更新でした。
当時、私は朝日新聞デジタルの前身である「asahi.com」の編集部にいました。
記者が書いてきた記事のデジタル用の見出しを考え、写真などをつけて配信するのが主な仕事で、日によって「文字ニュース」を担当する勤務もありました。
会社に着いた時、編集部内は大騒ぎで、様々な取材現場からニュースが飛び込んでくる状態でした。
その中で「文字ニュース」は、ネットに出す記事と連動する形で、どんどん更新されていきます。最初は停電や断水、下落する株価、交通情報などが多かった記憶があります。そこに少しずつ犠牲者の情報が入りはじめました。
全体像がつかめないまま次々と来る情報に対応していると、しばらくしてテレビの映像に社内が騒然としました。そこには上空から撮影された津波が映し出されていました。画面には「LIVE」の文字。今、自分がいる同じ時刻の出来事でした。
その後は犠牲者の情報が増えてきました。その日、私は終日「文字ニュース」で「死者・行方不明者」の人数を更新し続けることになります。
「死者・行方不明者」の人数が増えると、更新された情報が届きます。数字部分を確認し、打ち直して、システムに入力。これを繰り返すのです。
日が落ちたあたりからでしょうか。強烈な違和感をおぼえるようになりました。見たこともない数字の規模感に対して、入力作業があまりにも淡々とし過ぎていて。同時に、このサービスによって情報を知る人に、未曽有の惨事を届ける重責も感じていました。そのギャップを自分の中で消化しきれなくなったのだと思います。
なるべく思考停止にならないよう、ただ、手は休めずに。この時の気持ちは覚えておかなければならいということだけ、心に決めて。そのまま「文字ニュース」を更新し続けました。
震災翌日、2011年3月12日の紙面には「死者・行方不明者は東北を中心に850人を超えた」という記事が1面に載っています。ただし、これは3月11日時点での話です。その後、私たちは「死者・行方不明者」が2万2千人を超すという現実を突きつけられます。
実は「文字ニュース」には、様々な技術が詰まっています。
写真も動画もCGもない、シンプルな形のニュースではありますが、編集者としては、的確に表現出来た時はそれなりの達成感はあり、記事の内容を理解していなければできない仕事であるという自負もありました。
何を選ぶべきか迷い、短くまとめるのが難しくて悩んだ時などは、まわりの仲間に意見を求めながら、人間くさく作っていました。
そんな「文字ニュース」も、社内では人工知能(AI)による自動化が進み、さらには、提供先での役割も終えつつあるという状況には、時代の変化を感じざるを得ません。
当時を知る人間としては、さみしい思いはありますが、震災から10年という節目の年、そこで培った経験を次にいかしていきたいと思いをあらたにしています。
数字だけでは伝えられない情報を届けるために。
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