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一発屋・髭男爵「死んだ」「消えた」後に見つけた「もの書き」の道
“一発屋”芸人の髭男爵・山田ルイ53世さんは昨年、本を3冊も出しました。「死んだ」「消えた」と言われ続けた“一発屋”を経て、物書きとしての活躍の場を切り開きました。難関私立の中学校受験に成功してからの引きこもり。芸人としてブレークしてからの“一発屋”。浮き沈みの激しすぎる男爵さんは、どんな本を読んできたのでしょうか。けっして「ウソ」ではないけど、ちょっと微妙な「本に囲まれていた」子ども時代について、つづってもらいました。
コラムの連載や、新聞・雑誌への寄稿など、ここ数年“書く仕事”をいただく。
昨年は本を3冊出版。
うち1冊は、“受賞”とか“ノミネート”といった話題にも恵まれた。
有難い。
お陰で何かと取材をして頂く機会が増えた。
記者の方々は、インタビューの冒頭で、
「やっぱり本を沢山読んできたんですか!?」
「以前から書くのが好きだったんですか?」
といった質問を口にする人が多い。
コスプレキャラ芸人の一発屋と文筆の取り合わせがよほど意外なのか、その表情や口調は、
「そういうバックボーンでもなければ、納得できぬ!」
と言わんばかりである。
こんな風に書くと考えすぎ、自意識過剰だとお叱りを受けそう。
しかし、「死んだ」、「消えた」と揶揄され続けた人間の心は知覚過敏の歯と同じ。
ご容赦いただきたい。
とは言え、中には、
「こんな言い方失礼なんですけど……」
とさほど失礼とも思っていない様子で前置きし、
「……これ、ご自分で書かれたんですよね?」
などと続けるインタビュアーの方も実際にいるので、あながち筆者の被害妄想というわけでもないのだろう。
もはや、彼らが聞きたいのは、"バックボーン"というより"アリバイ"。
「昨日の夜、お前はどこにいた!!」
と取り調べを受ける殺人事件の容疑者の気分になる。
大体、今の御時世、芸能人、あるいは、芸人が書くということ自体に意外性は何もない。
権威ある文学賞に選ばれるものや、何十万部の大ヒットを飛ばすものもザラにいる。
「なぜ書いたのか?」ではなく、「なぜ書けるのか?」……いかに、本業ではない文筆活動とは言え、動機ではなく能力を尋ねられるのは一発屋ならでは。
色々と不本意だが、
「いやー、良いゴーストライターの方に巡り合いまして……」
と皮肉を込めた冗談で応戦するのが精一杯である。
此方も芸人の端くれ。
空気は読む。
インタビュアーのお気に召すかと、
「子供の頃、スタンダールの『赤と黒』とか、ドストエフスキーの『罪と罰』、あと、ゲーテの『ファウスト』なんかも読んでましたねー……」
と“いかにも”なエピソードを披露することもある。
事実、実家の居間には、先述のような古典の名作がズラリと並んだ本棚があり、僕は小学生の頃には、全てに目を通していたので嘘ではない。
嘘ではないが、それは大人に褒められたくて、“難しい本を読む子供”を親の前で演じていただけのこと。
自然と沸き起こる知的欲求などとは無縁の行為であり、ただのパフォーマンスである。
なので、正直、粗筋を薄ら覚えている程度。
彼らが求める“アリバイ”、実りある読書体験としてはちと弱いだろう。
ちなみに、この文学全集……おそろいの赤いハードカバーの立派な代物で、お値段も随分と張りそうであった。
僕の父は、地元の名士でも資産家でもない。
誤解を恐れずに言えば、一介の公務員、高卒である。
そんな人間の蔵書としては分不相応に思えたし、そもそも“蔵書”と呼んで良いのかも怪しかった。
何故なら、父は元より、家族の誰かがそれらの本を手に取っている姿を見たことがなかったからである。
長い間閉じられたままだったのだろう、ページをめくる度に“ぺリペリペリ……”と悲鳴を上げるほど半ば一体化した紙の束。
それを、“裂けるチーズ”を食べるときのように一枚一枚捲りながら、
(なぜこんな本がうちに……?)
