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かが屋、地味なのに笑える理由 ルーツにラーメンズの「演劇性」
時代がお笑いをつくるように、お笑いもまた時代をつくっていく。1970年代、最高視聴率50.5%を記録した『8時だョ!全員集合』(TBS系)は、本物の家同然の舞台セットに自動車を飛び乗せるなど、大がかりな演出でお茶の間を酔わせた。今、若手芸人のシーンに目を移すと、真逆な光景がある。中でも、「お笑い第七世代」と呼ばれるコンビ、かが屋の加賀翔(26)と賀屋壮也(27)の舞台はシンプルそのもの。とはいえ、2人の単独ライブのチケットは即完売という人気ぶりだ。ド派手な笑いとは別に脈々と引き継がれてきた「ミニマリスト」たちの挑戦をたどる。
かが屋のコント衣装は実にシンプルだ。基本的には、白と黒の無地Tシャツでコントラストをつけ、いずれもジーンズを穿いている。小道具もほとんど使用することがなく、マイムによってイメージを補足することが多い。
昨年、私がある取材でこの点について尋ねたところ、「やっぱりお金がかからないので……」と若手芸人らしい答えが返ってきた。
下積み時代のコント師にとって、衣装や小道具の出費はバカにならない。限られた予算のなかでコントを成立させるための苦肉の策と言えるだろう。
その一方で吉本興業所属の芸人は、セットやコスチュームを使用するケースが多い。劇場を持っている事務所と、そうでない事務所という背景も関係するということだ。とくに関東の芸能事務所は、基本的に劇場を持っていない。だからこそ、かが屋のようなコントスタイルが増えていった。
テレビの世界に目を向けると、舞台美術に時代の変化を垣間見ることができる。国民的番組だった『8時だョ!全員集合』以降も、『とんねるずのみなさんのおかげです。』(フジテレビ系・1988年10月~1997年3月終了)や『笑う犬シリーズ』(同・1998年10月~2003年12月終了)では大がかりなセットが当たり前のようにあった。
ネタ番組全盛期の『エンタの神様』(日本テレビ系・2003年4月~2010年3月終了)でも、机や椅子だけでなく、どんな場所かを一目で理解できる美術セットが用意されていた。しかし、ここ最近の『そろそろ にちようチャップリン』(テレビ東京系)や『ネタパレ』(フジテレビ系)を見ると、映像で背景を補足する、または簡素なセットでコントを披露するのが普通になっている。
日本経済の停滞が長引き、今やテレビ局の予算も抑えられている中、かが屋のようなコントスタイルが重宝されるのは当然のことなのかもしれない。
シンプルな衣装とセットで真っ先に思い浮かぶコント師がラーメンズだ。1996年にコンビを結成して以降、舞台を中心に活動している(ただし、2009年を最後にコンビだけでの公演は行っていない)。モノトーンの衣装に裸足、最小限の小道具。ここまで余計な情報を排して演じるコンビはほかに類を見ない。
2001年10月に放送された『トップランナー』(NHK総合/教育・1997年4月~2011年3月終了)にラーメンズがゲスト出演した際、ネタづくりを担当する小林賢太郎は「たとえば真っ白い衣装で真っ白いエプロン付けててコンビニエンスストアの設定でやってたら、人によっては自分に一番身近なコンビニエンスストアに見えている」と、その意図を語っていた。観客の想像を膨らませるために、シンプルな衣装が機能するということらしい。
また小林は、たびたび雑誌やテレビ番組のなかで「シティボーイズさんが大好き」と語っている。シティボーイズとは、もともと劇団「表現劇場」のメンバーで結成されたお笑いトリオだ。加えて、舞台演出家・宮沢章夫とタッグを組んだ1983年頃からコントスタイルがスタイリッシュになり、人気を博した芸人でもある。
つまり、ラーメンズの衣装や舞台セットには、少なからず演劇的なモチーフが入っている。これは、かが屋のコントスタイルにも通じるところだ。彼らのコントのルーツは、演劇にあると言っていいだろう。
演劇を含めたアートの世界において、極限まで切り詰めた表現を「ミニマリズム」と呼ぶ。1960年代初頭にアメリカで登場した「ミニマルアート」から派生した言葉で、最小限の装飾・形・色・音などで創作されたアート作品全般を指している。いずれも、一見すると工業製品を思わせる極めてシンプルな作品が多いのが特徴だ。
