地元
菅首相を歌ったラップ「ドープスガー」批判でも礼賛でもないリリック
「言いたいことを言えるのがヒップホップ」
初の県出身総理の誕生に秋田が沸き立っていた9月、菅義偉首相が生まれ育った地元・湯沢市から2本のヒップホップ動画が世に送り出された。作詞や作曲を手がけたのは、湯沢で活動する県出身のラッパーたち。地元では、指名の瞬間を見届けようとパブリックビューイングが設置され、祝賀の花火まで上がった。「とうとうお祝いラップまでできたのか」と思い動画を見ると、菅氏礼賛で終わっているようには感じなかった。いったいどんな思いで作られたのか。菅氏への期待や注文を率直に歌うラッパーを訪ねた。(朝日新聞秋田総局記者・高橋杏璃 )
一度聞いたら耳から離れない重低音に合わせて繰り返されるフレーズ「Dopesuger」(ドープスガー)が楽曲のタイトル。「ドープ」は「偉大な、すごい」を表すヒップホップ用語だ。
作詞作曲を担ったcocoroさん(20)は、菅氏が生まれた湯沢市の西隣にある羽後町の出身。菅氏の首相就任が確実視され始めた9月初旬、菅氏の曲を作ってみたらと知人に声をかけられたのが、事の発端だった。その日のうちに約6時間でつくり上げたのが「ドープスガー」だ。菅氏が自民党総裁に選出された14日、ユーチューブで第1弾を発表した。
「言葉で遊びながら、その時に出てきたものを並べた」という歌詞の中では、《政権握る湯沢の覇者》《Dopeスガ湯沢のパパ》と菅氏をたたえる一方で、こんな具合に安倍政権時代の政治を皮肉る一節もある。
桜を見る会や東京高検検事長の定年延長問題への対応がうやむやなままに退陣した安倍晋三・前首相に対して感じたことを言葉にした。「批判と思う人はそれでもいいし、共感してくれてもいいし。リスナーにどう聞いてくれとかは、僕が伝えることじゃないんで」
菅氏が首相に就任した16日には、cocoroさんの曲に乗せてさらに2人のラッパー、SUN-TAさん(35)とOSCARさん(41)が歌詞を書き加えたリミックス版を公開した。
湯沢出身のOSCARさんが書いた歌詞は、さらに風刺が効いた内容だ。たとえば、菅氏が官房長官時代に拉致問題担当相を兼ねていたものの、解決できないままに終わったことを思い起こしながら書いたのはこんな歌詞。
湯沢から首相が出るのはすごい。でも、とOSCARさんは言う。「それがゴールっぽくなってるけど、政治家としてやるべきことをやってくれと。そこを最初にチクッと言っておきたかった」
一方で、「批判できるくらいのことは俺にはわかんないんで」と話すのは、湯沢市の北隣・横手市出身のSUN-TAさん。歌詞には地元の居酒屋やレストランなどの店名を意識的に盛り込んだ。「秋田から総理が出ることはなかなかないと思うのでめでたいし、街おこしにつながればいいかな」
動画には、政治批判と捉えられる表現に対する否定的なコメントも寄せられているが、「言いたいことを言えるのがヒップホップ。他のやつらがどう思うかは関係ない」と、3人は口をそろえる。
「菅さんが国をいい方向に導いてくれるんじゃないかなと期待してるし、頑張ってほしい」と話すcocoroさんに、菅氏がめざす社会像として掲げるキーワードの一つ「自助」についての考えを尋ねてみた。
「間違いじゃないっすけどね。自分で金稼いでメシは食わないといけないと思うんで」。一方で、こう続ける。「ただ、もっと若い人たちに向けた政策を考えてくれてもいいのかなと」。若者よりも高齢者を支援する政策が目立つように感じるという。「『若いから何でもできるよ』って感じで特に支援がないから、若者は政治に目が向かないし、票もたぶん入れにいかない」。
「けど18歳からこの国を決める権利を持ってるのに、使わないなんてかなりもったいないじゃないですか。菅さんは僕より頭いいと思うんで、そこに意識をもってもらう得策が浮かぶと思うんですけどね」
菅氏が首相に指名された9月16日、記者は湯沢市にいた。市民が集まって指名の瞬間を見届けるパブリックビューイングを取材するためだ。
会場の市役所には、菅氏の顔写真が大きく貼られたうちわを手に持つ人がいた。指名直後には祝賀の花火が上がった。まち全体が浮足だっているように見えた。
そんな状況で「ドープスガー」の公開を知ったときは、「とうとうお祝いラップまでできたのか」と驚いた。だが、公開された動画を見てみると、少し印象が変わった。必ずしも菅氏礼賛で終わっているようには感じなかったからだ。
菅氏が生まれ育ち、そして離れていった秋田で暮らすラッパーたちが、どんな思いで曲を作ったのか。知りたくて、再び湯沢を訪ねた。
返ってきた言葉は三者三様だった。確かに菅氏や安倍政権にもの申そうと作られた歌詞もあったが、菅氏への期待を素直に言葉にしたり、政治とは無関係の個人的な感情をこめたりした歌詞もあった。ただ3人に共通して印象的だったのは、「言いたいことがおのおのあるから、言葉は汚くなる。でもそれが本心だから」「リリックによってはいらだつ人もいるけど、言いたいことを言えるのがヒップホップ」という、いわゆる「炎上」を恐れないスタンスだ。
最近、特にSNSでの政治や社会問題に関する話題は、どんなコメントをしても反論や批判が寄せられるようで、窮屈な空気を感じる。発言に少しでも隙があれば、さらにその問題に詳しい人や熱心な人に論破されてしまう気がするのだ。
しかし政治や社会の動きはめまぐるしく、専門家でもない限り、それぞれの問題に精通した上で意見を述べることなど不可能だ。むしろ、他者を傷つける内容でない限り、一般の人たちの素朴な疑問や意見に端を発して議論が深まる方が、健全ではないか。
「ドープスガー」の歌詞についても、菅氏や安倍政権に批判的な部分をとがめたり、逆に批判が甘すぎて物足りなく思ったりするリスナーはいるかもしれない。でも、誰もが納得する内容でなくたって、表現欲を抑え込まなくてもいいじゃないか。そんなことを思った取材だった。
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