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「歯がゆさあった」なでしこジャパンの愛称 元代表主将の思い

日本代表選手当時の大部由美さん
日本代表選手当時の大部由美さん

目次

サッカー女子・ワールドカップ(W杯)フランス大会開幕まで、7日であと1カ月となりました。サッカー女子日本代表の愛称「なでしこジャパン」は、8年前のドイツ大会優勝で、一気に市民権を得て、2011ユーキャン新語・流行語大賞も受賞しました。ただ、なでしこジャパンの初代主将だった大部由美さん(44)は、その愛称に歯がゆさも感じていたと言います。(朝日新聞スポーツ部・堤之剛)

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ある意味、悔しかった

浴衣姿で愛称を発表する女子サッカー日本代表選手の澤穂希さん(右)ら=04年7月撮影
浴衣姿で愛称を発表する女子サッカー日本代表選手の澤穂希さん(右)ら=04年7月撮影

「うれしかったですけど、ある意味、悔しかったです」。

W杯フランス大会を前に、サッカー日本女子代表コーチの大部由美さん(44)に、2004年7月に代表チームの愛称が発表されたときの心境を聞くと、笑顔を交えて答えが返ってきました。大部さんは、代表チームの主将でした。

悔しさ。それは、当時の日本女子サッカーの厳しい状況と自身の苦い思い出が詰まっているからです。

日本女子サッカー「冬の時代」

アテネ五輪代表の国際親善試合を前に、選手たちを激励し、握手する高円宮妃久子さまとは小泉純一郎首相(当時)
アテネ五輪代表の国際親善試合を前に、選手たちを激励し、握手する高円宮妃久子さまとは小泉純一郎首相(当時)

バブル崩壊後の不況のあおりを受け、大部さんが所属し、日本女子リーグ(なでしこリーグ)を3連覇していた日興証券は99年に廃部。移籍先も廃部となりました。代表チームは00年シドニー五輪の出場を逃し、日本女子サッカーは低迷期に。しかし04年4月のアジア最終予選で、日本はアテネ五輪出場を決めました。

その直後、日本女子代表の愛称が一般公募され、約2700件のうちから「なでしこジャパン」を日本サッカー協会が選びました。アテネ五輪では8強入りし、「なでしこジャパン」としてようやく日本女子代表が脚光を浴びました。日本女子サッカーの「冬の時代」を経験してきた大部さんは言います。「なでしこジャパンってつかなかったら、(世間は)見向きもしないのかとも思いました。マイナスなことがないと、日本は火がつかない国民性だから、半面悔しかった」。

五輪ピッチ、1秒も立てず

アテネ五輪、日本―ナイジェリア戦でシュートを放つ荒川恵理子選手
アテネ五輪、日本―ナイジェリア戦でシュートを放つ荒川恵理子選手

一選手としての悔しさもあります。現役時代のポジションはDF。アテネ五輪最終予選は先発の座にありながら、五輪本番はチーム事情もあって、1秒もピッチに立てませんでした。だから今も「なでしこ」という愛称に触れると、「『なにくそ』と頑張れる。反骨心として自分のなかにもっていられる。そういう思いは、ずっともっていたい」そうです。

もっとも、「なでしこジャパン」という愛称が浸透し、大部さんは「いろんなところで『なでしこジャパン』と言ってもらえて、いまはありがたいですよ。(だから)歯がゆさとうれしさがあります」と話します。

さあ、フランス大会へ

日本女子代表の大部由美コーチ(右)と高倉麻子監督
日本女子代表の大部由美コーチ(右)と高倉麻子監督

大部さんは、今の代表チームで、高倉麻子監督(51)の右腕です。遠征先の宿舎の2人の部屋は、廊下を挟んで対面でドアは開いたまま。常に行き来できる状況です。なでしこのウォーミングアップでは、選手を前に、大部さんの大きな声が聞こえるのがお決まりです。大部さんは「私が『熱』だとしたら、監督は静かに闘志を燃やしている感じ。動と静。私みたいのが2人いたら大変なので」と笑います。

さあ、W杯フランス大会は6月7日(現地時間)に開幕です。大部さんは選手としては、世界選手権の呼称だった1991年、95年、03年の3大会に出場し、8強が最高成績です。指導者としては、今年のW杯フランス大会が初めてとなります。なでしこの悲哀を見てきた大部さんは元気に言います。

「もう楽しみです」。

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