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タイ洞窟の閉じ込め事件から1年 少年たちを翻弄する「ビッグな話」
タイ北部の洞窟に17日間閉じ込められた少年たち13人がレスキュー隊によって全員無事に救出された事案から、1年がたちました。「奇跡のサッカーチーム」などとして世界を回り、救出劇の映画化も決定。彼らは今、どのように過ごしているのでしょうか。当時取材した記者が彼らに会うために現場を訪れると、予想外の展開が待っていました。(朝日新聞ヤンゴン支局長兼アジア総局員・染田屋竜太)
2018年6月23日、タイ北部チェンライ郊外の「タムルアン洞窟」に入った同じサッカーチームの少年12人とコーチは突然の大雨に襲われ、出られなくなりました。全員で奥に奥に逃げ、入り口から約5キロの水のない場所に避難。
9日後に英国人ダイバーに発見されましたが、降り続く雨に洞窟内の水かさは増え、救助作業は難航することに。救助のための準備作業中、タイ人ダイバー1人が亡くなるという悲劇もありました。
少年たちは鎮静剤を飲み、ダイビングスーツを着てほぼ意識を失った状態でダイバーに付き添われ、入り口まで運びだされました。閉じ込められてから18日目、全員が無事、洞窟の外へ。その様子は世界中に配信され、多くの人が祝福の声を贈りました。
さて、それから1年。彼らはどのように過ごしているのか。気になって洞窟のあるチェンライ県メーサイに行ってみました。
記者は当時、半月以上現場にとどまりました。車で洞窟に近づくと、毎日毎日泥まみれになって洞窟近くで取材した当時の事が思い出されます。日々のしんどさや、少年たちはどうなってしまうのかという戸惑い、救出後に盛り上がった現地の人たちの様子などが浮かんできました。
1年前、救出された少年の1人の家族を何度か取材し、親しくなっていたため、今回も取材を申し込んでみました。
すると、「答えたい気持ちはあるけれど、いろいろ制約があって……。可能かどうかはわからない」とずいぶん歯切れが悪いのです。
この日はちょうど、タイ人ダイバーが亡くなった日。少年ら13人全員が1周忌のお参りに行っていました。お寺に着くと、少年とコーチがダイバーの遺影に向かって祈っています。見覚えのある顔もあり、何となくこの1年でりりしくなっていた気がします。
近くに親もいたので、少年たちにインタビューしていいか、きいてみました。すると、「カメラを向けたインタビューは控えてほしい」と言われました。
マスコミが殺到して取材疲れがあるのでしょうか。しかし、理由は思わぬものでした。
「子どもたちの映画をつくることになっていて、洞窟事件のことは映画制作以外では話してはいけない契約になっているの」とある母親。「本当はダメなんだけど、カメラを向けない『会話』なら平気だと思う」
お寺だと目立つので、その後にあるサッカーの練習に来たらどうかと言われました。
実は、アメリカの映画会社が洞窟救出劇を映画化する権利を独占的に取得。動画配信サービス「ネットフリックス」での公開を予定しています。
タイ文化省の関連機関によると、少年らへのインタビューなどはこの映画会社が独占し、その代わりに少年らには1人あたり200万~300万バーツ(約700万~1000万円)が支払われるといいます。
寺から車で15分ほどのサッカー場。ここは少年らが洞窟に入る直前まで練習していた場所です。
近づくと、まずはコーチのエーカポン・チャンタォンさん(26)が答えてくれました。「本当にこの1年はたくさんのことがありました。洞窟では皆さんに迷惑をかけたけれど、その後子どもたちと一緒に世界を回ったのはとてもいい経験でした」
少年たちは「奇跡の生還」で時の人となり、アメリカやイギリスに行く、テレビに出演する、有名サッカー選手と話すといった貴重な経験をしました。
2019年には来日し、福島県で日本の子どもたちとサッカーの試合もしています。
