話題
関西にあった伝説の飲料「ネーポン」12年ぶりに復活させた男の情熱
ビートたけしさんや明石家さんまさんが出演したバラエティー番組で「怪しげなジュース」と紹介されたという。
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ビートたけしさんや明石家さんまさんが出演したバラエティー番組で「怪しげなジュース」と紹介されたという。
関西の駄菓子屋や喫茶店などで愛された清涼飲料水「ネーポン」、みなさんはご存じですか? 令和となった今では、街中の駄菓子屋さんすらあまり見かけなくなってしまいましたね。そんな時代の流れとともに、一時姿を消してしまったこのネーポンが、ある男の情熱で12年ぶりに復活しました。ビートたけしさんや明石家さんまさんの番組でもイジられ、「伝説の清涼飲料水」とも称されるネーポン。その復活劇を取材しました。
そもそも、「ネーポンって何よ?」という方が多いと思うので、まずはご紹介します。
ネーポンは神戸市兵庫区にあった「ツルヤ食料品研究所」が製造・販売していました。作られ始めたのは1960年代前半。当時のジュースは、果汁入りはほとんどなく、砂糖と香料などでつくられたものばかりでした。そんな中、創業者が「健康的で自然な飲み物を少しでもいいから子どもたちに飲んでもらいたい」と採算性を度外視した、柑橘類などの果汁を10%配合した清涼飲料水を開発したのです。
ちなみに、「ネーポン」という名前は、当初配合していた果汁がネーブルとポンカンだったことからだそう。ああ、なんとわかりやすい!
1990年代には、ビートたけしさんや明石家さんまさんが出演したバラエティー番組で「怪しげなジュース」などと度々紹介されたり、中島らもさんのエッセイ集「西方冗土」に登場したりして全国で知られ渡るようになりました。
しかし、1995年の阪神大震災の影響でネーポンを扱うお店が激減してしまいます。レトロな瓶が人気となって瓶が返却されず、他の飲料の瓶に入れて販売することもありました。
そして2000年代になると、ネーポンは高齢の女性(以下「ネーポンのおばちゃん」)が1人で製造するように。重い瓶を運ぶのがつらくなるといった体力的な問題などもあり、ツルヤ食料品研究所は2007年に廃業してしまいました。
ここで登場するのが、今回の主人公・ネーポン田中さん(40)です。
先ほど紹介したバラエティー番組を見ていた、当時高校生の田中さんは、謎めいたネーポンという飲み物に興味を持ちます。そして大阪府八尾市から大阪市中心部にある紹介された店まで自転車を走らせ、ネーポンを飲みに行ったそうです。
「ちょっと変わった味だけど、美味しかったな」という印象と、テレビで紹介していたあの飲み物を飲んだという高揚感があったといいます。
時は流れて、2005年。社会人になった田中さんはふとネーポンを思い出します。そして調べてみると、まだ神戸に工場があることがわかりました。田中さんは当時交際していた女性と「ネーポンを飲みに行こう」という流れになり、ツルヤ食料品研究所の工場を訪ねました。
そこで、懐かしの味に再会しました。元々はバラエティー番組の「面白い飲み物」のイメージしかなかった田中さんでしたが、ネーポンのおばちゃんと出会い「子供たちにいいものを飲ませたい」という創業者のまっすぐな思いも知ることができました。
しかし、直後にネーポンのおばちゃんから思いもしない言葉が出てくるのでした。
この言葉が田中さんの心に深く刻まれました。一度工場を出た田中さんはこの日のうちに再び工場に向かうと「インターネットでネーポンを売らせてほしい」とおばちゃんに頼みます。
田中さんはネット販売をはじめるとともに、ツルヤ食料品研究所の商品のラベルづくりを手伝うように。おばちゃんともどんどん仲良くなり、田中さんが工場に行くと、近くのお好み焼き屋さんでお好み焼きを買って待っていてくれることもあったそうです。
ネットでネーポンが売れるようになると、おばちゃんもうれしくなり、当初言っていたよりも辞める時期を延ばしてネーポンを製造するようになりました。
廃業が新聞などで取り上げられると、おばちゃんは「最後にひっそりとせず、賑やかに辞められて良かった」と喜んだそうです。
そして2007年、ツルヤ食料品研究所が廃業すると、田中さんはネーポンのおばちゃんから、またも思いがけないことを告げられました。
ネーポンの香料を作っている会社も倒産してしまっていたので、まさに手探りの状態からネーポンの再現への道がはじまりました。
まずは、シロップを製造する会社に話を持ちかけて、試作品を作ってもらいました。しかし、ネーブルやポンカンの果汁も入っていないトロピカル系の味のものでした。
「もっと甘く」「2000年代ごろのネーポンには温州ミカンの果汁が使われていたので、温州ミカン果汁も入れてほしい」
田中さんは何度もシロップの製造会社に試作品をつくってもらい、試飲を繰り返しました。試行錯誤しながらネーポンの味を探っていると、まさかの奇跡がおこったのです。
なんと、ネーポンの現品を10年越しに持っていた人が、田中さんの活動を知って連絡してくれたのです。田中さんはそのネーポンを提供してもらい、業者に頼んで糖度などを分析。ついに、あの味にたどり着きました。
田中さんが「僕の記憶とすりあわせて僕が2007年に飲んだ味に近づいた」というネーポンは、食品表示法に適合したラベルも貼り、4倍に薄めると果汁10%となるシロップタイプとして販売することになりました。
ちなみに、なくしてしまったおばちゃんからもらったレシピはその後見つかったそうです。
ネーポン田中さんは、一連のネーポン復活への道をウェブサイトで発信していました。これに注目していたのが、神戸市のデザイナー・濱章浩さん。
ネーポンの懐かしさや復活プロジェクトの面白さに共感します。事務所の書庫を利用したバー「書庫バー」も経営している濱さんは、「バーでネーポンを出したい」と思い、何度もネーポン田中さん宛てにメールを送ったのです。
最初は「なんかちょこちょこ連絡してくる人やな」と思う程度だったという田中さんも、度重なるメールに「本当に好きそうだな、熱意あるんだな」と感じます。そして、最初にこのネーポンを提供する店として、書庫バーを選んだのです。
書庫バーでは、ネーポンをハイボールに入れた「ネーポンハイボール」を提供しています。カクテルのような甘さがあり、しっかりとした果実の風味が味わえます。取材時に店に訪れていた大学生たちもおかわりしていたほど、飲みやすいハイボールです。
シロップタイプのネーポンは、飲み方のバリエーションが豊富にあるのも特徴です。「水で薄めて飲む」という基本的な飲み方だけでない色々な楽しみ方ができるようになったのです。ネーポンを手に入れた人たちはこんな飲み方を楽しんでいるようです。
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