連載
#13 #まぜこぜ世界へのカケハシ
障がい者の「わがまま」許せる?「こんな夜更けにバナナかよ」の問い
大泉洋さん主演の映画「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」は、徐々に筋肉が衰える難病「筋ジストロフィー」患者の男性と、介助ボランティアとの交流を生々しく描いています。時に、わがままにも見えるむちゃぶりをする主人公。その姿は、「障がい者らしさ」を求めていたかもしれない、見る人の先入観を揺さぶります。障がい者と健常者の違いって何? 「障がい=感動」という構図にしたくなかったと言う前田哲監督の言葉から考えます。(withnews編集部・神戸郁人)
――映画をつくった経緯を教えて下さい
タイトルに魅かれて本を買っていたのですが、健気にがんばる闘病記と勘違いしていて、なかなか読むきっかけがありませんでした。しかし目を通すと、鹿野靖明さんという、実在の人物の生き様から力をもらえたんです。彼の人生を描いてみたい、と考えたのが一番の理由です。
鹿野さんは車いす生活で、ほぼ体が動きません。コーヒーを飲むのにも、人に頼まないといけないんです。頼られた人にとっては、時に面倒臭いこともあります。だからこそ、当事者同士にしか分からない関わりや友情ができる。それがすてきだな、と思いました。
――演出にあたって、どんな点に気を配りましたか
「障がい=感動」という構図にしない、ということですね。大泉さん演じる鹿野さんが、深夜に側で寝ているボランティアを、何度も起こすシーンがあります。文句を言われるんですが、鹿野さんは「だって水飲みたいんだもん」などと、何とも言えない表情で返すんです。
こうしたことは、彼にとっては日常です。毎日が生きるための闘いだから、「頑張っているよ」と感動的に伝える必要はない。鹿野さんの関係者に話を聞いたり、介助の様子が記録されたノートを参照したりしながら、ありのままの姿を表現するよう努めました。
――鹿野さんの生活を支える、一般のボランティアたちの姿も印象的ですね
作中には、三浦春馬さんを配役した、医学生ボランティアが登場します。自分が医者に向いているか分からず、見えないプレッシャーに呪縛されているんです。彼は鹿野さんの生き方に触れ、迷い悩みながらも、最後には大きく変わります。
鹿野さんには体が動かなくても、英検を取って米国に行く夢があります。自分がどういう人間か、自分で決めていると言ってよいでしょう。医学生は鹿野さんに「お前は何がやりたいんだ」と問われ、向いているかより、やりたいかどうかが重要と気づきます。
健常者にも、人生を色々なものに委ねざるを得ないところがあります。その観点から見れば、この作品は、もっと自由に生きていいと伝える「解放の映画」だと思います。
――鹿野さんは自分の要求を、遠慮無く他人にぶつけます。その振る舞いは、時に「わがまま」にも映ります。前田さんは原作を読み、どんな感情を抱きましたか
鹿野さんに会いたい、と感じました。同時に、きっと対面したら、非常に腹立たしく思うことがあるのだろうなとも。
どんなに好きな人に対しても、カチンとくることってありますよね?それは、自分の価値観で相手を見ているからだと思います。「こういう言い方をしてくれたらいいのに」などと考えているんです。
――相手の中に自分自身を見る、ということですか
そうですね。誰かが強い言葉で何かを要求してきた時、そうせざるを得ない状況というのもあるはず。しかし聞き手が受け流せないのであれば、自分自身に余裕がない、ということになります。他者とは、自らを映し出す「鏡」なんです。
――鹿野さんのように、ハンデがある人の願いをかなえるには、他者の支えが必要です。その状況を「迷惑」と表現する人もいます
年をとれば認知症になったり、足腰が弱り、動けなくなったりするかもしれない。誰の世話にもならず生きていける人というのは、いないのではないでしょうか。
たとえば学校で、上級生が低学年の子の面倒をみる場面を増やす。すると子どもは、他人を手助けする意義を肌身で感じますよね。「三つ子の魂百まで」ではないけれど、教育の現場が変われば、社会に大きな影響があると思います。
――前田さん自身、これまでハンディキャップのある方と関わったことはありますか
