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マヂカルラブリー騒動は必然だった M-1審査員も〝掟破り〟の当事者
伝統芸能化しなかったエンタメの神髄
「M-1グランプリ2020」で優勝し、“漫才か、漫才じゃないか論争”を巻き起こしたマヂカルラブリーの野田クリスタルと村上。彼らが披露したネタ「つり革」は、ほとんど野田がしゃべらないというもので、物議をかもした点はここにあると言えるだろう。では、そもそも「漫才」とは何なのか。その成り立ちや変化、M-1 審査員の特徴などに触れながら、波紋を呼んだマヂカルラブリーの漫才について考える。(ライター・鈴木旭)
「M-1グランプリ2020」の王者となり、勢いに乗るマヂカルラブリー。年末年始は連日テレビやライブに引っ張りだこで、今年元日に行われた無観客イベント『マヂカルラブリーno寄席』のライブ配信チケットも14000枚超えの売り上げを見せるなど、その注目度は具体的な数字として現れている。
彼らの芸風は“地下ライブっぽさ”にあり、その雰囲気は『マヂカルラブリーno寄席』にも色濃く出ていた。地下ライブとは、世間では知名度が低い芸人が行う小規模のライブのことだ。
出演メンバーは、マヂカルラブリーのほか、モダンタイムス、ザ・ギース、ランジャタイ、脳みそ夫、永野。これだけでも、多少なりニュアンスが伝わるだろう。一組がネタを披露している間、観客席で見ている共演者の芸人たちからガヤが入る。ネタライブというより、ほとんどガヤライブだ。
とはいえ、ネタとガヤが交錯する空間には見応えがあった。たとえば、ただでさえ支離滅裂なランジャタイのネタに「理解しようとすんなって!」「そいつ殺せ!」などと野田が声を上げる。これを受け、ボケ倒していた国崎和也が我に返り吹き出してしまうといったものだ。この混沌とした面白さは、なかなかテレビでは成立し難いものだろう。
🏆M-1グランプリ2020王者🏆
— M-1グランプリ (@M1GRANDPRIX) December 20, 2020
16代目チャンピオンは…
👑 #マヂカルラブリー 👑https://t.co/tUeUNIAmv3#M1 #M1グランプリ #M1グランプリ2020 pic.twitter.com/Qu6XTGyBrm
マヂカルラブリーが披露するネタの特徴は、何と言っても野田が放つ独特の世界観にある。
M-1グランプリで披露した「フレンチ」「つり革」にしても、野田が体を使ってファンタジックなボケを繰り出していた。「高級レストランのドアを大木で突き破ろうとする」「電車の激しい揺れで横転し、小便が自分に降りかかる」といった描写は日常の“あるある”とは程遠い笑いだ。
また、無観客での開催となった「R-1ぐらんぷり2020」では、プログラミングのスキルを生かした「自作ゲームのゲーム実況」という過去に例のないネタで優勝している。「R-1」は、“一人芸”という以外に条件はなく、漫談やコント、フリップ芸など、様々なスタイルの芸人がぶつかり合う異種格闘技とも言える大会だ。にもかかわらず、野田のネタは物議を呼んだ。
注目すべきは、いずれの大会でも王者になっていることだろう。野田(およびマヂカルラブリー)のスタイルに賛否があるのは事実だが、現場にいた人間が面白いと感じたのも事実ということだ。
マヂカルラブリーのネタが“漫才か、漫才じゃないか論争”も収まった頃なので、ここで冷静に「漫才」の成り立ちについて考えてみたい。
かつて漫才は「万歳」といった。農閑期の出稼ぎとして歌舞音曲などの芸を披露する間、お客を退屈させないよう、合間に2人で軽妙な掛け合いをしていたという。三田純市氏の著書「昭和上方笑芸史」(学芸書林)によると、三河万歳、尾張万歳などとも呼ばれ、その由来は明確ではない。全国各地に広まる中、東京の家々にも万歳は訪れたという。
万歳は、あらゆる芸ができなければならなかった。しゃべりの掛け合い、流行歌、剣舞、義太夫のさわり、浪波節、歌舞伎や新派のセリフといったものが自由に飛び出す芸だったそうだ。しかし、いかに芸が豊富でもネタに一貫性がなくては飽きられてしまう。このニーズに応えたのが、エンタツ・アチャコのしゃべくり漫才だった。
コンビの一人、横山エンタツは役者として活動しており、劇団を転々としていた。
その中、東京を拠点に活動し始めた矢先の1923年に関東大震災の憂き目にあい、やがて一座を結成してアメリカ巡業に出る。興行的には失敗したが、この体験で得たものは大きかった。
帰国後の1930年、以前たった一度だけ三味線、ハリセン、歌なしの万歳を披露して失敗に終わった花菱アチャコと再びコンビを結成する。当時、吉本興業の万歳部門を担当していた林正之助氏の提案によるものだった。
エンタツ・アチャコは、「万歳」のタブーを3つ破ったと言われている。その内容は次の通りだ。
・紋付姿ではなく、背広を着たこと
・エンタツがロイド眼鏡をかけたこと
・エンタツがチョビひげを生やしていたこと
