エンタメ
もしも、世界にライブハウスがなかったら? 原宿の老舗店長の半生
現在73歳の西哲也さんが、音楽に出会ったのは高校生の時でした。ドラムスティック2本でひざをたたいて練習し、目と耳で覚え、19歳でバンドマンに。桑名正博さんらと組んだ「ファニー・カンパニー」などで活躍後、ライブハウス「クロコダイル」の店長を安岡力也さんから引き継ぎました。デビュー当時の「電気グルーヴ」、忌野清志郎さん、内田裕也さんらが演奏したお店は今、存亡の危機にあります。「ミュージシャンたちが、初めてお金を払ってくれる人と出会う場所」を守ってきた西さんの半生を聞きました。(朝日新聞・坂本真子)
東京・原宿のロック系ライブハウス「クロコダイル」は、1977年に開店。代表取締役の西哲也さん(73)が40年以上店長を務めています。
約100人で満席になる店は、ステージのほかにバーカウンターやビリヤード台もあり、食事のメニューが多いのも特徴です。
家賃や光熱費、人件費、飲食の仕入れなどで毎月500万円近くかかりますが、3月は半数以上の公演がキャンセルになり、観客も通常の半数以下。売り上げは前年同月比の7~8割減でした。
4月は初旬に3回、無観客でライブ配信をやりました。そのとき訪れた1人が飲んだ飲料分だけが今月の売り上げで、普段の1%にも満たない見込みです。
「もともと薄利ですが、何とかやれていました。でも3月はそういうレベルじゃなかったですし、4月はまともに営業できていません。従業員の大半がアルバイトで彼らの生活もあるし、本当に困っています」
2月にクラスター(感染者集団)が発生した大阪のライブハウスでは、発症者が来場したことから感染が広がったとされました。
政府の専門家会議は、最も感染拡大のリスクを高める環境として(1)換気の良くない密閉空間(2)人が密集している(3)近距離での会話や発声が行われる、という三つの条件が同時に重なる「三密空間」を挙げています。
クロコダイルでは、2月初めから店内の消毒に力を入れ、入り口で検温と手の消毒を徹底。観客同士の席を離して、アルコールの手ふきを渡し、従業員は全員マスクを着用するなど、細心の注意を払ってきました。
西さんは自らの考えを公式サイトに載せました。
「皆様には様々な考え方やご判断があることはもちろん承知しております。しかしながら今 国の確かな営業保証が何もない現在 私としては店側からの自粛は残念ながらできない状況が現実です。あくまで見えない敵コロナウイルスと戦いお客様と店を守り抜く覚悟でおります」
しかし今は、営業することができません。
「このままでは1カ月、2カ月ももたないと思います。自粛しろと言われても、1人、2人でもお客さんが欲しいからと営業していた飲食店の気持ちがすごくよくわかります。家賃だけでも補償する、と国や東京都に言ってもらえたら、だいぶ楽になるんですが……。銀行の借金も増えて、今は本当に厳しいです」
5月9日にクロコダイルで公演予定だった即興パフォーマンス集団は、この日に団員がそれぞれの自宅からライブ配信し、それを一つの画面で同時に見せる、という手法を考えています。見た人にはドリンク券を買ってもらい、後日、クロコダイルで行うライブで使えるようにする計画です。
「でも、そのときまでうちが存続しているかどうか。万一のときは違う場所で、『クロコダイルよ、ありがとう』みたいなイベントをやることになるんでしょうか。とにかく、今まで経験したことのない状態です」
西さん自身が元々ミュージシャンでした。高校時代にラジオでザ・ビートルズを聴いて「人生が変わった」と言います。
「プリーズ・プリーズ・ミー」や「抱きしめたい」のシングル盤を買い、聴き込むうちに、音楽で生きていこうと決心。18歳のとき、当時エレキバンドの最高峰だった「寺内タケシとブルージーンズ」に、活動を支えるスタッフ(当時の名称は「坊や」)として参加しました。
ドラムスティック2本を手に入れ、ひざをたたいて練習していると、ブルージーンズのドラマー工藤文雄さんが教えてくれたそうです。
寺内タケシとブルージーンズがジャズ喫茶で共演した「ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」のジャッキー吉川さん、「ザ・スパイダーズ」の田辺昭知さんら、名だたるドラマーたちにも教わりました。
「当時は音楽学校も教則本もない時代だったから、目で見て、耳で聴いて覚えるしかなかったんですよ。一流の人たちのところで仕事ができたので、超一流の勉強ができたんです」
加瀬邦彦さんが1966年、ブルージーンズを辞めて「ザ・ワイルドワンズ」を作った際、ザ・ワイルドワンズのドラマーがそれまで在籍していたバンドに、当時19歳だった西さんを紹介。西さんのバンド生活が始まります。
1970年代には、ニューロックの「THE M」や、桑名正博さんらと組んだ「ファニー・カンパニー」で活躍。「キャロル」と一緒に全国を回ったこともあったそうです。「スローバラード」などを収録したRCサクセションのアルバム「シングル・マン」でも演奏しました。
