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ゴスペラーズ、印税もギャラも5等分 25年間、一緒に続けられた理由
ボーカルグループのゴスペラーズは、北山陽一さん、黒沢薫さん、酒井雄二さん、村上てつやさん、安岡優さんという不動の5人。今月21日にメジャーデビュー25周年を迎えました。グループとしての活動を休んだのは、25年の間におよそ5カ月のみ。北山さんが脳腫瘍で休んだときも残りの4人で、ゴスペラーズとして歌い続けました。同じメンバーで長く続ける秘訣はなにか、5人に聞きました。(朝日新聞文化くらし報道部・坂本真子)
「25年前は、アナログからデジタルに移行する過渡期の最後だったと思います。リマスタリングするのが5年後だったらできていたかどうかわからない。このタイミングで形にできて良かったと思います」と北山さんは言います。
ゴスペラーズがこれまでに発表したシングルは全部で52枚。その中で発表した全58曲をリマスタリングした記念アルバム「G25―Beautiful Harmony―」を12月18日に出しました。
25年前、記録媒体はアナログテープでした。マスターテープを紛失してしまい、当時のエンジニアが個人的に保管していたコピーを使った曲、テープが劣化してくっついてしまい、復元処理で何とかよみがえった曲もあったそうです。
1994年12月21日にシングル「Promise」でメジャーデビュー。当時は「寝て起きたら世界が変わっていると思っていた」(北山さん)そうですが、実際に2000年の「永遠に」、翌年「ひとり」でブレークするまで、数年の月日を要しました。
「1枚目は自信満々で『これだ』と思ったのに、なんで売れないんだろうと。『次は売れるぞ』『いや売れてない』みたいなことを繰り返して、浮き沈みが激しかったですね」と、リーダーの村上さん。
「永遠に」は、キーボード奏者の妹尾武さんが作った曲に、安岡さんが詞を付けました。黒沢さんは、シングルの中でこの曲が最も印象に残っていると言います。
「シングルを出して『次は売れたい』と言うことに疲れてきて、そろそろ売れないと、これがレコード会社で最後のアルバムになるかもしれないと思っていた頃に出した曲でした」
そして、ライブで「永遠に」を歌ったときの観客の反応に変化が。
「少しずつ『待ってました』という拍手が増えてきたんですよ。熱心なファンではなく、ライブに初めて来た人が『この曲を聴きたかった』という経験は初めてで、これが、曲が一人歩きする瞬間なんだ、と思いました。その場に立ち会えたことは本当に幸せだったし、ブレーク寸前、ちょっとずつ認知されていく感じは、今でも生々しく覚えています」
翌2001年にアカペラの「ひとり」が大ヒット。リーダーの村上さんがアカペラのコンサートに向けて詞も曲も書いた、最も思い出深い作品だそうです。
当時、アカペラ曲がシングルヒットしたという成功例がなく、「ひとり」をシングルにするかどうか、レコード会社の中で意見が割れました。
「前例を打ち破るのがそんなに難しいことなのかと、僕らはすごく憤った思い出がある。でも、だからこそよけいに反発力が出た。最終的にはヒットして、声だけで成し遂げたぞ、とみんなが盛り上がったんですけどね」
「ひとり」は最後、「聴こえないように」というハーモニーで終わります。実はいったん録音を終えた後、外で30分ほど考えた村上さんは一人でスタジオに戻り、最後のパートだけ歌い直しました。
「全員で一緒に終わっていたのを、自分1人の声が一瞬だけはみ出すようにした方がいいと思って。それで売れたわけじゃないけど、そんなことは後にも先にもあまりなかったし、懐かしいことを思い出しました」
「ひとり」の大ヒットが、彼らに自信と、挑戦するゆとりをもたらしたといえるでしょう。翌2002年の「星屑の街」は、冒頭の約1分間をアカペラで、しかも歌詞のないコーラスだけで紡ぎました。
作曲した北山さんは「歌詞の力を借りればメッセージが伝わるのは当然」としつつ、「歌詞がなくても音楽でメッセージを伝えられるんじゃないかと、子どもの頃から思っていて、それを1つ形にできた。クラシックが好きな子どもで、ハモりたくて歌手になった僕の夢が一つかなったような、作家として手応えをつかんだ曲です」と振り返りました。