エンタツはアメリカ帰りだ。イギリス出身でアメリカを拠点に活動していた喜劇王「チャールズ・チャプリン」の影響を受けていたと考えられる。
また、コンビともに関西出身でアクセントは関西風だが、会話を「キミ」「僕」で通し、「です・ます調」を用いた。このことからも、最初から全国区を意識した芸のイメージがあったに違いない。東京六大学野球をモチーフとした「早慶戦」など、当時のサラリーマンの日常会話を思わせるネタも画期的だった。
つまり、漫才の原点は、「(万歳の一つである)しゃべりの掛け合い」「欧米の喜劇文化」「庶民性」「若干の関西っぽさ」がブレンドされた芸なのである。
「万歳」は、ある時期から「漫才」へと表記が変わっている。
伝説的なバラエティー番組を数多く手掛けた名プロデューサー・澤田隆治氏の著書「決定版 上方芸能列伝」(ちくま文庫)によると、その名付け親は、吉本興業の社長も務めた橋本鐵彦氏、もしくは先述の林正之助氏のいずれかだ。真相は不明だが、吉本興業によって命名されたことに変わりはない。
そして、1930年~1934年までコンビで活動したエンタツ・アチャコの成功を受け、正式に「漫才」と改称される。つまり、吉本興業の考える漫才とは「しゃべくり漫才」であり、これを主流として押し出そうとした。深い思い入れがあるのは容易に想像できる。
その吉本興業が主催する「M-1」で、しゃべりの掛け合いのない吉本興業所属の芸人コンビが優勝するというのは実に因果なものだ。マヂカルラブリーのネタに対して「漫才ではない」との指摘が出たのは、こうした事実に裏打ちされたものと思われる。
「M-1」の審査員を9回務めた漫才師・中田カウスは、過去にテレビ番組で「近代漫才はエンタツ・アチャコに始まり、(横山)やすし・(西川)きよしで終わったんやと思います」と口にしている。近代漫才は、しゃべくり漫才と言い換えてもいいだろう。
現在、M-1の審査員を務める面々を考えると、その言葉はより説得力を増してくる。流行歌を取り入れた漫才を得意とした上沼恵美子、コント漫才を軸としたダウンタウン・松本人志、中川家・礼二、サンドウィッチマン・富澤たけし、小ボケ量産型を特徴とする漫才のナイツ・塙宣之。しゃべりの掛け合いで勝負する漫才師は、オール巨人のただ一人と言っていい。
つまり、当の審査員も「しゃべくり漫才」に多様性をもたらせた漫才師がほとんどなのだ。そうしたメンバーに「確固たる漫才の定義」に基づいた審査を求めるのは酷というものだろう。
また年齢を重ねたことで、漫才に対する見方が変わることもあるかもしれない。2001年10月~2009年3月まで放送されていたラジオ番組『放送室』(TOKYO FM系)の中で、ダウンタウン・松本は「M-1グランプリ2008」の王者となったNON STYLEの漫才に苦言を呈していたことがある。
「漫才に小道具(のマイムを入れるの)はダメですよ。(中略)そこに関しては古いんかもわからんけど、リップクリーム出してきたり。たまに当たり前みたいに手帳出してくるコンビとかいるでしょ? やっぱオレはね……。いや、コントじゃないんやから。それがええんやったら、どんどん(漫才が変わってしまう)」
今と昔では、吉本興業の考える「漫才」も変わっているに違いない。いずれの変化も、長い時間を経てなおも高い人気を保っているからこそ起きることだ。“しゃべくり”に固執することなく、ニーズがあれば様々なタイプの漫才を許容する。この姿勢があったからこそ、漫才は全国的な広がりを見せた。議論が起こるということは、注目度が高いことの裏返しなのだ。
ちなみに、マヂカルラブリーのネタ「つり革」は、若手時代のウッチャンナンチャンが披露していたショートコントの一つに表現方法が似ている。
一人が実況し、一人がマイムを担う。たとえば彼らは、「のどから手が出る」という慣用句をテーマにコントを披露した。以下、私の記憶によるものなので、厳密には違う描写だったかもしれないがご容赦いただきたい。
内村光良が客席から見て横を向いて椅子に座り、南原清隆が少し離れたところに立って「○○(食べ物)だ、うまそー! あー、のどから手が出るほど食べたい!」などと内村の心情を実況する。
少しすると、内村の開いた口から少しだけ手が出てくる(上半身で隠しているため、奥の腕は客席から見えない)がすぐに引っ込む。「やっぱり無理か。いや、もう少しだ。のどから手が……」と何度か出たり引っ込んだりするが、最終的にはニョロッと手が伸びて食べるという内容だ。
2人がやっていたことは、無言劇のエチュードに似ている。もしかすると、この手のショートコントも進化の途中で、マヂカルラブリーのようなコント漫才と接点を持ったのかもしれない。
賞レースのイベント化によって「漫才が変わってしまった」とも受け取れるが、伝統芸能化しなかったことで面白いフォーマットを持つ芸人が現れたのも事実だ。支持されなければ、いずれは淘汰される。そもそもエンターテイメントの神髄とはそういうものではないだろうか。
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