コラム
障がい者、働いても「利用者」 明確すぎる線引きが生んだもの
まずは飲みながら、麻雀でもしながら、話し合ってみようか。
障がい者にとって、「働く」とはどういうことなのでしょうか。就労継続支援A型で働く篭田雪江さんは、自分が「従業員」である一方で、「福祉サービスの利用者」でもあると指摘します。かつては「ごちゃまぜ」だった職場が20年の時を経て変わりゆく姿を目の当たりにしてきたという篭田さんに、思いをつづってもらいました。
あるご縁でいただいた雑誌(Oriijin(オリイジン)Spring.2020 ダイヤモンド社刊)の特集を、ずっと読んでいる。
その特集には障がい者(この表記を変えたい、という記事を以前書いたのだが、今のところ新しい表記が思いついていないので不本意ながら使わせていただく)雇用についての現状とこれからが、詳しい資料と共に実に読みやすく詳報されていた。
添付されていた資料によると、国内の障がい者の総数は約963万人(2017年)、国民のおよそ7.6%がなんらかの障がいを持っているということになるらしい。
そんな中、障がい者にとって最大の関心事のひとつである障がい者雇用は年々増えているという。これは2019年の統計だが、民間企業で働く障がい者は約56万人。雇用者数・実雇用率ともに過去最高を更新したそうだ。
963万人のうちの、56万人。
増えているとはいえまだまだ少ないかな、というのが偽らざる実感だった。
私のまわりの話を少ししたい。
私は南東北の市にある社会福祉法人に、高校卒業以来勤務している(卒業時からこの職場を志望していたわけではなかった。本当は公務員を目指していて実際に国家三種という資格も得ていたのだが、さまざまな事情で公務員にはなれなかった。その時の体験はまた別の機会があれば譲る)。
ただ、ここでいう「勤務」というのが実は少し微妙なところだ。厳密に言うと、私の働いている部署は、その社会福祉法人が運営している就労継続支援A型の印刷部門である。
〈就労継続支援A型〉障がいや難病のある「通常の事業所に雇用されることが困難であり、雇用契約に基づく就労が可能である者に対して、雇用契約の締結等による就労の機会の提供及び生産活動の機会の提供その他の就労に必要な知識及び能力の向上のために必要な訓練その他の必要な支援を行う」(厚生労働省 障害者福祉施設における就労支援の概要より抜粋)、就労系の福祉サービスである。
法人と雇用契約を結んでいるので、肩書としては「会社員」「従業員」となる。だが就労機会の提供(私の場合印刷業務)という「福祉サービスの提供」を受けているので、そのサービスの「利用者」でもあるのだ。
業務内容自体は他の印刷会社とおなじだ。私の場合DTPオペレーター(デザイナーによるデザイン原案を元に、印刷できるかたちのデータを作成する)として、日々印刷物の編集につとめている。今は体調を崩して時短勤務中だが、本来は朝8時半から夕方5時までのフルタイム勤務だ。日々納期に追われつつ、デザインソフトとにらめっこしているし、繁忙期には深夜まで残業することだってある。健常者の営業(ちなみに健常者は「職員」や「支援員」という肩書になる)と納期や内容についてやり合うこともしょっちゅうだ。
しかしそんな仕事中、普段はおなじ仕事につく同僚の「支援員」から、ぽろりと紙が渡される。前月のサービス利用日と内容の詳細が書かれた用紙だ。私たちは毎月これに捺印しなければならない。しっかり利用者としてサービスを受けた、というあかしに。
会社員でもあり、福祉サービスの利用者でもある。
この曖昧な立ち位置に、私たちはずっと霧がかかったような思いを抱いている。ぬかるむ泥地に立たされている、あと一個ピースを抜き取ると崩れるジェンガでできた家のなかにいる、そんな足元のおぼつかない場所にいるような思いになる。
職員である健常者と、利用者である私たち障がい者。
私が法人に入った約20年前はいい意味でごちゃまぜだった。職員だの利用者だのという面倒な垣根は一切なかった。障がい者が上司で健常者が部下、なんて部署も当たり前だったし、共に食事や飲みに行ったり、仕事終わりにほぼ徹夜で麻雀に興じる人たちだっていた。