少年の1人、パヌマー・セーンリー君(14)は、日本に行ったことが一番の思い出。イギリスでサッカーチーム「マンチェスター・ユナイテッド」の選手と会ったことも忘れられないと言います。
「僕たちがたくさんの人のおかげで助かったことは忘れたくない。これからはむちゃなことをしないようにしっかり生きたい」。まっすぐな目で話しました。
1年前は十数人だったチームも、洞窟事件で申込者が増え、今や40人が所属。コーチのエーカポンさんは「今の生活は以前と同じ。練習もしているし、来週は試合もあります」。
そう答えたのち、小声で「あまり言いたくはないんだけど、いろいろな人に行動を見られている。どこのインタビューに答えただとか、どこに行ったとか、政府の人にきかれる。なんだか心が落ち着きません」
救出された少年の1人、モンコン・ブンピアン君(14)の母親のナムホンさんも「とにかく洞窟の中であったことについては話してはいけない。親たちでつくった小さな会社が映画会社とやりとりをする窓口なのだけれど、いろいろ制約があるようで……」と言葉少な。
「周りの人には『大金もらえて良いねえ』と言われるけど、まだ1バーツももらっていない。いくらもらえるのか、いつなのか、そんなこともわからない」
母1人でモンコン君を育てるナムホンさんは今、職探し中。「生活は1年前と何も変わっていない」と言います。
奇跡の救出から、一気に大人のビジネスに巻き込まれた感じのする少年たち。
次に、現場だった洞窟を訪れると、様変わりした風景に驚かされました。
当時、周辺はパイナップル畑が広がり、洞窟の近くに小さな小屋がある程度でした。それが今や、近くの道には露店が並び、パイナップル畑はカフェに。何度も往復した洞窟までの道は、満員の客を乗せたバスが行き来し、観光客用の馬も歩いています。
メディアが机や椅子を並べていた広場には、どーんと大きな建物が。「洞窟記念館」で、中には救出劇に携わった人たちの壁画や、みやげものまで売っています。あたりは観光客でごった返し、あちこちで記念撮影していました。
記念館を訪れた教師のピヤチャット・エカサポーンタウィーさん(38)はチェンマイから4時間かけて車でやってきたそうです。「奇跡的に全員が無事で救出された場所を是非見てみたかった」。少年たちが閉じ込められていた当時、毎日テレビにかじりついて状況を見守っていたといいます。「初めはニュースの一つとして見ていたけれど、次第に子どもたちが自分の親戚のような気がして……」
救出では日本の国際協力機構(JICA)も技術協力しました。「日本を始め、いろいろな国の人たちが力を合わせて実現させた。本当に素晴らしい出来事だった」とピヤチャットさん。
洞窟の入り口を訪ねると、しっかりとフェンスがはられ、入れないようになっていました。気になったのは、あちこちにカメラを持って観光客をパシャパシャ撮影したり、「撮影しませんか」と声をかけている人たち。
「記念写真」を1枚100バーツ(約350円)で売っていたのです。まるでテーマパークのようでした。
店番の人に聞くと、平日は今でも1000人、週末は2000人ほどの人が洞窟を訪れ、1割くらいの人が写真を買っていくといいます。「一番多いときは1日5000人くらい来たこともあった。それより減ったけれど、今もすごい人気」
地元の人はこの変化をどうみているのでしょうか。
洞窟のすぐそばにあるパイナップル畑で働いていたウィーチュー・ムーコーさん(30)さんは、「子どもたちが助かったのはよかったけれど、この騒ぎには驚いたわね。道もきれいになったし店も増えたけれど、私たちの生活は何も変わらない」。
朝8時から夕方5時まで働いて、1日の稼ぎは300バーツ。「洞窟のはこんなに近いのに、私たちとは遠いできごとみたい」
少年たちが無事に救出され、今も元気でいることは、もちろんすばらしいんですが。
もやもやしたものを胸に抱えたまま、現場を後にしました。
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