20代の頃、とある障がい者施設から、入所者の男の子を一時的に預かった経験があります。彼とは2日間、一緒にお風呂に入ったり、動物園へ遊びに行ったりしました。
その子は小学校4年生くらいの年齢でしたが、知的障がいがあり、うまく会話が出来なかった。そこで施設に帰す時、施設の方に「彼は僕と過ごした時間をわかっているのですか」と聞いたんです。
答えは「(預かり元から戻るといつも)十日間くらいは、機嫌良く過ごすんですよ」。この言葉は、僕の中に原点として残っていますね。彼のことも、一生忘れないと思います。
――楽しい時間を共有できたという点で、お互いの立場に変わりはなかったわけですね
もしかしたら、彼に対して「わかってないだろう」「覚えてないだろう」「かわいそうに」などという気持ちを抱いていたのかもしれない。だから、あんな失礼なことを尋ねたのだと、反省と後悔があります。何もわかっていなかったのは、僕の方でした。
一方、映画の撮影を経て、自分の中に変化がありました。先日ショッピングモールのテーブルで、娘とご飯を食べていると、車いすの方がやってきたんです。とっさに手を挙げて「こっちの席、もう空きますから」と伝えることが出来ました。
以前なら「出過ぎたことかな」などと考え、迷ったでしょう。でも本当は、人として普通の振る舞いであるはず。今では車いす利用者の姿が視界に入るようになりました。子どもが産まれたことで、ベビーカーに目が行くのと一緒ですね。
障がいがあると出来ないこと、不得意なことはある。だったら、周囲の人がコミュニケーションを取って解決すればいい。「ハンデがあるからかわいそうだ」と、勝手に決めつけてはいけないんです。「~だから」という思い込みを取っ払うのが大切だと思います。
――映画の話に戻ります。公開から約2カ月、どんな感想が集まっていますか
「生きることをかみしめた」など、前向きなものが多いです。障害のある方々向けの講演会で登壇した時、車いすユーザーの男の子から「僕たちを感動の対象にしているわけじゃなさそうだから、見に行こうと思う」と言われたこともありますね。
ただ、中には「(終了後)しばらく席を立てなかった」というものも散見されました。鹿野さんのように、どんな状況下でも、色んなものと格闘しながら生きていかないといけない。そうした残酷な話でもあります。
――人生の重みについても描いていますものね
かといって強調しすぎると、暗い映画になります。その点、鹿野さんは、ボランティアの女の子にプロポーズして振られてしまう。そして、また新しい恋をする。そこは前向きにとらえて欲しい。「あるあるだよね」と思ってもらえればいいんです。同じ人間ですから。
彼の場合、過去をいちいち振り返っていられないんですよ。そしてそれは、僕らが気づくべきことでもあります。過去は変えられないし、未来しか変えられない。鹿野さんは、考えても仕方ないことはさっさと忘れ、今を生きていくことの大切さを教えてくれる人とも言えます。
――「同じ人間だ」という言葉を踏まえ、最後にお伺いします。ハンデを抱える方々とは、どのような存在だと捉えていますか
当事者ではないので、正直分かりません。あえて、お伝えさせてもらうとしたら、僕は過去に、東北芸術工科大学(山形市)の映像学科で授業を受けもっていたんです。
約3年前、「障がい者にインタビューする」というドキュメンタリー制作について指導しました。63人の1年生が、それぞれ一人ずつ障がいのある方々を取材し、映像を撮り、編集して一本の映画としてまとめたのです。インタビューを受けられた方の三分の一ほどは「障がいがあってよかった。だから、今の私がある」と答えておられます。
手が使えず、足で編み物をしている女性は「これを誰かにプレゼントするのが楽しみ」と満面の笑顔で話していました。出来ないことではなく、今出来ることで、どう生きていくか考えている。鹿野さんは、さらに一歩進み「出来ないことは、人に助けてもらえばいい」と語っています。
これは、社会全体に向けられた問いでもあるでしょう。みんな、助けられて生きているわけですから。
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