グルメ
「ケヅレーライス」なにそれ…おいしいの? 戦争前夜に載ったレシピ
洋風?中華?それとも和風?さっぱりわかりません。これは作ってみるしかないでしょう
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洋風?中華?それとも和風?さっぱりわかりません。これは作ってみるしかないでしょう
「ケヅレーライス」ってご存じですか。1940年、太平洋戦争の前夜、日本にはこんな不思議な名前の料理があったらしいんです。それ、おいしいの? 知りたい!というわけで、この料理を実際に作って、どんなものだったのか自分で確かめてみよう、というのが今回の企画でございます。(朝日新聞コンテンツ編成本部・向平真)
まずは自己紹介。私はコンテンツ編成本部という部署で編集者をしています。新聞の見出しとかレイアウトを考える仕事です。で、我々が作っている朝日新聞、もうすぐ5万号なんですよ。1879年の創刊から142年。この歴史を実感してもらえる企画はないかと知恵を絞り、古い紙面をめくっているうちに、ふと目にとまったものが。今回の主役「ケヅレーライス」です。
今の時代、お料理のレシピというものは、完成写真が載っているのが当たり前ですよね。でも、昔の新聞は必ずしもそうじゃありません。1915年(大正4年)の朝日新聞には「お料理」というコラムがありましたが文字のみです。作ってみないとどんな料理になるか、まったく分かりません。
にもかかわらず、現代の私から見ると正体不明のレシピが多いこと多いこと。そんな中にあって、ひときわインパクトがあったのが今回挑戦する「ケヅレーライス」でした。
魚の焼きめしのようです。魚の身をほぐして、ご飯・タマネギ・ニンジンと炒める。なんだか地味。でもこれ、お弁当料理として紹介されているんです。焼きめしを?魚の?しかも最後は青豆(グリーンピース)と紅ショウガを散らせと。味付けは塩コショウ。洋風?中華?それとも和風?さっぱりわかりません。これは作ってみるしかないでしょう。私は料理が好きで、家族の食事も毎日作っています。好奇心が刺激されてきました。
さっそく材料を買ってきました。妻がブツブツ言いながらも、調理風景を写真に撮ってくれました。三角巾とエプロン・マスクで完全防備。毎日の調理でも、この姿なんですが、ここまで全身を覆ってしまうと、せっかくのネットデビューなのに、どこの誰だかわかりませんね。
まずはタマネギとニンジンをみじん切りにします。レシピではニンジンは別に茹でることになっていますが、今はシリコン製のタジン鍋という便利なものがありますので、これに入れてレンジで数分。
続いてタマネギをフライパンでゆっくり炒めつつ、鍋に湯を沸騰させ、少し塩を加えて、魚を投入。このレシピでは、魚は焼くのでも煮るのでもなく茹でます。ただし、このレシピには、「臭み消しのため湯に酒を入れる」ような細かい気配りはありません。換気扇を最大にして、極力排気。煮立てないのがコツだそうです。
どんな魚を使うか、なにも記述はありません。むしろ「残りの焼魚等よし」とある。「よし」じゃあない。本当になんでもいいのか。なかなか立派なサワラの切り身が売っていたので、それを使うことにしました。
タマネギがある程度しっとりと炒められたところで、ご飯を投入し、魚を加えます。サワラは身が柔らかいこともあり、あっという間にぐずぐずに。しかも結構魚臭い。フライパンの中でかき混ぜていると、なんとも汚らしく、えらいもの作ってしまったなあ、とげんなりしてきました。
しかしここでなかったことにするわけにもいきません。ニンジンを加え、さらに炒めていきます。塩コショウをパラパラと振ってみますが、特に味のしない、魚臭い混ぜごはんのままです。ようやく悟りました。これはかなり強火で思い切って炒め、塩コショウもかなり多めに入れてしまおう。そうでないとメリハリがあるお料理になりません。気合を入れてかき混ぜること数分。
一応、なんとか食べられるものにはなりましたが、あまり個性的とはいえません。期待したほどのものではなかったか。無念さを抱えつつタッパーに詰め、グリーンピースと紅ショウガを散らしていきます。と、ここで景色が一変しました。緑と紅の彩りを得て、突然華やかになったのです。自分で作っていて「えっ」とびっくりするほどでした。
「てつか味噌など添える」とあるので、これも作り方をwikipediaやクックパッドで調べて再現。ゴボウとニンジンを細切りにして炒め、味噌を絡めてさらに炒めたものです。これを付け合わせにすると、こげ茶の色合いで引き立ちます。
いやはや参りました。一見ひどくいい加減なのに、実際に作ってみると、とても華やか。けっこうなごちそうではありませんか。
5万号プロジェクトの仲間である陰山真由美デスクが試食しました。気乗りしないようでしたが・・・
ケヅレーって何?それを試食?と、恐る恐るタッパーの蓋を開けました。むむっ、美しい。
紅ショウガはサクラの花のよう、グリーンピースは新緑のよう。スプーンで一口。むむっ、おいしい。バターと胡椒が香る「洋風混ぜごはん」風。紅ショウガがいいアクセントになって、ただの飾りじゃないところも心憎い。見て楽しく、食べて楽しく、お弁当にぴったり。で、ケヅレーって何ですか?