今年10月に出した25周年記念シングル「VOXers」はアカペラです。5人が五角形のリングに立ち、歌声で勝負しながらハモっていくイメージの曲で、酒井さんが作りました。
その酒井さんは、2011年の東日本大震災が忘れられないと言います。
「音楽をやっていられないという経験をしましたし、その後、被災地に行くと『今は聴く気分じゃない』と言われて、料理人が料理をいらないと言われるような経験をしたわけです。この時期のことも、その後、音楽をやってもいいんじゃないかという風に世の中が変わっていく感覚も忘れられないですね」
この年に出したシングル「NEVER STOP]は、もともと震災の前日に録音する予定でした。
「歌い手とは、ミュージシャンとは、ということをすごく考えた曲でした」
ゴスペラーズがなぜ、不動の5人で25年間、休まず活動できたのか。
そのカギを握るのが、2枚目のシングル「U'll Be Mine」だと安岡さんは言います。
「5人で知恵を出し合い、初めて5人だけで、歌いながら作った曲。本当の意味での、最初の一歩でした」
それぞれに楽曲提供やプロデュースを行い、ソロ活動もしていますが、2005年の約5カ月間以外は、グループとしての活動を止めたことはありません。
2015年11月に北山さんが倒れ、脳腫瘍で手術を受けたときも同じでした。5人で歌い分けていたパートを残りの4人で分け合い、翌年3月に北山さんが復帰するまでの半年近く、4人だけで活動を続けたのです。
この話になったとき、北山さんが切り出しました。
「僕がいつ復帰できるか、全くわからない状態で、メンバーが1人、20%がいなくなっても走り続けようとした、とりあえず行けるところまで4人で走ろうと思ったのはなぜ?それは僕にとってすごく心強いことだったし、回復に向けて頑張るモチベーションになったんですけど、僕も聞きたい」
「それは賭けでしたから」と村上さん。
「北山の手術から3カ月後、2月に苗場のコンサートが設定されていて、そこに出られないのは何となくわかったけど、そこまで何とかつないでいれば、北山の回復が見えるかもしれないと思って。実際、2月になると、あと1~2カ月で復帰できそうだ、というのが見えたから、結果的にそんなに止まらず行けたんですけど、それが見えていなかったら、2月で止まっていたと思いますよ」
安岡さんは、12月にテレビの音楽番組に4人で出演した際に、共演した先輩ミュージシャンたちからかけられた激励の言葉に後押しされたと考えています。
「後輩たちは『どうするんですか?』と聞いてきたけど、先輩たちはもれなく『やるんだろ』と言ってくださって、『そうだよな』と。俺たちが賭けるなら『やるだろ』の一択だよな、と思ったんです。長く続けてきた先輩たちが誰しもその一択なら、僕たちも長く続けていくためにはそれしかないだろうと。そこで『やるんだろ』と選べる5人だったから、このメンバーで長く続けてこられたのかな、と思います」
とはいえ、5人で歌ってきた曲を4人で歌うのは容易ではありませんでした。
「一声ないと、ハモらないんですよ」と黒沢さん。村上さんも「1人の不在がこんなに大きなものかと感じました」。安岡さんも「あれが長く続いていたら、僕らの心が持ったか、というと、それは無理だったかもしれない」。
この苦難を乗り越え、25周年を迎えた5人。同じメンバーで続けるための秘訣はあるのでしょうか。
村上さんは「提供された曲だけを歌っていたら、この曲を歌うためにこの期間だけ誰かを入れるという選択肢もあったかもしれない」と言います。
「でも、5人で作ることに関してちゃんと向き合ってきたという思いが、『ここでくじけてどうする』と思わせてくれた。確実にこの5人でなければできない音があった、ということなんでしょうね」
ゴスペラーズは、印税もギャラも5等分しています。歌のパートや作詞作曲、リードボーカルも、曲によって入れ替わります。
「グループ内でもそのときどきで気分が変わるし、おのおのがソロ活動をしたり学生に教えたりして、いつもグループの歯車の一つではないことも大きいと思います。自意識や承認欲求の逃がし方がうまいのかもしれない」と黒沢さん。
北山さんは今、大学で教えながら、ハーモニーやアンサンブルの研究をしています。