だが障害者自立支援法(2005年)の制定以来、上記に書いたように職員と利用者の区分けが徐々に厳密化してきた。障がい者が上司の部署は少なくなり、後から入ってきた社会福祉を学んできた健常者が、2年もたたないうちに役付けになったりもしている。
〈障害者自立支援法(現・障害者総合支援法)〉一般就労が難しい障害者らに就労の機会を提供する「就労継続支援事業」や、福祉サービスを利用する際に原則1割の負担を課すなどの内容を定めたもの。2006年施行。
その話を聞いた時、うちの未来はあまり明るいものではないな、と正直思った。自分の同僚、あるいはかつて活躍した人を、「障がいを持った利用者」という目でまず見る。能力や性格よりまず先に。
これから入ってくる人たちのなかにも、そういう感覚を潜在的に持つ人が出てくるかもしれないと思うと、暗い気持ちになった。
もちろん、こんな問いかけをするような人は他にはほとんどいない。その新人も多分深い意味もなく訊いただけかもしれない。障がい者や健常者の区分がしっかりできあがった体制しか見ていないのだから、やむを得ないことでもある。
問題は健常者側ばかりではない。私たち障がい者の方の意識も悪い方へ変わってきてしまっている。「面倒なことは職員がやるから」「大事なことを決めるのは向こう」「あいつらにまかせておけばいいんだ」そんな意識が少しずつ芽生え、以前のモチベーションを失っている人もいる。
私自身も偉そうなことを言える立場にない。持病による体調不良とはいえ休みが重なってくると「大きな仕事はもう若い人に引き継ごうか」なんて考えが浮かんだりしている。体裁のいいことを言っているようだが、要するに障がいや病気という言い訳を利用した押しつけに過ぎないのだ。
そんな居心地のいいとはいえなくなった職場でも、障がいを持った方たちがしばしば見学に訪れる。こんなとこやめて違う会社に入った方がいいよ、と興味深げに編集作業を見学する人が来るたび思う。だがここは地方だから、都会に比べてまだまだ障がい者雇用に対して積極的でない企業が多いのだろう。
以上は私の職場の話である。あくまで私が勤める職場の一風景を書いたに過ぎない。他の事業所、民間企業もそうというわけでは決してないことは強調しておきたい。
それにしても障がい者が働く、というのは暗い現実や未来しかないのか、と感じられた方もおられるかもしれない。でも決してそうとは限らない。
現に冒頭にあげた雑誌の特集には、障がい者雇用に対して先進的な取り組みを行っている企業が紹介されている。
「障がいの有無や部位に関わらず、あらゆる人が能力・意欲を発揮できる機会を創造」できるよう、さまざまなケアやサポートを行っている、従業員約400名のうち約350人が障がいのある人である企業。
製造、接客ともに重度の障がいを持つ人が担当しているパン店。そこは各々の得意な工程を活かして作業を行って賃金向上をはかるとともに、いずれは“ごちゃまぜーしょん”という名のもと、高齢者や子どもたち、引きこもりの方々にも入ってもらおうと目指しているという。
障がい者が働くこと、を変えるのは、やはり私たち自身であるべきだ。
ここまで書いて、そんな思いを強くしている。
私も愚痴や不満、羨望ばかり言っていてもしかたがない。まずは自分たちのところから変えていかなければならない。幸いまわりにはまだ障がいの有無に関わらず、「ごちゃまぜ」時代がよかった、と思っている人がいる。後から入ってきた人にも「前はそうだったんですね。そういうのがいいですよね」と言ってくれる人もいる。そんな人たちと話し合い、新しいことをはじめてみたい。障がい者も健常者もない「ごちゃまぜ」の職場の空気を取り戻せば、きっとなにかを生み出せる。自分に残された働ける日々はあまり長くないだろう。その間に、まがりなりにも自分を食べさせてくれた職場に、よりよきものをみんなと残せていけたら、と思っている。
まずは飲みながら、麻雀でもしながら、話し合ってみようか。
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