と子供の僕は違和感を抱いた。
それは数年前、父と電話した際、
「ああ、あれはゴミ捨て場から拾って来たヤツや!」
との告白を受けるまで続くこととなる。
聞けば、インテリアとして、飾ってあっただけとのこと。
“見せ本”である。
いかにも、見えっ張りの父が考えそうなことだと合点がいったが、僕が読んでいた理由も既に白状した通りなので、とやかく言う資格はない。
親が親なら、子も子である。
「図書館にはよく通ってましたね……」
これも事実である。
僕の父は妙にお堅い教育方針の持ち主で、我が家では、テレビは基本的に駄目。
許されるのは、時代劇やNHKくらいで、民放のバラエティー番組などはもっての外だった。
となると、今度はお笑い芸人としてのアリバイの方が疑わしくなってくるが今はさておく。
他にも、ファミコンやキン肉マン消しゴム、ビックリマンシール等々、当時子供たちの間で流行ったありとあらゆるものに、僕は縁が無かった。
もはや、刑務所である。
マンガもご多分に漏れず。
しかし、これには抜け道があった。
歴史や偉人について描かれたマンガ、「ためになる」と言い訳の立つものの場合は目をつぶるという、暗黙のルールの存在である。
全くくだらない。
そこで僕は図書館に足しげく通い、他の子供たちが「少年ジャンプ」や「なかよし」に夢中になるのと同じ感覚で、「マンガ 徳川家康」や「マンガ ヘレン・ケラー」を貪り読んだ。
お陰で、歴史や偉人に無駄に詳しい。
江戸川乱歩の「少年探偵団シリーズ」や「モンテクリスト伯」、「ああ無情」、「三銃士」等々、それなりに本は読んでいたが、あくまで"それなりに"である。
今現在に至るまでと考えても、読書家と言われるような方々に比べれば、質・量ともに到底及ばない。
結局この取り調べ、もとい、この手の取材は、
「まあ、でも芸人さんって、ずっとネタの台本を書いてますもんねー!?」
といった結論に落ち着く場合が多い。
自分の手柄が若干目減りしたようで、複雑な心境になる。
またまた不本意だが仕方がない。
「いやー、でも今後はね?作家さんとして、ね!?」
僕のささやかな文筆活動を、まるで今流行りの"セカンドキャリア"だとばかりに持ち上げてくれる方もいる。
有難いが、そんな洒落たものでは決してない。
振り返れば、中学受験を突破したころの僕は、
「勉学の世界でのし上がろう!」
とボンヤリと考えていたが、とあるキッカケで14歳の夏から不登校に。
その後、一念発起し、20歳手前まで続いた引きこもり生活に終止符を打つべく、大検を取得。
なんとか地方の大学に潜り込んだが、これもほどなくドロップアウトした。
夜逃げ同然で上京し、お笑い芸人を志すが、正統派の道では鳴かず飛ばず。
結果、シルクハットを被った"貴族"として世に出る羽目になった。
一度だけ少々売れはしたが、長続きはせず今に至る。
言ってみれば、負けては逃げの繰り返し。
まるで、焼き畑農業のような人生である。
大体、バラエティー番組で活躍し、毎日のようにテレビに露出していれば、第二の道など模索する必要などない。
負け続けた結果、辿り着くキャリアもあるといったところか。
昨年の暮れ、僕は母校の中学を訪れた。
2学期の終業式の日、全校生徒を前に、何か話をしてくれとの依頼を受けたからである。
実際に通った期間を思えば、僕に“母校”と呼ぶ資格があるのか甚だ疑問だが、何と言っても30年ぶり。
流石に、感慨深いものがあった。
それにしても、文筆の御利益、霊験のあらたかなることよ。
10年前の"売れっ子"時でさえ縁が無かった講演会なる仕事が、コラムを書いたり本を出したりした途端舞い込むのだから。
実際、近頃この手のオファーは多い。
一発屋が講演などと、もはやギャグの領域だが、話のネタになればとなるべくお受けしている。
つい先日も、100人の若手経営者を相手に喋ってきたばかり。
先方が提案してきた、「一発屋芸人に学ぶ経営のヒント!」という講演のテーマに、
(いや、こっちは経営失敗しとんねん!)