やっぱり気になりますよね。ケヅレー。自分でもネットで、ケズレーやケジュレなど、表記を微妙に変えながら何度も検索してしてみましたが、ほとんどヒットしませんでした。そこで、家庭料理の歴史に詳しい長沢美津子・編集委員が調べてくれました。そこには「目からウロコ」のお話が。
新聞と料理といえば、日本初のグルメエンターテインメント小説にして栄養や衛生の啓蒙記事でもあった、村井弦斎の「食道楽」が思い浮かびます。報知新聞で1903(明治36)年に連載開始、レシピ満載の書籍はベストセラーになりました。当時の最先端だったであろう西洋料理もさまざまに登場します。
単行本の復刻版をめくっていくと……秋の巻に載っていました「ケズレー」が。主人公が西洋料理のフルコースで客をもてなす場面のひと皿で、女性客が得意げに解説するレシピは「ケヅレーライス」とほぼ同じです。
朝日新聞の記事はその30数年後、新聞読者も西洋料理もまだまだ限られた層の時代なので、どのくらい認知されていたメニューかはわかりませんが、想像の料理ではないことがわかりました。
では、「ケズレー」はどこからきたのか。日本の西洋料理のルーツなら、元は英語かフランス語かロシア語か。料理の歴史に詳しい辻静雄料理教育研究所副所長の八木尚子さんに聞いたところ……
「ケジャリー=kedgeree」は、インドにルーツを持つイギリス料理でした。植民地時代のインドから、米と豆を一緒に炊く料理が持ち込まれ、アレンジが加わってタラや豆を混ぜたカレーピラフのような料理に。貴族の朝食だったという説もあります。
新聞ではありませんが、イギリスBBCの料理サイトを見ると、「スパイシーでおいしい」「ブランチに最適」と、グリーンピースたっぷりのケジャリーの詳しいレシピが紹介されています。「ケヅレー」健在です。
まさか「ケヅレー」が今も食されている可能性があるとは、達者で何よりです。
料理レシピがいつから新聞に載るようになったか、はっきりしません。明治末には、少しずつ料理法の記事が掲載され出しているようです。今回確認したところで一番古いのは、1906年1月8日付7面(東京朝日)の「寒鮒料理」でした。
現在の「料理メモ」とほぼ同じスタイルの「お料理」コラムは、1915年にはもう確認できます。今回調べてみた限りでは、一番古い紙面は7月14日付7面(東京朝日)の「おろし蓮根」でした。
「おそうざいのヒント」というコラムがスタートするのは1952年ですが、最初は食材情報に近いもので、レシピになったのは84年のことです。「料理メモ」は1991年にスタート、前身の「おそうざいのヒント」の1984年以降の分と合わせると、朝日新聞デジタル内に収録されているレシピは1万件を超えています。食材や調理法などで検索できる便利な機能もついていますので、ご活用ください!(宣伝で恐縮です)
私が気になった料理レシピは他にもたくさんありました。今後も「作ってみよう企画」を続けていければと思っております。ご声援よろしくお願いします。レシピを通じて、5万号の歴史を皆様にお届けできればと思います。
気になるメニューをあげておきます。次はどれを作ろうかな……
「つらら豆腐」(1915年8月8日付朝刊7面)
「餅と林檎ソース」(1916年1月31日付朝刊7面)
「ふはふはいも」(1916年3月16日付朝刊7面)
「キューカンバエンドシェレンプス」(1916年6月20日付朝刊7面)
「スタフドポンキン」(1917年8月21日付朝刊7面)
「茶豆腐」(1919年9月29日付朝刊7面)
「塩トビ魚のメリケン煮」(1922年5月30日付夕刊3面)
「ますア・ラ・サンジェルマン」(1931年5月12日付朝刊5面)
「苺フライ」(1937年5月16日付夕刊4面)
「焼胡瓜」(1937年6月6日付夕刊4面)
「フイツシユケーキ」(1940年5月1日付朝刊5面)
「秋刀魚トースト」(1940年10月26日付朝刊4面)
「新体制ぶりの重詰め料理」(1940年12月27日付朝刊4面から3回連載)
「玉葱の丸煮」(1941年8月29日付朝刊4面)
「ミンス・ミート・ライス」(1952年1月29日付夕刊2面)
※いずれも東京紙面より
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