お金と仕事
プロサッカー選手になれず「人生終わった」50個の理由に導かれ起業
くじけそうになった時、「こうなりたくない」という負の感情をガソリンに
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くじけそうになった時、「こうなりたくない」という負の感情をガソリンに
小学生のころから世界で活躍するサッカー選手を目指し、18年間サッカーを続けた樋口龍さん(38)。24歳の時、ケガを機にプロになれないことを悟り「人生終わった」と思いました。「練習は人一倍こなしていた、でもそこに『思考』が伴っていなかった」。プロ選手になれなかった理由50個を列挙。その中で見えた気づきを糧に起業を果たします。「失敗の経験」が一番役立ったという樋口さんのセカンドキャリアを聞きました。(ライター・小野ヒデコ)
樋口龍(ひぐち・りょう)
小1の頃から放課後にサッカーをしていました。小3の時に同級生がJリーグチームの横浜マリノス(当時)のジュニアユースに抜擢されたのに触発され、私もジュニアユース入りを目指すことに。毎朝6時から30分ほどランニングをするなどの努力をし、小4で憧れのマリノスのジュニアユースに入団できました。
とにかく「世界で活躍するサッカー選手になる」という気持ちが強く、現役時代はその夢を常に持ち続けていました。中学では、FC東京のクラブユースに所属し、高校はサッカーの名門、帝京高校への進学を選択しました。
入部時、サッカー部員は100人強いました。1軍から5軍までランク分けされる中、私を含めた同級生3人は、入部後すぐに1軍に振り分けられました。その中の一人が、元日本代表で今も現役の田中達也選手です。彼はすぐに5軍に降格してしまったのですが、そこから血と汗の滲む努力をしていたのを鮮明に覚えています。
帝京高校では、夏の合宿でチーム編成の指標となる試合があるのですが、そこで私も1軍から一気に5軍に落ちてしまったんです……。実は、「遊んでいる先輩」をかっこいいと思ってしまい、サッカーに集中できていませんでした。
一方の田中選手は、その夏の合宿で頭角を現し、スターダムをかけ上がり、結果的にJI浦和レッドダイヤモンズと契約しました。
なかなか上にあがれない現実に「ヤバイ!」と思い、死にものぐるいで巻き返しを図りましたが「時すでに遅し」。3年の時にはスタメン入りをしましたが、Jリーグからのオファーはありませんでした。
高校卒業後、ジェフユナイテッド千葉の育成選手にはなることができましたが、選手としての収入はゼロ。生計を立てるために、シフトの融通が効き、給料も悪くないパチンコ屋でアルバイトをしながら、Jリーガーへの道を狙い続けていました。
しかし、結果は鳴かず飛ばず。一向に芽がでないまま6年が過ぎた時、足にヒビが入るケガしました。2カ月間練習ができなくなった時、否応なしに「現実」と向き合わざるを得なくなりました。
これまで「世界一のサッカー選手になる」と夢を持ち続けても、世界どころか、プロ選手にすらなっていない。海外を舞台に活躍できる可能性を考えた時、時間的にも実力的にも難しいことを認めざるを得ない状況になっていました。
これまで、友達と会う時間を削り、勉強もあまりせず、サッカーに人生を捧げてきました。家族や友人にも応援されてきたのに、その期待に応えることができなかった。「サッカーをやめる」という決断を自分に下した時、「人生終わった」と思いました。1週間部屋にこもって泣き続けました。
次の人生で何をするか考えた時、1回目の人生はサッカーで失敗したので、2回目の人生は「死んでも成功させる」と心に誓い、ビジネスマンとして世界を目指すことを決めました。
働く前に、なぜプロサッカー選手になれなかったのかを分析する必要があると思い、「プロになれなかった理由」を紙に書き出しました。
そうしたら50個も出てきて。そのほとんどは、技術面ではなく「思考とメンタル」に関することだったんです。例えば、監督から怒られたらふてくされる、頑張りにムラがある、全体練習では50%でやっていたなど。
今だったら、プロになるために必要なことは、弱点を把握して克服し、長所を伸ばすこと。つまりは、PDCAを回すことだと言えます。そのことに、当時の私は気づいていませんでした。
高校1年の時、コーチから「樋口の課題は、シュートを打たずすぐにパスをするところ」と言われていました。その意味をきちんと理解していたら、もっと上達していたかもしれない。練習は人一倍こなしていた、でもそこに「思考」が伴っていなかったんです。
大切なのは思考やマインドセットであり、これが現役時代に足りなかった要素だったことを痛感しました。
私はあまり勉強をしてこなかったのですが、親の影響で本だけは読んでいました。引退後、ふらっと立ち寄った本屋で目に入ったのが『志高く 孫正義伝』(実業之日本社)という本。ソフトバンクグループの孫さんの生き方に感銘を受け、ITに興味を持ち、漠然と「ITで革命を起こしたい」と思ったんです。
就職活動において、学歴で落とされることもあり、すぐにIT業界で働くことは難しいことを思い知りました。まずはビジネスにおいて実力をつける必要があると考え、学歴不問の業界で、1番厳しそうな環境に身を置くことを決め、不動産業界に飛び込みました。
就職した会社の上司は、当時20代後半の男性だったのですが、下についた部下が連続で5人退職するほど仕事に厳しい人で(苦笑)。
日々、叱咤される中、現役時代にできなかった「怒られたらふてくれされる」を封印し、1秒たりとも時間を無駄にしないために、コピー機から自席までの往復20mをダッシュ、出張先で30分空きがあったら新規営業開拓するなど、仕事の姿勢から営業力までの全てをその上司から学びました。
そして、不動産業界の知識とスキルがついた31歳の時、当初から思い描いていた不動産とITを掛け合わせた事業を提供する「GAテクノロジーズ」を創業しました。
私たちの強みは、アナログな不動産業界において、率先してAIなどのテクノロジーを取り入れていること。部屋探しから面談、購入後の管理など不動産に関わる行為をオンライン化しています。非対面でも継続したサービス提供が可能なため、新型コロナウイルスの感染拡大のさなかでも業績を落とさずに経営ができています。
今の仕事において、現役時代の何が役立っているかというと、「失敗の経験」の一言に尽きます。私はサッカーにおいて失敗をし、周りの期待に応えられませんでした。仕事を諦めてしまうと、同じ失敗を繰り返すことになります。
ビジネスにおいて、ビジョンが高いことは良いことだと思っています。そのビジョンを「理想」で終わらせないために私が意識していることは、「負の感情を原動力にさせること」。くじけそうになった時、「こうなりたくない」という負の感情と、「こうありたい」というビジョンをガソリンにして、前に進んでいます。
社員の中には、「なりたい自分がわからない」という人もいます。そういう人には「なりたくない自分は?」というと、ポンポン答えが出てくるんです。そうすると、その答えの逆が、理想の自分になりますよね。負の感情は、使い方によっては、人の成長を手助けすると思っています。
若手アスリートに伝えたいことは、本当にその領域でプロになると決めたら迷わず進んでほしいということ。でも、惰性で現役を続けているのであれば、早々に切り上げて、次の人生に切り替えた方がいいです。それは、逃げじゃなくてチャレンジなので。
スポーツでも仕事においても、行き詰まることがあったら、なぜ目標にたどり着けていないかをきちんと把握することは必要です。高いビジョンを持ちつつ、PDCAを回して成長していってください。
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