と少々"おイジり"の匂いを嗅ぎ取ったが、誠心誠意務めさせていただいた。
話を戻そう。
最寄り駅である「阪急六甲駅」から徒歩20~30分ほど、山の中ほどに位置する私立六甲学院中学。
かつては、駅から延々と続く急勾配を、教科書が詰まった重い鞄を担いで歩いたものだが、その日はタクシーでスイスイと。
(ああ、この辺だったな……)
筆者が引きこもるキッカケとなった"ウンコ漏らし事件"、その現場も一瞬で後方に遠ざかっていく。
良い気分である。
本番。
司会役の先生が、
「えー、今から皆さんの大先輩である、髭男爵山田ルイ53世さんが、お話をしてくれます!えー、山田さんは2008年頃ブレイクされ……」
僕のプロフィールを交えながら前説をしていると、
「10年前!?」
「古っ!」
"2008年"のところで、会場がザワつき始め、軽く笑いが起こった。
(これは、ちょっと馬鹿にされてる感じやなー……)
生徒達のやや失笑、嘲笑寄りのその声は、僕の傍らにいる関係者の方々の耳にも間違いなく届いているだろう。
気まずい。
すると、
「おい!皆、真面目にお話を聞くように!」
と間髪入れず生徒達を嗜める前説先生。
まるで、此方の気持ちを察したかのようなそのタイミングに、
(先生!有難う!!)
舞台袖の暗がりで思わず彼に一礼したが、
「……そして面白かったら、しっかり笑うように!いいですか!?笑うべきところがあればちゃんと笑って下さいよ!?」
"笑うべきところがあれば"を妙に粒立てた彼の物言いで会場がドっと沸き、僕の感謝の念は一瞬で吹き飛ばされた。
ニヤついているところを見ると、気遣いではあるまい。
(いや、お前もそんなノリかい!!)
30年振りの母校でこの仕打ち。
いや、これは完全に筆者の被害妄想かもしれぬが、長年の一発屋暮らしで、カラカラに乾いた自尊心は火が付きやすい。
俄然気合が入る。
ステージに飛び出すと、およそ60分間怒涛のトークで大いに盛り上げ、講演は無事終了した。
自分で言うのもなんだが、正直、ウケた。
その証拠に、東京へと帰る新幹線の車中で、SNSを眺めれば、
「いや、髭男爵さんって、今日の話も面白かったし、全然一発屋じゃない!」
「“普通に”面白かった!」
「一発屋とはいえ、やっぱりプロ!凄いなー!!」
と賛辞の声が溢れている。
"普通に"、"一発屋とはいえ"等の小骨、「いやー、見直しました!」とでも言いたげな、裏を返せば、それまで見損なわれていたことを示す台詞の数々は今はどうでも良い。
"褒め"のスタートラインが、通常の芸人に比べて、幾分後方に設定されているのは、一発屋にとっては慣れっこ。
"あるある"である。
(良かった……)
とにかく満足していただけたようで、ホッと胸を撫で下ろした。
様々な想いが胸を去来し、酒でも呑みたい気分だったが、やめておく。
生憎、帰宅しても仕事があった。
片付けなければならない原稿が幾つか残っている。
文筆の世界に片足を突っ込んだことで、〆切に追われるという面倒なことが増えた。
しかし、悪い気はしない。
むしろ、結構気に入っている。
やることがあるというのは、有難い。
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