エンタメ
HKT48新センターは北海道出身 1500キロ離れた地から描いた夢
AKB48グループで初めて北海道出身のメンバーがシングル曲のセンターを務めます。しかも約1500キロ離れた福岡を拠点とするHKT48で。ごく普通の高校生だった運上弘菜(うんじょう・ひろな)さん(21)は、当時劇場支配人兼任だった指原莉乃さん(27)にひかれたのが、この道に進むきっかけの一つでした。どんな思いで決断したのか。センターを務める心境は――。お話を伺いました。
「ミュージックビデオ(MV)撮影やレッスンで真ん中に立たせていただいて、意識が一気に変わったというか、しっかりしなきゃという気持ちになっています」。インタビューに運上さんはこう答えました。
「自分がセンターということに驚いてしまい、不安な部分もすごくあったんですけど、センターに立たせていただくのに、自信がないことは周りのメンバーにも申し訳ないと思ったので、自信を持って、それでも謙虚に、気持ちをしっかりしなきゃと思うようになりました」
新曲「3-2」はHKT48をはじめAKB48の各グループ、そして乃木坂46でも「サヨナラの意味」など数多く曲を提供している杉山勝彦さんが作曲。「HKT48といえば元気とか、思いっきり笑顔で歌うイメージが強いのですが、いままでにない感じの曲だとすごく感じました。『新しいHKT48を見せる曲』になるのかな、と思います。(歌詞も)ストレートな表現が多くて、歌詞だけでも切なくなるような曲だと思います」
4月22日発売となるHKT48通算13枚目のシングル曲の選抜メンバーは3月上旬、ネットの配信番組で発表されました。センターとして最後に紹介された運上さんは、メンバーに祝福され、顔を紅潮させながら、「びっくりしてるんですけど、いい楽曲になるように、みんなと力を合わせて頑張ろうと思っているので、応援よろしくお願いします」。そして、「家族はすごい喜んでくれて……」。言葉を詰まらせ、目を両手で覆いました。
消え入りそうな小声で話すことが多く「正統派」アイドルの印象が強いですが、中学は卓球部、高校はソフトテニス部、スキー検定の1級も持っています。山と海、豊かな自然に囲まれた環境で育つ、1人の少女でした。
「アイドルになりたかったわけではないんです」と話します。HKT48加入前に15歳で一度、AKB48チーム8に応募しましたが、「田舎で育ち、顔見知りしかいない町で生きていたので、新しい世界を見たいという気持ちがあった」のが理由だったそうです。この時は最終審査で落選しました。
2年後の2016年2月、高校2年生だった運上さんは将来、進学も含め、どんな道に進むか迷っていました。ちょうどその時期に募集していたのがHKT48の4期生。劇場支配人兼任は指原さんでした。
「前田敦子さんとか渡辺麻友さんのようなキラキラしているアイドルもあこがれていたんですけど、指原さんは等身大という感じ。『私も元々アイドル性はなかった』と話しているのにすごくひかれていました」。運上さんはだれにも相談せず、携帯電話から応募したそうです。
背中を押す出来事が重なりました。大好きだった祖父が亡くなります。「火葬場で最期のお別れをしている時、携帯が鳴って1次審査の合格の知らせが届きました。おじいちゃんが『行っておいで』って言ってくれているような気がして」
自分からやりたいと積極的に言う性格ではなかったという運上さんが言い出した将来の希望に、両親も「やりたいことは最後までやらせてあげよう」と、福岡での2次審査に行かせてくれたそうです。
そして最終審査に合格。知り合いもいない遠く離れた福岡に住むことになる。金銭面の問題、加入しても成功するかはだれにも分からない――。この段階で家族で深く話し合い、「考え直してみたら」と言われたそうです。「決意は固かったけど、かなりやっと決まったという感じ」だったそうです。
