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連載

#12 マスニッチの時代

10年前に〝吐き気〟をおさえながら更新した「新幹線の文字ニュース」

今ではAI化、サービス終了も相次ぐけれど

東海道新幹線の車内で流れていた「文字ニュース」=2020年3月3日
東海道新幹線の車内で流れていた「文字ニュース」=2020年3月3日 出典: 朝日新聞

目次

JR東日本が新幹線などの車内で流れる「文字ニュース」を終了すると発表しました。スマホで乗客が自分でニュースを見ることができるようになり、その役割を終えたと判断したそうです。昨年はJR東海も東海道新幹線で「文字ニュース」を終了しています。30年あまりにわたって新幹線の乗客に、押しつけでもない、それでいてささやかな気づきを提供してきたサービス。10年前、私は、吐き気をおさえながら、この「文字ニュース」のために数字を打ち込み続けていました。

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#マスニッチの時代
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余震で電線が揺れていた

その日は遅めの昼食をすませ、夜勤のため会社に行く準備をしているところでした。

2011年3月11日午後2時46分、都内の自宅マンションも大きく揺れ、倒れた家具や本で部屋の中は歩くのもやっとの状態でした。

急いで外に出て、普段、使う地下鉄には乗らず自転車で会社に向かいました。

途中、八重洲通りの交差点では、ビルから落下するガラス片から逃れるため、多くの人が中央分離帯に集まっていました。

余震で電線が揺れるのを見ながら、会社にたどりつき、そこで担当したのが「文字ニュース」の更新でした。

地震発生直後、道路でしゃがみ込む人たち=2011年3月11日午後2時49分、東京都千代田区
地震発生直後、道路でしゃがみ込む人たち=2011年3月11日午後2時49分、東京都千代田区 出典: 朝日新聞

手を止めて見入った中継

当時、私は朝日新聞デジタルの前身である「asahi.com」の編集部にいました。

記者が書いてきた記事のデジタル用の見出しを考え、写真などをつけて配信するのが主な仕事で、日によって「文字ニュース」を担当する勤務もありました。

会社に着いた時、編集部内は大騒ぎで、様々な取材現場からニュースが飛び込んでくる状態でした。

その中で「文字ニュース」は、ネットに出す記事と連動する形で、どんどん更新されていきます。最初は停電や断水、下落する株価、交通情報などが多かった記憶があります。そこに少しずつ犠牲者の情報が入りはじめました。

全体像がつかめないまま次々と来る情報に対応していると、しばらくしてテレビの映像に社内が騒然としました。そこには上空から撮影された津波が映し出されていました。画面には「LIVE」の文字。今、自分がいる同じ時刻の出来事でした。

築地本願寺は携帯の充電器を貸し出し、おにぎりやサンドイッチを振る舞っていた=2011年3月11日
築地本願寺は携帯の充電器を貸し出し、おにぎりやサンドイッチを振る舞っていた=2011年3月11日 出典: 朝日新聞

淡々とした作業の違和感

その後は犠牲者の情報が増えてきました。その日、私は終日「文字ニュース」で「死者・行方不明者」の人数を更新し続けることになります。

「死者・行方不明者」の人数が増えると、更新された情報が届きます。数字部分を確認し、打ち直して、システムに入力。これを繰り返すのです。

日が落ちたあたりからでしょうか。強烈な違和感をおぼえるようになりました。見たこともない数字の規模感に対して、入力作業があまりにも淡々とし過ぎていて。同時に、このサービスによって情報を知る人に、未曽有の惨事を届ける重責も感じていました。そのギャップを自分の中で消化しきれなくなったのだと思います。

なるべく思考停止にならないよう、ただ、手は休めずに。この時の気持ちは覚えておかなければならいということだけ、心に決めて。そのまま「文字ニュース」を更新し続けました。

震災翌日、2011年3月12日の紙面には「死者・行方不明者は東北を中心に850人を超えた」という記事が1面に載っています。ただし、これは3月11日時点での話です。その後、私たちは「死者・行方不明者」が2万2千人を超すという現実を突きつけられます。

2011年3月12日の朝日新聞朝刊
2011年3月12日の朝日新聞朝刊

1年後に取り組んだ企画

強烈な違和感、正直に言うと吐き気をおさえながら携わった3月11日の「文字ニュース」から1年後、私が取り組んだのが「東日本大震災アーカイブ」(https://shinsai.mapping.jp)でした。

「東日本大震災アーカイブ」のページを開くと、被災者の証言が、その人が当時、住んでいた場所に表示されます。沿岸部や内陸部、原発の近くか、そうではないか。紙面ではマス目上にしたレイアウトできなかった証言者の言葉を、ネットでは地図上に配置し直すことで、その言葉の背景や重みまで形にすることを目指しました。

これは、首都大学東京の渡邉英徳准教授(現・東京大学教授)を中心としたチームが制作した、ネット上の地図に様々な情報を表示させる「多元的デジタルアーカイブズ」を使ったものでした。被災者の証言は、朝日新聞の記者が取材した「今伝えたい千人の声」から抜粋して掲載しました。

あの日、数字でしか伝えられなかった被災地の姿を、顔が見える形で届けるにはどうすればいいのか。1年前の「文字ニュース」で抱いた違和感に対する自分なりの試行錯誤の一つでもありました。
 
「東日本大震災アーカイブ」。10年となる2021年には、渡邉教授によって当時のツイートが見られる「東日本大震災ツイートマッピング」(https://tweet.mapping.jp/)も公開された
「東日本大震災アーカイブ」。10年となる2021年には、渡邉教授によって当時のツイートが見られる「東日本大震災ツイートマッピング」(https://tweet.mapping.jp/)も公開された 出典:東日本大震災アーカイブ

AI化、サービスも終了

実は「文字ニュース」には、様々な技術が詰まっています。

・要素の羅列感を避けるため、2つの文章での構成を推奨
・1文目はできるだけ伝えたい内容をシャープに伝える。2文目に丁寧なデータを盛り込むとバランスがよくなる。1文目と2文目の長さは4:6程度が理想
・主語と述語の関係をわかりやすく
デイリーポータルZさんの記事「48文字以内!新幹線で流れるあのニュースの書き方を聞いた」への回答から

写真も動画もCGもない、シンプルな形のニュースではありますが、編集者としては、的確に表現出来た時はそれなりの達成感はあり、記事の内容を理解していなければできない仕事であるという自負もありました。

何を選ぶべきか迷い、短くまとめるのが難しくて悩んだ時などは、まわりの仲間に意見を求めながら、人間くさく作っていました。

そんな「文字ニュース」も、社内では人工知能(AI)による自動化が進み、さらには、提供先での役割も終えつつあるという状況には、時代の変化を感じざるを得ません。

当時を知る人間としては、さみしい思いはありますが、震災から10年という節目の年、そこで培った経験を次にいかしていきたいと思いをあらたにしています。

数字だけでは伝えられない情報を届けるために。

 

人々の関心や趣味嗜好(しこう)が細分化した時代に合わせて、ネット上には、SNSやブログ、動画サービスなど様々なサービスが生まれています。そんな中で大きくなっているのが、限られた人だけに向けた「ニッチ」な世界の存在です。ネットがなかった頃に比べれば手軽に様々な情報を得ることができるようなった一方、誰もが知っている「マス」の役割が小さくなったことで、考え方の違う人同士の分断を招きかねない問題も生まれています。膨大な情報があふれるネットの世界から、「マスニッチの時代」を考えます。

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