ブルージーンズのマネジャーだった村上元一氏が渡辺プロダクションを辞めて、1977年にオープンさせた店が、クロコダイルです。
西さんは毎晩のように飲みに通ううちに、店の仕事に興味を持ち、1979年にバーテンとして働き始めます。当時の店長は安岡力也さんでしたが、半年ほどで西さんが引き継ぎました。
赤字続きだった店の経営を立て直すため、ツケを減らし、ライブをメインにして、朝6時まで営業しました。
当時はジョー山中さんや桑名正博さん、勝新太郎さんらがよく飲みに来て、そのままステージに上がって演奏することもあったとか。
1980年代には、「東京ロッカーズ」や戸川純さん、松田優作さん、原田芳雄さん、デビュー当時の「電気グルーヴ」、「暴威」と名乗っていた頃のBOØWYも出演していました。「THE 虎舞竜」は「TROUBLE」と名乗っていた頃から演奏していたそうです。
西さんが最も印象に残っているのは1988年2月6日、来日公演中のジョニー・サンダースさんが忌野清志郎さんと共に訪れ、山口冨士夫さんのライブに飛び入り出演した夜のこと。
「冨士夫がジョニー・サンダースと清志郎の2人を知ってたからステージに上げて、ウワーッと盛り上がっちゃって、すごかったよ」
当日の映像は、YouTubeで見ることができます。今は亡き3人がエネルギーをぶつけ合うステージの熱気が、映像から伝わってきます。
ブルージーンズのボーカルだった内田裕也さんとは付き合いが長く、妻の樹木希林さんもよく店に来て、当初は彼女が提供したテーブルを店で使っていたそうです。
今年の3月17日、内田裕也さんの命日には、店でトリビュートライブを行う予定でしたが、キャンセルになりました。
ライブハウスとは何か。西さんに尋ねました。
「ミュージシャンたちが、初めてお金を払ってくれる人と出会う場所であり、近い距離で他人と音のやりとりをする最初の場所がライブハウス。個人的には、入店した頃はここに住んでいましたし、私のライフワークですよ。演奏者や友達との唯一の交流の場ですし、今、己の命を確認できる場です」
そんなライブハウスが今、危機にひんしています。「三密空間」であるとして東京都の休業要請の対象になり、営業することができません。
さらに東京都は4月17日に、「4月16日から5月6日までの全期間、(休業を)対応いただける方に(感染拡大防止協力金を)支給します」と告知。無観客ライブの配信に活路を見いだそうとする店もある中で、衝撃が走りました。
4月末、京都で1980年から営業するライブハウス「VOXhall」と、札幌で2001年から続く「COLONY」が閉店しました。今後、閉店する店は増えると予想されています。
ただ、ライブハウスは、開店時に天井や壁に防音工事を施すため、退去する際の原状復帰にそれなりの費用がかかります。店を継ぐ人がいない場合、閉店することも簡単ではありません。
一方、大阪府では、吉村洋文知事が4月22日、新型コロナウイルスの影響を受けているライブハウスのほか、落語や漫才、浪曲などの「小屋文化」を、府として支援すると発表しました。無観客ライブや落語公演の動画を配信し、視聴料を集めるシステムに、最大70万円を補助するそうです。
また、北海道は4月23日、新型コロナウイルスの影響で苦境に立つライブハウスなどライブ・エンターテインメント業界の事業者に、一律25万円の独自の支援金を出すことを決めました。
第一線で活躍し、大きなコンサートホールでライブを行うミュージシャンも、最初は小さなライブハウスで、数人、数十人の観客を前に演奏することから音楽活動を始めた人がほとんどです。
野外や路上と違って音響、照明などが常備され、コンサートホールより料金が安く、アマチュアでも利用しやすい。そんなライブハウスで鍛錬を重ね、ファンを増やし、デビューのチャンスをつかんだミュージシャンは数え切れないほどたくさんいます。
コンサートホールのような固定された椅子はありませんが、着席して飲食しながら演奏を聴ける店もあります。客席とステージが近いことも魅力の一つです。しかし、大勢の観客が立ち見で密集するライブもあり、「三密空間」として営業できないことは、現状では仕方がないと思います。
一方で、外出せず自宅で過ごす中で、音楽に癒やされ、励まされている人もいるでしょう。しかし、現状のままでは、いずれコロナウイルスの感染が終息して、再びライブを楽しめるようになったときに、場所が残っていない、という状況になりかねません。ライブハウスなどのライブ・エンターテインメント業界が生き残るためには、行政の支援も必要です。
そして、音楽ファンにも何かできることがあるはずです。
「今はどこも大変だ」「ライブハウスだけじゃない」と思う人もいるでしょう。確かにその通りです。でも、ライブハウスはミュージシャンだけでなく、ライブに関わる音響や照明のスタッフ、お店の従業員など多くの人たちが働く場でもあります。今、私たちは、ウイルスに立ち向かう中で、お互いに助け合い、自分以外の人たちが置かれている状況を想像することが大切なのではないか、と改めて思います。
1/14枚