最初は母親も一緒でしたが、福岡にやってきたものの、慣れない暑さ、厳しいレッスン、知らない街での暮らし。「熱中症みたいなのは2回ぐらいありました」。同年7月に福岡であったHKT48の全国ツアーで4期生11人(当時)が初めてステージに立ち、同じ月に高知、鳥取であった若手メンバーによるコンサートに出演。めまぐるしい毎日でした。
運上さんについて尾崎充支配人(当時)は、ブログにこう記しています。
そんな運上さんは強運の持ち主でした。翌年9月、AKB48グループのじゃんけん大会に、3期生の荒巻美咲さんが「せっかくなら珍しいペアにしたい」と相手に選んでくれて出場。予戦は運上さんが勝ち抜き、本戦は荒巻さんの右手に託しました。結果、優勝。まだ研究生でしたが荒巻さんとのペアでCDデビューに至ります。
優勝直後のメディアの囲み取材、運上さんは「HKT48に加入してやっと1年、先輩のおかげでこんな所に立っているので本当にうれしいです」「あこがれは指原さん。でも入ってみると、雲の上の人みたい。見ているだけで気持ちがふわふわするというか、すごいなと思います」などと答えました。ただ、緊張しすぎていて、振り返っても何を話したのか覚えていないそうです。
同じグループの先輩としての指原さんは、東京でのレギュラー番組、AKB48としての選抜の仕事など多忙を極めていました。「思っていたより手の届かない遠い存在」という感じがしたそうです。
それでも、指原さんはLINEでこまめにメンバーの相談に乗ったり、親身にアドバイスしたりしてくれました。「厳しい言葉のほか、ステージの上のパフォーマンスだけでなく、メンバーの日常とか人としてきちんとしなきゃいけない、ってこともたくさん教えてくださった。それが、一番印象に残っています」
昨春、指原さんはHKT48を卒業。HKT48はここから新たな歩みが始まりました。
昨年7月~10月の九州7県ツアーは、ひときわ個性的なメンバーがそろう4期生の活躍が、これまで以上に目立ちました。運上さんもユニット曲のセンターを務めました。
「HKT48がどう変わるのか、どこに向かうのか見られていたツアーだったと思います。先輩任せにできないというか、みんなでツアー始まる前に話し合い、一人一人が意識をしっかり持つ大切さを感じました。『指原さんがいるHKT48』じゃなくなるので、だれの名前が挙がってもおかしくない状況。がむしゃらにやる大切さというか、自信がないままでなくて、強気でというか、たくさんの方に名前、顔を覚えてもらいたい一心でやっていました」
九州7県ツアーでは「毒舌」という新たなキャラも獲得しました。コンサート途中の寸劇コーナーで、「清純派」の運上さんが、台詞を忘れた村重杏奈さん(21)に「お前、クソだな」とアドリブで吐き捨て、そのギャップがファンの間で話題となりました。
「元々思ったことは言うというか、正しいことは正しい、正しくないことは正しくないと、学生のころは先生と言い合ったりするくらいの感じだったんです。握手会でファンの方に思ったことを伝えるようにしたら、好きになってくださる方もいたので、最近は少しずつ、自分に正直に物事を伝えるようにしています」
自分のことを、こだわりや頑固な一面もあると分析します。その一つが自撮りの角度。画面でみるとやや左向きで一定なことがほとんどです。尋ねると、苦笑しながら、「自分的には右の顔はすごい苦手なので、左の角度で撮られたいという思いがあるんですけど……。『22.5度』はファンの方が言っていることなので……」
選抜メンバー発表の配信番組でも、正面にカメラがあるのに、必死に少し左側を向いていたのがほほえましい一コマでした。
どんなアイドル、そして大人の女性を目指すのか。最後に尋ねると、こんな決意を口にしました。
「アイドルに向いていないといまでも思うんですけど、向いてないけどやりたいからやっている、というのがあって。向いてないけど、自分なりに輝ける形で、自分なりの性格やキャラクターで、自分らしいアイドルを確立できたらいいなと思っています」
*このインタビューは新型コロナウイルスの感染予防のため、電話で行われました。
1/33枚