日本でミニマリズムの概念を一気に浸透させた存在の一つが、1980年代に世界的なブレークを果たしたYMOだ。一定のリズムで繰り返されるテクノサウンド(厳密にはテクノポップ)に加えて、中国の人民服を思わせるメンバー3人の衣装、もみ上げを斜めにカットするスタイルなど、ミニマリズムに通じる要素は多い。
1980年にリリースされたYMOの4thアルバム『増殖』にたずさわった桑原茂一(曲間のシュールなコントが話題となったラジオ番組『スネークマンショー』のディレクターとして有名)は、宮沢章夫とタッグを組み、1984年に演劇ユニット「ドラマンス」(1985年解散。メンバーは、シティボーイズ、いこうせいこう、中村ゆうじ、竹中直人など)を旗揚げしている。YMOとコント、演劇はここで確実に接点を持った。
1985年~1989年まで活動していた演劇ユニット「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」(前述の「ドラマンス」を中心としたメンバー)の舞台『未知の贈り物』(1986年11月の公演)では、すでに舞台セットや衣装がシンプルだ。男性陣はワイシャツにネクタイ、スラックス姿で統一しており、ラーメンズの公演でよく見られる素舞台に置かれた四角い箱(主に椅子として利用する)も確認できる。
この演劇とお笑いが混在した時代の“なごり”こそ、お笑い第七世代のかが屋まで受け継がれたスタイルの原点だろう。誰もが親しめる大衆文化の時代から、「スタイリッシュ」「センスのよさ」を感じさせる個人の時代へと演劇やコントは変化していった。ミニマリズムは「都会的」なイメージを彷彿とさせるため、東京に根付いたようだ。
1990年代のコントを語るうえで欠かせない芸人コンビがバナナマンだ。ラーメンズの3年先輩にあたり、やはりデビュー当初から比較的シンプルな衣装とセットでネタを披露している。
しかし、2組の織り成すネタの方向性は微妙に違う。ラーメンズの小林は、たびたび自身のつくるコントを「非日常のなかの日常」だと語っている。「採集」「小説家らしき存在」「バニー部」など、空想的な世界や突飛な設定であることが多く、ネタ番組でよく見られるような日常のあるあるを描くコントではない。
反対にバナナマンは、ある意味で正統派だ。ネタの設定は日常的なものが多く、日村勇紀のキャラクターも相まって親しみやすさがある。ただ、いわゆる正統派と違うのは、ネタが長尺で緻密な計算のもとにつくられたコントということだ。お笑いトリオ・東京03の単独ライブも手がける構成作家・オークラが長年サポートしていることもあり、本格的な舞台とそん色のないクオリティの高さに毎回驚かされる。
かが屋は、そんなバナナマンの影響を受けてお笑いの世界に入ったと公言している。とはいえ、演技力の高さが要求されるコントなだけに、すべての芸人がマネできるスタイルではない。バナナマンを目標に芸人になったものの、数年で挫折したという声は想像以上に多い。
何げない感情の機微を表す表現は、かが屋の2人にとって得意分野と言ってもいい。そんな演技力の高さも、支持されている大きな要因だ。
バナナマンの台頭によって、関東のコント師は劇的に増えていった。ザ・ギース、かもめんたる、ラブレターズなどの、いわゆるお笑い第六世代。その後は、ゾフィー、ザ・マミィ、ハナコなどが次世代の旗手として名乗りを上げている。
そのなか、かが屋はなにが特別なのか。最大の要素と考えられるのが、ネタの切り取り方だ。
彼らのコントに「母親へのサプライズ」というネタがある。加賀が母親を喜ばせたい一心で、友だちの賀屋に協力してもらおうというシンプルな会話劇だ。ただ、そのなかでスマホを使い、母親に似ているという女優・木野花の画像を見せた後のシーンが、従来のコントにはない新しい描写だった。
「この感じならさ、『彼女さん?』っていうのはどう?」「それは攻め過ぎじゃない?」といった微笑ましいやり取りのあいだ、手に持ったスマホのなかで木野花の画像が、縦になったり横になったり回転したりする。たったそれだけなのだが、「母親を喜ばせたい」というピュアな気持ちとは裏腹に、木野花似の母親がスマホのなかで、もてあそばれているかような“不条理さ”を感じさせるネタだ。こんなコントは見たことがない。
「ミニマリスト」の系譜を受け継ぎつつ、スマホやスイカなど、誰もが身近に接する現代のアイテムを取り入れながら、笑いの解釈は観客に委ねる独自のスタイルを確立したかが屋。今後、彼らがさらなるコントの進化を見せてくれることに期待したい。
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