「私とあなたは違うのが当然で、違いを認識して響き合うことで、これを吸収しよう、拡張しようと思えることが大事なんです。相手の立場で経験してみることが大事。僕らはお互いのパートを歌ってみるし、リードボーカルも全員が歌ってみて決める。それも影響しているのかな、と思います」
お互いの立場を想像し、思いやることは、人間関係を培うための基本といえます。歌のハーモニーは、その延長線上にあるのかもしれません。
5人は、個性もこだわりもバラバラです。
今、音楽と向き合う上で最も大事にしていることは何か。尋ねると、五人五様の答えが返ってきました。
安岡さんは「楽曲に忠実であろうと思っています。作家の意図の通りに演奏できること。その上で、自分にしか出せないものを出せたら嬉しいですね」。
村上さんは「コンサートなら1曲目、歌なら1番の歌い出し、リズムなら1拍目に向けて頑張る。頭がよくないと帳尻はなかなか合わないと思っていて、頭に100はなかなか出せないけど、常に一番いい状態をめざすこと。結局はその繰り返しだと思うので」。
黒沢さんは「歌い手であること。曲を作るときも、まず自分で歌ってみて気持ちがいいメロディーを紡いでいくことしかできないし、その方が曲に勢いがあるので。そのためにも、新譜や面白いと思った音楽は積極的に聴くようにしています。最近はサブスクのおかげで、思いもよらない曲からヒントをもらうことも増えました」。
北山さんは「自分を広げることと手放すこと。会場全体が自分の体のように歌を届けられるように自分を広げたい。そして自分が100できると思ってステージに出ると、音楽の神様にけちょんけちょんにされてしまうので、舞台に出て生きて帰ってくれば満点ぐらいのところまで手放すと、ミスを気にせず、いろんなことを楽しめるようになる。病気をして、生きているだけで丸儲け、という状態になって、実感しています」。
酒井さんは「僕らは音楽を発明したわけではないので、ミュージシャンでありながらもリスナーでしかない。自分の作った料理を味見しない料理人がダメなように、僕らも歌いながら聴くことが大事だと思っています。料理を作りながら味見をする。鍋の中に、味見のための舌が入っているような……」。
5人がそれぞれのこだわりを尊重し合いながら歩んできた25年の間には、テレビ番組からアカペラブームが起きたり、ボーカルグループが増えたり、といった変化がありました。米国のペンタトニックスをはじめ、アカペラで歌うボーカルグループも今では多く活躍しています。
「後輩で、アカペラ経験者がすごく増えました。ミュージシャンで、アカペラの人じゃないんだけど、アカペラをやったことがあるという人が増えて、ハーモニーというものがすごく当たり前になったことを感じています」と酒井さんも言います。
日本ではかつて、ムード歌謡の男性コーラスグループや、大学の合唱クラブ出身の男性4人によるボーカルグループが人気を博し、1980年にはシャネルズ(後のラッツ&スター)の「ランナウェイ」が大ヒットしました。
ボーカルグループ自体は決して珍しい存在ではありませんでしたが、デビュー当初のゴスペラーズを名古屋のライブハウスで見たとき、観客も一緒に、とても楽しそうにハーモニーを響かせる5人の姿は新鮮でした。こんなに楽しくライブが盛り上がるなら、もっと大勢に聴かれるグループになるかもしれない、そうなって欲しい、と思ったことを覚えています。
やがて彼らはブレーク。5人の個性を前面に出し、ボーカルグループとしてもアカペラを歌うグループとしても、活動の場を広げる役割を果たしてきました。
「この25年で、呼ばれる現場も、自分たちが打ち出すものもすごく幅が広がったし、まだまだ僕らが発見できていない場所や、やれる音楽があると思うので、1つずつでも見つけて、活動の場を広げていきたい」と村上さん。
最近は女性5人のLittle Gree Monsterが活躍。今年3月には若手ミュージシャンたちによるゴスペラーズのトリビュートアルバムが発売され、トリビュートライブも行われるなど、改めてボーカルグループに注目が集まっています。
そんな中でゴスペラーズの5人は、自分たちで曲を書き、ツアーで観客に届けるという柱がぶれることなく、さらに可能性を広げていくのでしょう。
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