マンガ
「コロナ収束したら読んでください」手紙に書かれていたこと…漫画に
人と人が触れ合うことは、この先もずっと失われてはいけない。
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人と人が触れ合うことは、この先もずっと失われてはいけない。
「会って触れ合うことさえはばかられる世の中だけど、コロナが収束したら、僕はまず、つかさちゃんに会いたい」ーー。漫画投稿サービス「コミチ」が開催する「コミチ漫画賞」で、幼なじみの男女の10000日を描いた「コロナ収束したら付き合うふたり」が大賞に選ばれました。新型コロナウイルスの感染拡大で減った「触れ合い」。その大切さについて、改めて考えさせられる作品です。
物語の始まりは1993年4月。主人公の男の子「おさむ」と幼なじみの女の子「つかさ」は、保育園の入園式で出会いました。
桜の木の下で手をつなぐ2人。母親に写真を撮ってもらいますが、一度撮影が終わってもその手を離そうとしません。
その後、小学校、中学校、高校、大学を経て、「新型コロナが“おおむね収束”」した現代で付き合うまでの約30年が描かれています。
出会ってから9999日後、おさむはつかさに手紙を渡しました。
そこには「コロナ収束したら読んでください」の文字が。
翌日手紙を読んだつかさは、おさむのもとへと向かうのでした。
作者のうえはらけいたさん(32)がこのマンガをTwitterに投稿したのは、コロナ禍で緊急事態宣言が出された今年4月。
「この先どう世の中が変わっていくか誰にも分からない、一番不安が募っている時期でした。そんな中、人と人が触れ合うことは、この先もずっと失われてはいけないと思ったんです。改めて、人と人が触れ合えることって幸せなんだなと感じられる未来を描きたいと思いました」
友人と対面で食事をしたり、触れ合ったりする機会が減る中、マンガでは当たり前に触れ合えていたbeforeコロナを丁寧に表現しました。
「『人と人が触れ合えることがいかに幸せか』を考える話にしていたので、ハイタッチをしたり握手をしたり、10話に1回くらいスキンシップのシーンを入れようと最初から決めていました」
マンガには、レンズ付きフィルムやMD、携帯電話、スマホなど時代の流れを感じるアイテムも描いています。
時代を反映することは「コロナの話題に触れますという意思表示」だったという、うえはらさん。「徹底的にリアルな話を描くことがこの漫画では大切だった」と振り返りました。
タイトルから分かる通り、このマンガは最初から結末が決まっています。
うえはらさんは、Twitterで連載され大きな反響があった「100日後に死ぬワニ」の大ファン。「ワニ」をきっかけに、当時、結末を明かして展開する作品は”はやり”になっていました。
「最初にオチを見せるやり方はこれまでにもありましたが、あそこまで振り切るとパワーになります。それを実践したのはすごいことで、『やられた』と思いました。僕も波に乗ろうという感じで、スタートは『パクリ』でした」
まねることから始めた創作ですが、コロナ禍に描く作品としてある願いがあったそうです。
「コロナが収束したときに完結するマンガにしたら、コロナ期間を楽しく過ごせるのではないかと思いました。夢物語でしたが、このマンガを早く終わらせるためにみんなでコロナの対策をしなきゃね、となったらいいなと思ったんです」
「収束を願って、おさむ(収)とつかさ(束)という名前を付けました」
描き進めるうちに、プレッシャーをひしひしと感じることもあったと言います。
「いろんな人がいろんな予想を立ててくれ、『楽しみにしています』というコメントももらいました。その人たちの期待に応えないといけないし、予想を良い意味で超えないといけない。安易に予想できる結末にしてもいけない。『ワニ』の作者のきくちゆうきさんは、毎日Twitterにあげて、すばらしいエンディングを迎えました。とてもすごいことだと思います」
実は、うえはらさんが本格的にマンガを描き始めたのは29歳になってからです。
子どものころは漫画家を目指し、自由帳に絵を描いて友達に見せたり、自由研究でマンガを描いたりしていました。
しかし、親に「マンガで生計を立てられる人はほぼいない」と諭され、職業としての漫画家は選択肢の外へ。大学卒業後は、広告代理店でコピーライターとして働きました。
仕事はデザイナーとチームで進め、イメージが形になる様子をそばで見てきたうえはらさん。次第に、「本当にしたいのはこっちだった」と思うようになりました。
過去、漫画家になる夢を諦め、今回もやりたいことを諦めては「一生悔いが残る」と思い立ち、広告代理店を辞めて美術大学に編入。当時は、「デザイナーとして広告業界に戻る」という意志がありましたが、より長く人々の心に残る作品を作りたいと考えた結果、漫画家の夢がよみがえってきてきました。卒業制作にはマンガを選んだと言います。
29歳で美大を卒業後、一度は広告代理店にデザイナーとして就職しました。しかし、本当にやりたいことをきわめるために、31歳で会社員人生に終わりを告げました。
「やりたいことがある状態で会社員として仕事をするのは、しんどかったんですよ。仕事があまり手につかない自分にも言い訳ができてしまったし、マンガを描きたいけど現業があるからと、どちらにも言い訳ができてしまう状態はよくありませんでした」
子どものころは小児ぜんそくのため体が弱く、小学校のころ体育はほぼ見学で学校も休みがちだったうえはらさん。「今後は僕のような少数派の人たちを励ます作品を描きたい」と話します。
「運動部が多数派の子ども時代に、僕は美術部で少数派。運動で輝く、人気者の人生ではありませんでした。そんな僕が部屋にこもってできる娯楽がマンガだったんです。マンガを読んだり描いたりしたことが励みになりました」
マンガは、「君は少数派でいいんだよ」「そんな君にも居場所があるよ」と教えてくれた存在でした。
誰かを励ます作品を多く世に出すためにも、「最終的な目標は100歳まで漫画を描くこと」と話します。
「なぜかと言うと、20年くらい遅れてマンガを描き始めたからです。僕が漫画家人生を全うするには、ほかの人よりも20年くらい長く描く必要がある。ほかの漫画家さんが60歳で定年するとしたら、僕は80歳まで描く。80歳くらいまで描く人もいるから、やっぱり100歳くらいまで描かなきゃいけない。目標が渋すぎますね(笑)」
自身の姿を発信することで、同世代の人へのメッセージになるといい、とうえはらさんは続けます。
「20代後半や30代の人は、ガチガチに人生が固まっているかもしれません。やりたいことがあっても、今更チャレンジしていいのかなと感じる人が多いと思います。僕もそうだったので」
「でも、いきなり会社を辞めてマンガを描き始めた僕が、それなりに生活できるようになったら励まされると思うんです。そういうモデルケースになりたい。30歳越えてから新しいことを始めてもちゃんとできると証明したいんです」
そういうわけで、12月21日から渋谷の書店SPBSにて展示をやることになりました!展示、というには本当にささやかな小スペースですが…お時間あれば遊びに来て下さい。ぼくは基本的に期間中はギャラリー内に在廊して作業をしている予定です! pic.twitter.com/IqOl1BHjbW
— うえはらけいた|漫画家 (@ueharakeita) November 26, 2020
◇ ◇ ◇
うえはらけいたさん(@ueharakeita)が描いた「コロナ収束したら付き合うふたり」が大賞を受賞した「コミチ漫画賞」では、テーマに沿った漫画を募集しています。
「恋愛」をテーマにした今回の審査員は漫画編集者の鈴木重毅(しーげる)さん、大手家電メーカー・シャープのツイッターアカウントを担当するシャープさん、人気ツイッターアカウントで編集者のたらればさん、コミチ代表の萬田大作さんでした。
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